日本労協連・協同総研ミレニアム記念企画

21世紀への展望 どこにみいだす

日本労協連永戸理事長、アマルティア・セン教授と語る


『日本労協新聞』2000年新年号(1月5日、509号)掲載

 2000年の幕が開きましたが、リストラが猛威を振るい、自殺者が3万人を越え、 介護を巡っても悲惨な事件が後を絶ちません。金をもうけるための市場至上主義か、市 民が自立し主体者となる新しい民主主義か、根本から問われています。20世紀はどう いう世紀であり、21世紀への希望をどこに見いだすのか。労働者協同組合、高齢者協 同組合、そして一人ひとりは21世紀にどうあるべきか。98年度ノーベル経済学賞の アマルティア・セン教授(ケンブリッジ大学)と日本労働者協同組合連合会永戸祐三理 事長が語り合いました。

「福祉とは生きがい」との説に

永戸 私たちは教授のお話に非常に心をひかれてきました。94年に雑誌『世界』で、一 橋大学の都留重人先生が「福祉とは生きがいだ」というセン教授のお考えを紹介されて いまして、そのこともヒントになって、日本労働者協同組合連合会は「労働の人間化と 地域の人間的再生――新しい福祉社会の創造」という大目標を掲げました。21世紀へ の希望をどこに見いだすか、ぜひお聞きしたいと、お伺いしたわけです。
セン 私もみなさんとお会いできることを非常に楽しみにしていました。協同組合運動 は世界の財産のきわめて重要な一部です。協同組合運動の力が歴史的にも今日も日本で きわめて強いことは承知しています。みなさんとお話しできる機会が持てたことは、う れしい限りです。

失業と国民各部分の役割

永戸 最近日本でも、失業が非常に増えてきています。市場経済の暴走、バブル経済の 後遺症と失業問題が一つになって、かなり長期的な様相で混迷を深めています。
 私は、失業のない社会、経済をどうやってつくったらいいか、そこに労働者協同組合 がどういう役割を果たせるのか、という思いでやってきました。また、働いている人や 市民が自らの可能性を広げ、社会の主体者になっていくことに資する経済学が必要にな っているのではないか、と強く思ってきました。

競争原理でなく協同原理で働く

セン 日本では最近まで失業率は低かったし、今でも欧州と比べれば失業の水準は低い といえます。しかし過去の日本と比べると深刻な事態です。
 みなさんの「日本労働者協同組合連合会」という名称には、2つの重要な言葉が含ま れています。「労働者」と「協同」です。  これは、労働者の連帯によって仕事を得て、相互の競争を本質的な原理とするのでは なく、相互の協同を原理として働くことができるということを示すものです。
 労働者協同組合連合会が労働を評価し、それゆえに失業を憂慮し、協同という手法が 指し示す諸手段を通じてその解決を考えるのはきわめて正当です。
永戸 労働者が主体者になる、ということに関してですが、たとえば雇用ということも 、労働者が政府や資本家、経営者に向かって要求するだけではなかなか実現しない。
 最近の象徴的な事件でいえば、阪神大震災で市民の生活がずたずたにされ、雇用の場 も失われた。ところが政府は公的資金で市民の生活を建て直すことには非常に消極的で 、企業もこの時とばかり首切りに走りました。
 私は、彼らに責任を果たさせると同時に、労働者・市民が自ら仕事の場をつくりあげ る事業経営能力をどうしても持たなければならないということが、ますますはっきりし てきたと思っています。

