7/11・12 〜反テロの集会〜 |
集会に集まった市民 |
それは、金曜日(11日)の午後だった。いつものように連合会の事務所を出て、プエルタ・デル・ソル(「太陽の門」という名の、マドリードの有名な広場:通称「ソル」)まで緩い坂道を下ってくると、広場の真ん中にステージが準備され、テレビの中継車も何台が来ている。「きっと何かイベントがあるんだろうな」と思いながら近くのデパートで買い物をし、その後、10分くらい先にある公園で新聞を読んでいた。とても暑い日だった。そろそろ帰ろうかと公園のベンチから腰をあげたが、何か先ほどのイベントが気になり、バスに乗ってソルまで戻った。バスが、いつものターミナルまで行かず、途中で乗客を降ろす。警官が出て交通規制をしているようだ。野次馬根性で、人だかりがしている方へ近寄ってみる。先ほどのステージの周りに柵が巡らしてあり、そのまわりに数百人の人が集まっている。なにやら道行く人々にシールを配っており、受け取った人々は皆胸に貼っている。「これをもらわなきゃイベントに参加できないのかしら?」と思い、一応受け取り、そこに書かれた文句を読む。何だかわからないが、何かのスローガンのようだ。すばやくいつも持ち歩いている「西英辞典」を引く。書かれていた文句は
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もうたくさん!!
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暴力に反対するすべてのものたち
非寛容に反対する若者たち
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反テロのリボン
というものだった。
人々が急に振り返り、広場を取り囲むひとつのホテルのベランダから、深い藍色の長い帯状の布が交差して垂らされるのを見上げた。これは、時々見かける反テロリズムのシンボルだ。これは、きっと反テロの集会に違いない。
スペインでテロと言えば真っ先に浮かぶのが「ETA」。正式名称は「バスク祖国と自由」という名で、その名の通りバスクの独立を要求する非合法組織。フランコの時代から、スペイン政府とは死闘を繰り広げてきたが、爆弾テロなど数多くの要人殺害や無差別テロで知られている。しかし何故今日ここでこの集会があるのかは、わからない。炎天下で待つこと1時間、20人ほどの政治家?の一団が到着する。テレビレポーターがやにわに中継を開始した。
午後8時(といってもあたりはまだ明るく、日本でいう夕方)、はじめに「ミゲル・アンヘル氏」とその家族のために、5分間ほど沈黙の時間を持つ。ミゲル・アンヘルって誰???と思いながら、話を聞くがよく分からない。何らかのメッセージを読み上げているようだ。それは15分ほどで終わり、大きな拍手が何度も沸き起こる。
政治家たちが降壇しても熱気は収まらない。すでに集まった人たちは、千の単位を超えると思われ、だんだん増えてきている。自然発生的に人々は両手を斜め上に押し出し、反テロのサインを示す。繰り返される手拍子、あちこちから波のようにおこるシュプレヒコール。
聞き取れた言葉を並べると、「BASTA、YA!(もうたくさん!!)」「LIBERTAD!!(解放!!)」「ミゲル・アンヘル!!」「ETA、NO! BASCOS、SI!(エタ反対!バスク賛成!)」などというもので、これは明らかにETAに対するデモンストレーションなんだな、と思いながら、一緒に手を挙げ手拍子に参加する。とにかく老いも若きもという感じなのだが、特に若者の姿が多い。全体の半数以上が若者だ。恋人と抱き合いながら、友達どうしのグループ、買い物の途中の人たち。ステージの上では主催グループらしき若者たち数人が上気して両手を掲げている。この頃には、いつもは観光客でにぎわうこの広場は、車両の進入が禁止になり、ほとんど身動きが取れない。
