7/13 反テロのデモ(続報)
こちらもだいぶ暑い日が続いています。松沢さんの入院を古村(兄)から聞きました。ご容態はいかがでしょうか?昨日お伝えした、テロ事件の余韻はまだ続いています。金曜日、土曜日の集会は夜通し続けられたそうです。新聞によると土曜日に集まった人は50,000人にのぼるそうです。
マドリードのプエルタ・デル・ソルの広場には、テロに対する抗議と犠牲者の追悼のための60メートルの寄せ書きコーナーができ、多くの人が自分の意見を書いています。こちらの新聞によれば土曜日はスペイン全土でものすごい数の人たちが街頭や広場で同じようなデモンストレーションをしていたそうです。その多くが若者で、マドリードでも夜通し続いていたとのことです。自分たちの問題に対して、前向きに実際に行動することができるというのはすごいことだな、と正直感動しています。結局、人の命は救えなかったけど、この行動に参加するもしくはテレビで見たり聞いたりすることで、スペインの子供たちは明らかに自分が何をすべきか、もしくは何をすべきでないかを知ることが出来ます。
今日も、スペイン語学校へ行くと、女性の先生が授業そっちのけで土曜日にどう思っていたかを話してくれました。彼女は、死刑制度には反対していたけど(現在死刑は廃止されています)、ETAは銃殺にすべきだと思ったと言います。そう言うと、彼女のお父さんが、「それをやったらETAと同じじゃないか」と言ったそうです。スペイン人気質もあるのでしょうが、政治や社会の問題について自分がどう思うか、を皆はっきり持っているように思います。20年前までの独裁政治の記憶は、まだ多くの人の中にはっきり残っているようです。
その後ちょうど12時ごろにマドリード連合会へ行くと、皆がちょうど外へ出るところでした。どこへ行くのか聞いたら、テロ反対のデモンストレーションがあるから一緒に来いと言います。連合会事務所のすぐ近くのGRAN VIAという目抜き通りまでくると、そこら中の建物から人が出てきます。普通に車が走っている道なのに、信号も構わずどんどん車道の真ん中まで人々がなだれ込み、車の流れを止めます。しばらくすると通りの西の方から拍手が聞こえてきました。引き継ぐように拍手を始めます。拍手は更に東のスペイン広場の方へ向かって続いていきます。約10分間、通りの真ん中で、ただひたすら拍手を続けるだけのデモンストレーションなのですが、ちょっと驚きました。
途中、バイクに乗った若いお兄ちゃんが、車と人の隙間を縫って進もうとすると、たちまちバイクの前に人垣ができ、進めないようにしています。おっさんたちが何事か言うと、お兄ちゃんは仕方がなさそうにヘルメットを脱いでおとなしく待っていました。10分が過ぎると拍手は止み、またそれぞれの職場にもどって行きました。何かとても不思議な気分。これは誰が組織したのか聞いたら、労働組合が呼びかけたとのことでした。今晩はさらに大きな集会が予定されているとのこと。
帰りに、もう一度ソルへ行って、寄せ書きを読んでいたら、おばさんが呼び止めて黒いリボンを胸に付けてくれました。寄せ書きに小さく「平和」と書いて帰りました。
今日は、前にリクエストしておいた、連合会の教育プログラムについての話を聞きました。ちょっと長くなりそうなので、また明日にでも。][<>][<>][ 菊地 謙 ][<>][<>][
(おまけ)
1997年7月13日付『EL PAIS』(スペインの代表的日刊紙)社説
「国家の敵」
ETAは国中の叫びを顧みず、脅迫を容赦なく実行した。ミゲル・アンヘル・ブランコは2発の銃弾を頭部に受け、両手は後ろに縛られていた。冷酷な処刑は、入念に準備され、大々的に組織され、まるですべての社会と国家を嘲弄する挑戦だった。
大規模な国民の動員は、ETA内部に存在する極右派に影響を与えなかったし、PPの若い政治家を救うことも出来なかった。しかし、彼らの勢力を推し量ることの助けにはなった。――我々は多数で、彼らは決定的に孤立している――。市民とその政治的代表者のこの連合こそが、テロリズムに対する唯一の回答である。
バスク民族主義の指導者の口から、この新たな犯罪が「ETAの自殺である」という言葉が出た。テロリスト集団は何も受けつけないことが今回明らかになった。しかし、我々はHBの支持者の中では同じことが起こらないという期待を持つことが出来る。「これほど大きな恐怖を無視しつづけることができるだろうか?」
(以下100行くらい続くが、これ以上は翻訳する時間と気力がありませんでした。あしからず。)