雇用責任認識しあい相互理解を

セン その点の意義や理論的根拠については全く賛成です。社会の各部分が、雇用に貢 献する多様な種類の義務と責任を有していることは確かです。
 もちろん政府には、雇用促進の環境づくりやマクロな政策、総合経済政策を作成する とともに、カルテルより雇用を高めるよう企業を管理、規制するミクロ政策を立てる役 割があります。私的セクターおよび企業家も雇用の側面に注意を払う強い責任がありま す。  日本ではこうした雇用への貢献を経済的価値の一部とする伝統があり、過去の日本社 会ではとりわけ大事にされてきたはずです。  とはいえ、それは政府や私的セクターだけの仕事ではありえません。労働者自身も労 働組合や労働者協同組合も多くの責任を引き受ける必要があります。
 国民の各部分がそれぞれの責任を認識した上で、相互理解を深め、経済社会全体の協 同をどうすすめるかが何よりも重要です。  そうすることで労働組合と労働者協同組合、雇用者および企業、ならびに政府の間の 連携作業が可能になり、雇用の拡大のために社会の様々な部分が一緒に活動することに なります。
 資料を読ませていただきましたが、日本労働者協同組合連合会は雇用を発見し、労働 者とその他の経済的要素との間に創造的な相互作用を創り出す特別の方法を編み出して きたように思われます。
永戸 私たちはそこを 「協同労働」(「work for cooperative work」と通訳)といってきました。協同労 働は本来、基本的人権であると思いますが、雇用労働だけで労働=仕事の問題を解決で きないとなった場合、協同労働が社会に定着していく可能性が強まると考えています。
 日本では労働者協同組合は制度として確立していないので、法律をつくって制度化し てほしいと各政党にお願いしているところです。私たちがまとめた法案では、労働者協 同組合について「協同労働のための協同組合である」という定義づけをしています。

既存制度に追加する制度として

セン そのことに関しては3点述べたいと思います。
 第1には、協同組合を通じて経済を組織するというアイデアは、既存の諸制度に追加 する制度として、きわめて魅力的であり、経済を豊富にするものだということです。
 協同組合が通常の雇用関係、企業のすべてにとって代わりうると考えたら大きな間違 いで、逆効果になるでしょうが、通常の賃金・雇用制度、ないしは通常の営利的ブルジ ョア制度ができないことを協同組合が行い得る、という意味で経済を豊富にするもので あり、それゆえ、協同組合はきわめて高い価値を有するのです。
 第2に指摘したいことは、法制形態としての労働者協同組合が日本ではまだ公式の 承認を待っている段階だとしても、日本の経済社会関係の中では協同がきわめて大きな 役割を果たしてきた歴史がある、通常の企業においてさえ、協同の要素が常に存在し続 けてきた、ということです。
 それゆえ、日本には協同組織をきわめて重要なものとして認めるべき歴史と伝統があ ると私は思います。法人としては新しいとしてもです。

教育が協同的経済の潜在力

 第3に述べたいことは、日本の経済は出発点の明治初期から基礎教育基盤の形成が始ま り、教育に大きな力点が置かれ続けてきたことです。経済の拡大にとっての学校教育の 重要性が最初に確立したのは日本です。
 教育および人的資源の開発に焦点が当てられたということは、別の見方をすれば、協 同的に経済に対処する条件を拡大したことに他なりません。高水準の良質な学校教育を 通じて、すべての人が知的な人間として経済活動に参加できるようにしない限り、協同 的な対処のしかたを実現することはできないからです。
 これは欧州の初期資本主義において起こったこととはかなり違った事態です。欧州で は一方に親方がいて、他方にはきわめて無知な労働者、経営者からやるべきことを命令 される労働者がいる、という構造でした。
 資本主義は政治的な価値観や社会的な背景、経済状況に応じてさまざまな形があり、 いろいろな制度と一緒に存在しうるわけですが、日本経済の成長の要因としては、市場 だけでなく、国家や社会、法的構造といった他のすべての制度、そして基礎的には教育 や公共施設を視野に入れて進めてきた歴史があるし、そこには常に協同的な要素があっ たといえるのです。
 「それは日本だけのことではない」という人もいますが、欧州の諸制度よりも日本経 済において重要であり続けた一定の協同的原理が存在したのは真実です。
 西欧では市場のことを、一人ですべての仕事をする「ローンレンジャー」と呼びまし たが、日本では市場を万能のものとは決して信じてこなかったし、協同的な労働管理の 伝統があるのです。
 したがって、労働者協同組合の法的承認を求めるということは、過去からの断絶では ないということを念頭におくべきです。日本の歴史には、あなた方が継承できる伝統や 文化があるのです。