午後9時。政治家たちはとっくに帰っても手拍子やシュプレヒコールは止まらない。すでに2時間ほど立ちっぱなしで、一向に終わる気配がない。疲れたので帰ることにする。帰りがけに落ちていた小さなビラを拾い、部屋に帰り訳してみる。
ミゲル・アンヘルの解放のために
ヌエストラ セニョーラ デ アトーチャ教会で
11日金曜日午後9時あなたの連帯を示してください
私たちはエリ・バタスナへの解放の嘆願署名を集めます
多分、こんな内容だと思う。このチラシを作っているのも、先ほどの「非寛容に反対する若者たち 」のグループ。スペインでは中高年が保守的で若者は革新的だと聞かされていたが、若者たちの行動力を見た気がした。どのような事件が起きているのかはよく分からないが、とにかくミゲル・アンヘルという人がETAに監禁されているらしいことはわかった。とにかく、テレビもラジオもないので、スペインのニュースは、天気予報すらわからない。
こちらの連合会の人たちは皆口をそろえて、「テレビを持っていないのかそれはかわいそうに」と言うが、誰一人として買ってやろうとか貸してやろうとか言ってくれない。たかが2ヶ月のためにテレビ買ってもしょうがないし・・・、と思いつつ、やっぱり買うべきだったかな?とちょっと後悔している。(ツール・ド・フランスも始まっているし・・・)
明けて12日、ゆっくり起きて洗濯をし、午後から食料の買い出しをしなければ、とバスに乗るが、ボーッとしていて降りるバス停を過ぎてしまう。それなら、都心まで行ってしまえと、終点のソルまで行く。昨日に比べると人の輪は小さくなっているが、昨日の柵は取り払われて、相変わらず人々が手拍子やシュプレヒコールを繰り返している。ふぇーよくやるなあと思いつつ、近くのキオスクで英字紙を買って何か情報がないか探してみる。国際紙を買ってしまったので世界中のニュースに埋もれてロイター発の小さな囲み記事が一つ。
バスクの政治家誘拐される。
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- マドリード発−警察は金曜、スペイン北部で誘拐された政治家の捜索に乗り出した。捜索は、バスクのゲリラグループETAにより定められた土曜日のデッドライン(最終期限)との競争になっている。ETAは、もし彼らの要求が期限までの満たされなければ政治家を殺害すると脅迫している。
というのが要旨。もう少し詳しく言うと、誘拐されたのはバスク地方エルムアの人民党の町会議員のミゲル・アンヘル・ブランコ氏(29)で、出勤するため家を出た直後に拘束された。当局によれば、分離主義者のグループは約500人の収監されているETAのメンバーを土曜の午後4時までにバスク地方の公共施設まで移送しなければ、死刑を執行する、と脅している。これに対しスペイン政府は、テロリスト集団のからの恐喝には屈しないと要求を却下した、とのこと。
4時といえば、その時点ではもう4時を過ぎ5時に近づいている。何人かの人は携帯ラジオや車のラジオに耳をそばだてている。そうか、だから、今日のバスの中には、反テロの青いリボンを付けた人たちが多かったのか。それにしてもミゲル・アンヘル氏はどうなったのか?30分、1時間、刻一刻と時間が過ぎる。
と、突然群衆の中から歓喜の声が上がる。皆が一斉に、広場の中心の方へ集まり出した。「何が起こったんだ??」私も、輪の中心へ潜り込む。さっきまで散発的に起こっていた手拍子やシュプレヒコールに対し、輪の中心から静かにしてくれ、との合図が広がる。一瞬の静寂が全体に広がる。群集のそこここでラジオを持った人の周りに人が集まってくる。
人々の表情が険しくなる。中年のおばさん、若い女性の目から涙があふれてきた。「もしや?」いやな予感が胸をよぎる。
