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老人ホームの昼食 |
日本の皆様へ。私は今少なからずくじけそうになっています。なぜなら1時間ほどかけていったん書いた日報が、何のたたりか今目の前でアプリケーションエラーを起こし飛んでしまったのです。目が点になっています。もうやめようか…。8割方完成していたのにー。 (*_*)
気を取り直して再度書きます。(貴重な休日をつぶして何をやっとるんだろう)
前回の《モンテホ村》編からだいぶ時間が経ってしまいましたが、これは、その翌日に行った《トレモチャ村》編です。今日も水道タンクの前で待ち合わせ。前日同様カルメンさんと妹さんが同行してくれる。目的地トレモチャ村は、やはりマドリードの北部60kmくらいのところにある人口200人くらいの小さな村。マドリードから高速に乗ると広大な麦畑が広がり、その中に点在する村村の一つだ。
この村でのカルメンさんたちの労協の活動の中心は老人ホーム。入居者47人ということだから、モンテホとほぼ同じくらいの規模。ただ、1988年に初めてこのホームを作った時には、老人ホームについては何も知らなかったので、居室のドアが小さかったり、各室の浴室に浴槽を設置していたり(とても危険だとのことです)今となっては、問題点も多く、その経験をモンテホのホームに生かしている。
その他にも各フロアを色で分けたり、部屋の表示にスペインのトランプ(カルタ)のマークを使ったり、というような工夫は、トレモチャの経験を生かしている。ただ、基本的には、トレモチャのホームは体の障害がない人を対象にしているらしい。もちろん、加齢と共にだんだんに障害は出てくる。しかし高齢者にとっては、住居や環境が変わることは良くないので、できうる限りここで生活できるようにしているとのこと。最高齢は93歳と言っていた。
訪ねた時はちょうど昼食で、ほぼ全員が食堂に集まり食事をとっていた。ここでもカルメンさんが行くと皆話したがりなかなか離さない。ここの入居者も村内に家があったり、マドリードやその他の地域に家族がいたりするが、村を離れたくなかったり、家族が面倒を見られなかったりという理由で、入居してくる。47室のうち10室が私費入居者で残りが公費だそうだ。どうもこの手の事業への行政の関与は国レベルではなく自治体レベルが中心のようだ。だから地域によってかなりフレキシブルに施設の運営もしているように感じる。
老人ホームの部屋(モンテホ村)
このホームの隣(入り口は一緒)には、「カルチャーセンター」が併設されており、これは、別の「カリマ」という協同組合が運営している。ここには、ホールの他36人が泊れる簡易宿泊施設があり、夏休みなどには多くの学生や生徒が泊りに来る。遠く国外から老人ホームのボランティアをしに来るグループもあるそうだ。ここでは、青少年活動のほか、老人ホームのリハビリや機能回復の部門も受け持っており、これは協同組合間提携事業だとの説明だった。
この他にもカルメンさんたちの協同組合は高齢者の生活支援の事業を行っている。村に着いて最初に労協の事務所の案内されたのであるが、ここはもともとある老人の住居だった。しかし、老巧化が激しかったので、労協で改修し、一部を労協の事務所として使う代わりに、老人の生活の一切の面倒をみることになったのだという。当初は家賃を払っていたが、現在は建物ごと買い取ったそうだ。
またすぐ近くには、(とにかく小さい村なのでどこでも近いのだが)労協が600万ペセタ(約500万円強)で買い取った、集合住宅の1室(居室3、居間、キッチン、浴室)があり、4人の高齢者が共同生活している。費用は私費だが、月7万ペセタ(約6万円弱)で3食、掃除、医療サービスなどを一切見ているのだそうだ。1日に何度か老人ホームから人が来てここの面倒をみている。このような老人ホームとは違うシステムの高齢者支援事業も発展させていきたいということだった。
ここの老人ホームと周辺を見学して一番感心した事は、ここが、本当に村の協同の活動の核になっているということ。例えば、ホームの厨房では、高齢者の食事を作るだけでなく、近隣の村の2幼稚園と5小学校(いずれも公立)にも100食の給食を供給している。ここのような小さな村の学校だと民間企業は採算が合わないため進出したがらず、親も毎日弁当を作る事が難しいと言う事情があり、それなら、ということでカルメンさんたちが引き受けたとのこと。隣のカルチャーセンターの利用者にも食事を提供しているので、だんだん厨房が手狭になってきており、老人グループホームの下の階を一部買いとって厨房を広げる計画もあるそうだ。
また、この村にはクリーニング業の労協もあり、当初からカルメンさんたちと一緒に活動してきた。老人ホームのリネン類をはじめ2kmほど先の5つ星ホテルのリネンなども扱っている。現在働いている人は4人。はじめの頃は地元の人たちの反発があり妨害もあったと説明してくれた。(理由は、何か複雑な事情らしく、カルメンさんの妹は難しくて通訳できないとのこと)
さて、一通り午前中の見学を終え、村のレストランで昼食をとりながら、カルメンさんにいろいろ話を聞いた。まず、協同組合を作ろうと思ったきっかけは何だったのか?