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ケアの世界と協同労働

ケアの世界に生きる協同的要素

永戸 日本では、これまでの「重厚長大」型の産業でのリストラ―産業的な縮小が非常 に進んでいますが、一方で雇用創出ができる場面は環境、教育、情報関係、とりわけ福 祉の分野になっています。
 これは高齢者社会が急速に訪れているということもあって、政府もふくめて共通の認 識になっているのですけれども、私たち労働者協同組合は、こういった面から一定の成 果を納められるかなと思っています。
 とくに公的介護保険制度が始まりますが、この分野は本質的に利潤原理にはなじまな い分野であり、自治体と結びながら、NPOや協同組合組織が非常に力を発揮できると ころです。
 こういうところに生まれる労働の関係は、利益第一の企業に雇われ、命令されて働く 雇用労働ではなく、相手の自立をめざし、自らも自立し協同して働く協同労働であるべ きだし、コミュニティーの再生をとりわけ重視しなければならない、と提起していると ころです。
セン まったくその通りです。
 先ほども述べましたが、日本では全般的な物事への対処の仕方の中に、常に協同的な 要素がありました。この要素は良好に発展したものも、しなかったものもあるかもしれ ませんが、ケアの世界では生きてくるのではないでしょうか。
永戸 ケアの問題にもう少し分け入って考えてみると、これまで日本では、老人の介護 は女性たちが85%担っていました。しかも長男の嫁が主に担ってきたことによって、女 性たちの社会進出を大きく阻害してきました。
 この家族介護から解放して社会的介護にしようという理念を持った介護保険制度は、 日本全体に非常に大きなものをもたらしていくだろうし、労働者協同組合の役割が高ま る、と私は考えています。
 私達はヘルパーの養成講座を開き、2万人を養成しましたが、ここでも先生の言われ た教育の基盤の高さというものが重要な意味をもってくるのではないか、と強く思いま す。


性、年齢不平等は変革を要する

セン 歴史には私たちが継承できる要素と、克服し乗り越えたい要素が常にあります。
 若い女性、しばしば嫁が舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)の世話をするというような古い仕組みをとってみますと、そこには4つの異なる側 面を見出すことができます。その2つは否定的側面です。
 第1に、性による不平等があります。女性がしばしば家族の世話をし、自らのキャリ アを発展させる機会がない、という指摘でしたが、現代社会においては、これが変革を 要する否定的な要因であることは明らかです。
 第2に、年寄りが権限を持ち、若い人びとよりもはるかに大きな発言権を持っている ことです。それは、若い人びとの独立を妨げています。
 このことも現代日本においては受け入れがたいことでしょうし、変革が必要です。


高齢者への援助は人間性の基礎

 一方、積極的な側面もあります。
 つまり第3に、弱い立場の人や貧しい人には援助が必要だ、ということが認められて いることです。
 そして、高齢者に対する自発的な援助が若い人びとからなされるという事実は、人間 性の基礎的な要素を含んでおり、このことはきわめて重要です。この要素は日本がより 大規模に保持してもよいことではないでしょうか。
 西欧では自助努力が強調され、超高齢者の生活は極度に孤独であることが多く、しば しば非常に過酷な自己責任にまかされており、コミュニティーへの参加もほとんどない ままです。
 第4は、主として、人間と他者とのいくつかの関係は、市場を通じては機能せず、他 の領域を通じて機能するということです。
 最も単純なのは家族です。義理の両親を世話する嫁はその例です。この場合は、市場 ではなく、市場の外の追加的な要因として機能する制度です。そこでの関係は、賃金関 係ではなく、しばしば愛情の関係であり、別の種類の義務と責任の関係です。
 性と年齢による不平等という問題もあって、支援のための制度としての家族は今、弱 まっていますが、それにもかかわらず、非市場的な諸制度があるという事実は重要です 。それは肯定すべき、きわめて重要な事実です。
 そして私は、協同組合とは一種の拡大された家族であると考えるのです。それは、人 びとの相互の関係の中での社会的家族、協同の家族のようなものなのです。
 それゆえ、同じ制度の中に、否定的な側面、すなわち性の不平等と年齢の不平等があ ると同時に、肯定的な側面、すなわち協同の精神と援助の必要の承認が見られると申し 上げたいわけです。
永戸 家族が介護を必要とする人を手助けすることの良い面をほんとうに伸ばそうとす ると、公的介護保険制度で介護を社会化するとともに、市民自身の助け合いを支援する ような公共政策を持たなければならないと思うんですが、もう一つ、雇用の問題につい てです。