「殺された!」誰かが叫ぶ。さっきまで愛想よく事情を説明してくれていたおじさんが、急に虚空に向かって「奴等を死刑にしろ!」と大声で怒鳴る。他の何人かがそれに続く。おじさんは周りの人と口論を始める。辺りは騒然とした雰囲気に。誰もが、解放を信じてこの場に集まっていただけに、深い怒りと悲しみが広場に渦巻く。私自身どうしていいかわからないやりきれない感情に襲われる。
議論する人々
話を聞く限り、今日の集会は誰の呼びかけでもなく、自然発生的なものだと言う。見た感じも、本当に普通の市民が人質の解放を願って三々五々集まって来ているように思える。単に食事や買い物に来た人でも、自然に輪に加わりシュプレヒコールに加わる。彼らに共通しているのはおそらく「もうたくさん!」というテロへの嫌悪感だろう。それはひどく当たり前の感情だと思う。一日のうちマドリードの街の中には反テロの青いリボンが増えている。建物の外壁に垂らす人、タクシーのアンテナに結ぶ人。
スペインの歴史の本を読むと、いかに人々が戦争や騒乱の中で暮らしてきたかがわかる。中世以来のヨーロッパ王室や宗教に絡む戦争はもとより、今世紀に入ってからも度重なる要人の暗殺、クーデター、王政の崩壊、内戦、弾圧など社会の不安定な時期には必ず暴力があった。フランコ後のこの20年はおそらく史上希に見る平和な時代なのではあるまいか。もう争いは十分!という人々の気持ちが伝わってきた。他のヨーロッパ諸国においても同じで、過去2回の大戦を経て、平和を求める人々の感情がヨーロッパ統合に向かわせているように思える。
その後、広場を離れ、9時ごろに友人と食事をしにもう一度ソルに戻ると、人々の輪はこれまでで一番大きく広がっていた。おそらく参加者の数は万の単位まで増えている。そのまま犠牲者の追悼の集会に変わったのだろう。いくつもの赤いろうそくが地面でゆれていた。
追悼のろうそく
食事を終え11時、まだ、全く人々は帰る気配を見せない。ベートーベンの第9交響曲「歓喜の歌」の合唱が起こる。また、あちらこちらから「もうたくさん!!」「ETA反対!バスク賛成!」「民主主義!!」などの声が上がる。人々は座り込んだり、跳ねたり、手をつないだりしながら自分たちの気持ちを確認するように、何度も何度も手拍子をし、声をあげる。小学生や中学生くらいの子供もいる。お祭りのような華やかさはまったくないが、人々の意思の力はひしひしと感じる。
ふと、日本でこのような集会が成立するだろうか?と自問してみる。正直私自身、いわゆる「民主主義」とか「平和」いう言葉には括弧をつけないと語る気にならない世代だ。むしろ、そういう言葉にアレルギーがあると言ってもいいかもしれない。彼らスペイン人は子供も若者も大人も、(もちろんここにいる人がすべてではないしこのような集会には目もくれない移民や貧困層もいるだろうが、)それでも、彼らがストレートに「自分たちは民主主義を支持する!」と叫ぶ姿には、少なからず衝撃を受けた。自分はこれが正しい(もしくは正しくない)と思ったら、はっきり口に出し、態度であらわすこと。これは基本的なことかもしれない。
この集会を見て一番(日本とに違いを)感じたのは、だれも管理しようとしないということ、警察は道路封鎖や交通整理のために出てきてはいるが、まわりで見ているだけである。政党の旗もあったが一般市民と一緒に立って手拍子をし、シュプレヒコールに加わっている。というか旗がなければ誰が政党の人かなどわからない。おそらく組織動員などは全くないんじゃないだろうか。それでも、大きな混乱もなく、ごく当然のように集会は続いていった。これが成熟した市民社会というものなのか?と思いながら、バスに揺られ家路についた。
「テロリズム=ファシズム」の横断幕
協同組合とは関係ありませんが、この2日間はおそらくスペイン全土でこの事件が大騒ぎになっていると思うので、この件についてのレポートをします。私もたまたま集会の現場に居合わせただけですが、普段の陽気でいい加減なところもあるスペイン人とはまた違う、別の面を見られたのではないでしょうか。
][<>][<>][ 菊地 謙 ][<>][<>][