ホーム


   6/19‐20 ADAPT会議 in TERUEL


前へ

次へ

 久しぶりの日報です。何故なら、先週の水曜の夕方から「テルエル」という町へ出かけており、パソコンは持っていかなかったので、物理的に日報を送れなかったのです。

 さて、そのテルエルでの会議を報告しなければならないのですが、正直あまり有意義ではありませんでした。テルエルは日本の観光ガイドにも載っているような、古い美しい町ですが、つまりは通訳してくれる人がいなくて、会議の内容はおろか、古い建物の由来も何もかも全然分からなかったということです。

 マドリード連合会から、カルロスさんというスタッフが一緒に行ったのですが、英語の話せる彼は、別のテーマの会議に出ていたので、私の参加した観光開発に関する会議では別の人に通訳を頼んでくれました。ところが、地元のスキー場の社長だという彼は、会議場(テルエルから1時間くらいの小さな村)へ行く途中は、ずっと地元のことを説明してくれたのですが、会議が始まったらどこかへ行ってしまい、結局、知らない人たちの、わけの分からない(!?)会議をずっと聞くことになったのです。

 国際会議なんかでよく思うのですが、何を議論しているのかわからない、もしくは自分と全く関係ない会議をひたすら聞くのは苦痛なものです。その上、会議の後、地元の小さな村をいくつか回って名所旧跡を案内してくれたのですが、ここでもすべてスペイン語だけなので、もうお手上げ。ひたすら人々の後をついていくだけ。そもそも、何故私がここにいるのかを説明しようにも、それもままならない。まあ、海外で言葉が通じない不便は覚悟の上だけど、やはりこういう状態に置かれると、まさに「陸に上がったカッパ」という言葉が心に浮かぶ。

 それでも、後から聞いた断片的な話を総合すると、私の参加した会議の背景はこんな事だったようです。

 アラゴン地方のテルエルの近郊は、スペイン内戦(1936-39)の戦場となり、戦後、住民は、土地を放棄して海沿いの地域へ移動してしまったため、ほとんどの土地が使われていない荒れ地になっている。平均で1000mを超える高原地域で夏も涼しく、冬は雪も降るのでスキー場があり、リゾート地としての観光開発に力を入れようとしている。観光資源としては他に、中世の城壁跡や教会、特にイスラムの影響を受けたムデハル様式の建築物などがあり、観光地としては可能性が高い。

 ここを官民あげて宣伝し、今は人がこない春秋も人が来るようにするというのが、地元の方針のようです。会議にはバスク等からも参加者がいましたが、何を発言しているのかはわかりませんでした。

 事前に「グリーンツーリズム」と聞かされていたため、もう少し違ったアプローチを予想していたら、何のことはない日本でも、地域おこしとして一世を風靡したリゾート開発のようなもの!?なんで、協同組合が関係あるの?と思ったら、要するにこの「ADAPT」のプロジェクトというのは、ヨーロッパの経済統合をにらんだ中小規模の産業支援策らしいのだ。だから、この会議も協同組合だけでなく民間会社も参加している。別に協同組合や社会的経済でなくとも良いのだろう。

 初めて地方に出て思うのは、マドリードから離れるとひたすら麦畑が続き、まだまだ使っていない土地がいくらでもあるということ。日本と比較すると面積が1.3倍、人口が約1/3。確かになあ、これだけ何も無いところだったら、スキー場作っても誰も文句言わないだろうな。カルロスさんも自分が参加した会議があまり面白くなかったと言っていました。何かとにかく3度のメシだけ食べていた2日間でした。

 個人的なことですが、以前から西洋建築に興味があり、日本の明治時代などの洋館を見るのが好きだったのですが、こちらへ来て本家の建築を見ています。特に今回は、わけがわからないにせよ、中世の教会や城壁を見ることが出来てそれだけは楽しかった。特にゴシック建築の聖堂が好きなので田舎の古い聖堂に入ることが出来きて、それだけは楽しむことができました。

 

]]]] 菊地 謙 [[[[


ホーム

次へ