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雇用拡大と協同組合の役割

多くの斬新な出発点が必要

永戸 日本では市場経済を絶対のものとしてこなかった、必要な公共政策が存在し、い ろいろなものが組み合わされて経済成長がはかられてきた、というご指摘だったと思い ますが、今では「完全雇用」という言葉もほとんど消え去っています。
 そうかといって失業を放置するわけにはいかないし、経済のあり方が変わってきてい る。この折りに公共政策が持たなければならない最大のポイントは何でしょうか。
セン  私が研究してきた欧州の経験から判断して、ひとつの事実は明瞭になりつつあ ると思います。
 それは、失業という巨大な問題を克服できるようにするためには、多くの斬新な出発 点が必要である、ということです。
 たとえば、これまでの通常の雇用制度とは違って、厳格に組織されない雇用と労働の 制度が要求されます。雇用者の側からしばしば出てくる要求は、労働組合がもっと柔軟 であるべきだというものですが、労働組合の側にも、いままでの仕組みとは異なる制度 を考えるべきだ、という要求があります。
 これは雇用問題を扱う際に、第1に重要な問題であるし、その点で、協同組合運動に は特別の役割があります。協同組合運動は、別の種類の労働者組織を持ち込むものだか らです。伝統的な資本主義企業が雇用のために十分な体制を提供できないでいる今、協 同組合には雇用制度を多様化して雇用を拡大していく役割があります。
 第2に、支払われる賃金、報酬の率における柔軟性です。労働者と雇用者が対立的な 状況で向かい合っている時に、これを実行することはきわめて困難です。ここでも協同 組合は労働者と雇用者の間の厳格な分断と対立的雰囲気を崩すことによって、雇用を拡 大していく役割を果たすことができます。


生産者としても市民としても

 第3に、高齢者の問題と雇用の関係についてです。高齢化には考慮すべき2つの異なる 側面があります。  1つは、人々の多くが、単に長生きするだけでなく、健康で長生きするようになって いるということです。
 アメリカ全国科学アカデミーが行った研究によると、アメリカでは平均余命が伸びた だけではなく、高齢と結びついた障害の発生も減少しているのです。
 したがって、精神的な仕事で、あまり身体にきつくない、高齢者がより容易に続けら れるような柔軟性ある仕事が重要です。
 このことは、所得を得たいということと、高齢期も積極的に働き続けたい、高齢期の 生活をより面白くしたい、という両方の要求のために重要です。
 私たちは、高齢者のことを、単に消費者としてだけでなく、生産者としても考えなけ ればなりません。ここもまた、協同組合が柔軟性を発揮できる重要なポイントです。
 2つめは、きわめて広いレベルでの社会的な課題を考えていかなければならなくなる 、という事実です。
 高齢住民のための年金制度を考え、高齢住民のためのヘルスケアを考え、また伝染病 の問題や環境に関連する問題を考えなければなりません。
 これらすべてのことは、実践的、政治的な解決が必要です。それには一人ひとりの要 求を認識しあい、社会的な対話と社会的自覚を高めていくことが求められます。
 協同組合運動は、多くの事柄を国民の間での公開された対話と討議の場に導き、社会 的対話の地平を拡大するという役割を果たしてきました。ここに協同組合の重要な役割 があると思うのです。
 その際、高齢者が自らの思いを表現する機会を持つことが、きわめて重要であると私 は考えます。若者が自らの思いを表現する能力を持つことが重要であるのとまったく同 様です。
 社会は様々な部分相互の一種の協働によって成り立っていると思います。男と女、高 齢者と若者、労働している人と労働の外にいる人、労働年齢にある人と越えた人、労働 年齢は越えたけれどもなお労働能力のある人の協働です。だからこそ、お互いの思いを 述べあうことを必要としているのです。