話は約30年前、1968年の夏までさかのぼる。当時、カルメンさんも妹さんもバスクの都市ビルバオに住んでいて、カルメンさんは大学生だった。カルメンさんはその夏を何人かの仲間とモンドラゴン(知らない人は誰かに聞いて下さい。スペインで最も有名な協同組合の町です)のテレビ工場で働きながら過ごした。1968年という年はヨーロッパでも非常に重要な年で、学生運動(Student Power)が盛んで、学生と労働者が手をつなごうという運動があり、その一つだった。妹さんはお父さんがそのことで非常に怒っていたことを覚えているという。
モンドラゴンでの労働の経験はカルメンさんに大きな影響を与えた。カルメンさんはその後、法律家となり働きだし、トレモチャ村の村役場とも関わりを持つようになる。ある時、村に老人施設を作るということで村長から相談を受けた時、即座に、協同組合でやるべきだと進言し、1988年に自分たちで始めたのだという。初めはホームの入居者は3,4人で活動もいわゆる家事援助サービスが中心だった。具体的には、高齢者の家庭へ訪問して、食事を作ったり、病院への送迎をしたり、薬を取りに行って届けたり、買い物を代行したり、入浴の介助をしたりという日本でもおなじみのものだ。
はじめは11人の組合員が50万ペセタ(約43万円)ずつ出してはじめたが、全然お金がなかったので最初の5ヶ月は全員無給で、とにかく利益を蓄積した。その間どうやって生活するのか聞いたら、若い人の場合親に世話になり、カルメンさんの場合は、夫に助けてもらったそうだ。その後も世間的に見れば給料は非常に低い水準でやってきた 。
今後の展望については、とにかく今の老人ホームの建物は、行政が所有しているので、政権交代等でいつ活動が後退させられるかも分からない。だから、様々な事業を村の中でたくさんおこし、誰が政権を取っても認められ継続できるようにしていきたい、とのこと。確かにこのような社会的サービスに限らず、スペインの協同組合の活動は、政府、自治体が後ろ支えをしているので、政治の変化には非常に敏感だ。
この時食事をしていたレストランに村役場の職員たちの一行が入ってきたのだが、カルメンさんはカルロスさんという村長が来るのを待って紹介してくれた。彼女いわくまさにこの村長がいたからこの村で協同組合がつくれた、という人で、行政の活動の一端を協同組合が担うということに非常に理解があるという(ちなみに無所属だそうです)。
食後、老人ホームとは直接は関係ないが少し離れたところにその名も「トレモチャ」という子供たちの居住施設の労協を訪ねる。ここは、以前私が訪ねたマドリード郊外にある「Educadores Antaviana」という協同組合と同じような事業内容で、家族に問題のある子供の保護施設である。ただ、年齢層は少し高く5歳から15歳の子供が17人生活している。具体的には、やはりアル中やドラッグなどで親が養育できなくなった場合で、@親に親権があり更正するまでの短期間保護する場合A親に親権があるが長期間保護する場合B親が親権を放棄した場合、などいろろなパターンがある。
この協同組合は15年前にマドリードでスタートしたが、協同組合をやっていく条件が非常に厳しかったので、トレモチャの話を聞き移ってきたとのこと。ここの代表の人は、非情に哲学的な事を話すのか(顔だけ見てるとそう思える)、カルメンさんの妹は話が難しすぎて訳せないといってほとんど訳してくれなかった。