経済全体における協同と関わり

永戸 高齢者が自らの思い、主張を表現するという点では私たちの高齢者協同組合の発想がまさにそうでした。
 さいごに、21世紀の展望と労働者協同組合の役割について改めてお聞きしたいので すが。
セン 未来を建設するために過去を利用する際には、同じ制度の中に否定的側面と肯定 的側面がある。その区別ができなければなりません。それは、単に過去を拒絶するだけ の問題でも、過去に固執するだけの問題でもありません。それは未来を建設するための 、過去についての分別ある評価という問題なのです。
 協同組合運動は、社会のさまざまな人の発言と参画を導き、国民の議論による市場と 国家のコントロールをすすめ、単に個々の協同組合組織だけでなく、経済全体における 協同というレベルと関わっていくことが求められます。人類の歴史に協同は生きており 、もっと広い協同のなかでこそ、人類の未来を語れるのではないでしょうか。
 この点に日本労働者協同組合連合会が果たしうる、より大きく、より偉大な役割があ ると思います。
 それは、欧州やアメリカにとっても教訓となりうる、創造的な役割になるでしょう。 協同組合運動は欧州ではたいへん古いのですが、なおはるかに拡大できるからです。
永戸 たいへん励まされ、責任の重大さを感じています。今日は本当にありがとうござ いました。

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コラム1   アマルティア・セン教授と労働者協同組合

中川雄一郎(協同総研理事長/明治大学)


 アマルティア・セン教授は労働者協同組合に非常に大きな期待を寄せられていた。それ を要約すれば次のようになる。
 第1に、協同と労働者の位置付けを明確にし得ること。すなわち、失業に対処するた めに「労働」を評価し、「協同」という手法を確立すること。
 第2に、協同して現実の経済に対処しうること。
 第3に、自立し協同して労働することを通してコミュニティを再生し得ること。
 第4に、コミュニティ・ケアの責任者になれること。
 第5に、協同労働に基づいたコミュニティにおける新しい社会的な人間関係を創り出 すこと。
 第6に、市場万能主義に対するアンチ・テーゼとして、協同労働を基礎にした雇用制 度の多様化と雇用の拡大とを実現する可能性があること。
 第7に、高齢者を単なる消費者としてではなく、物質的、精神的、文化継承的、サー ビス的生産者にすることができること。
 そして協同に基づいて未来を建設する重要な役割をもつこと。これである。
 私たちは、セン教授の示唆を我が物としたい。


コラム2   内橋克人さんの本にも

松沢常夫(『日本労協新聞』編集長)


 この対談は10月17日(日曜)に行われた。ご自分でコーヒーをいれてくれて、歓待 してくれたそうだ。
 この企画は7月に竹内孝仁先生のコミュニティーケア研究ツアーに参加させていただ いた際、せっかくロンドンに行くのならケンブリッジまで行って、と思い立ったところ から始まった。
 まったくといっていいくらい英語のできない私だが、ここは冒険と、地図を持たず、 ホテルから「ニア・ステーション」(近くの駅は)と聞きながら地下鉄の駅をさがして 、ロンドン駅へ。ロンドン駅は「キングスクロス」というが、「キングストーン」とか 尋ねてしまって、「ン?」とされたり。なんとか大学に到着。秘書の方におめにかかっ て要請できた。
 対談は素晴らしい内容で、「『介護の市場化』に抗してー誰が『ケアの現場』を担う のか」というテーマで行われた内橋克人さんと永戸理事長、菅野副理事長との議論のな かでも意義が深められた。これは内橋さんの「同時代への発言第8巻」(岩波書店、1999年12月刊)に収録される。
 なお、大分大学の阿部誠先生にお世話になった。お礼を述べたい。

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English versionセン教授との会見第2版速報版事前質問書会見アルバム

協同総合研究所(http://JICR.ORG)