スペインの場合15歳を過ぎると働く事ができるので、ここの子供たちは15歳になるとここを離れ、村立の若者用のアパートに移り、仕事に就く。進学する子はいないのかと訪ねると、ここに来る子供たちは学力については問題がある場合が多く、また、すぐに自活しなければならない事情もあり、すぐに働くのだという。中にはマドリード゙などで働き、夜学に通う子もいるが続けるのはなかなか難しいとのこと。
いずれにせよ、農村の自治体にとって、人口の高齢化と若年層の失業は表裏一体の大問題であり、何とか地元に産業をおこし、若者を定着させていこうという方針が見てとれる。このトレモチャ村では村の入り口付近に小規模な産業センターのようなものを作り、製菓、木工、養蜂などのの小さな工房といくつかの政府の失業対策事業とタイアップしたトレーニングセンターを支援している。おじさんが一人だけでやっているチョコレートケーキ工場を見学し、話をしていたら、実はこのおじさんはカリフォルニア出身のアメリカ人だった。しかも、先ほどの子供の施設に住んでいるとのこと!!
前述した若者向けのアパートも村の住人だけでなくマドリードやその他の町の若者にも開放しており、仕事も斡旋している。カルメンさんたちの労協も、その意味では村の雇用拡大に大きく貢献しており、全部で40数人の地元の人が働いていて、その意味では村役場とは相補関係にあるといえる。
昼食時の話の続きで、私が労協で働きだしたきっかけを聞かれた。学生時代の事からはじめて、もともと労協なんて知らなかったしそもそも就職する気はなかったんだけど、協同組合の理念には惹かれて働く事になったんだ、と説明した。すると、「実際に働いてみたらどうだったの?民主主義はあった?」と聞くので「Sometimes Yes, Sometimes No.」と答えたらカルメンさんは非常に共感してくれた。
帰りの車の中で、組合員が辞める場合の話になった。カルメンさんの協同組合は11人の組合員で始めたが、うち一人は、高齢者に対して礼儀正しくなかったり、コックなのにどうしても帽子をかぶって調理する事を認めなかったりということがあって、辞めてもらう事にしたが、本人が納得しなかったため裁判で争うことになったそうだ。結局負けて辞めていったそうだが、日本でも同じ問題がおこっていることを思い出した。
それにしても、10年ほどで、何もないところから村の中に一大協同組合セクターを作り上げたアイデアと行動力には感服した。この他にも樹木の苗木を育てる労協とかチーズを作る労協とか様々あって、これらが互いに連携し連帯しながら活動しているのは、小型モンドラゴンとまではいかないまでも、なかなかにたいしたものだと思う。後日訪問した(6/26)精神科の病院のリカルドさんは、「トレモチャが成功しているのはカルメンさんが明確な方針を持って、リーダーシップを発揮しているからだ」と言っていた。この分野については日本でもこれからますます重要性が増していくわけで、このトレモチャの協同組合は大いに参考になる話だったと思う。
ふう、やっと終わった。ちょっと疲れました。カルメンさんの妹さんが、この2日間の訪問について、一部通訳をきちんと出来なかった事を非常に申し訳なく思っているので、後でその部分については紙に書いて渡してくれるそうです。(←結局くれませんでした。)
それと、このトレモチャ村編については、写真がありません。間抜けな事に前日カルメンさんの車の中に置き忘れ、翌日は妹さんの車で行ったのでその日はカメラなしになってしまったのです。一応、現地でカメラを借りて写しましたが、私の手元にもらえるのはだいぶ先の事でしょう。あしからず。(←結局もらえませんでした。)
][<>][<>][ 菊地 謙 ][<>][<>][