開会挨拶
 
ヨーロッパの経験を私たちの運動の糧に
 

 
大 内  力(東京大学名誉教授・生活協同組合東京高齢協理事長)
 

 本日は、カッテルさん、サントゥアーリさん、ジョアヒムさんをそれぞれイギリス・イタリア・ベルギーからお招きして、ヨーロッパにおける協同組合運動の現状をうかがい、われわれの知識を豊かにしたいというのが主旨であります。

 いま日本でも労働者協同組合法をつくろうという運動が行われていますが、残念ながら、日本では労働者協同組合なるものについての認識が深まっておらず、一般の人にはあまり理解がありません。政治はごたごたし、役所も行政改革で混乱していてなかなか話が円滑に進みません。私もあちこち駆け回ってはいますが、いつ実るか見当がつかない状況です。そこで、ヨーロッパの経験を学び、われわれもこれからの運動に弾みをつけたいという主旨もあります。

 いま労働者協同組合がなぜ必要なのか、なぜ日本でも法制化を実現し一人前の社会的存在にして、その活動を大いに展開していく必要があるのか――このことについて簡単に私の考えていることを申し上げて問題提起にしたいと思います。

◆セルフ・エンプロイメントの 働き方で失業問題の克服を


 その点では、おそらく二つの視点があると思います。
 一つは、ここ数年という短期で考えてみますと、いま日本の景気はようやく底をついて少し上向いたと一部では言われておりますが、これが本物かどうかはまだ見当がつきません。しかし、仮にGDPが伸びるとか、生産が少し回復するとか、消費がちょっぴり伸びるとかということがあったとしても、皆さんもご存じのとおり、大変に深刻な雇用問題が残っております。この雇用問題というのは、多少景気が上向いたとしても改善されていくという性質のものでは残念ながらなさそうで、日本はこれから何年もの間、非常に重大な失業問題・雇用問題に悩まされざるをえないという状況に陥っています。

 一番顕著に現れているのは、企業のリストラが進み、いま企業で働いていた中堅幹部の立場にいた人が次々に整理をされて、新しい職を求めなければならないところに追いつめられていることです。

 また、若い人を中心に失業問題が重大化してもいます。高等学校を卒業する若い人は半分くらいしか職が決まっていませんし、大学の卒業生も惨憺たるありさまです。東大の法学部卒というのは日本で一番エリートのどこでも引く手あまたのところでしたが、今年春の就職率は約50%という状態です。リストラ・合理化・人手減らしという動きは、景気が多少上向いたからといってすぐ改善されるものではありませんから、こういう状況は当分つづくでしょう。

 われわれが非常に心配しているもう一つのことは、自営業――とくに都市の中小企業・商業・流通サービス業です。町を歩いていると戸を下ろしてしまって廃業に追い込まれている店がたくさんあります。また、農産物についても自由化が進み、来年から次のWTOの交渉がはじまりますが、おそらく米の関税化を含めて農産物関税がますます引き下げられます。すでに今年から米価の低落が著しくなっており、農村の方々もいまと違って、米だけつくって生活を支えることは困難になるという状況です。

 その上財政難が進み、年金をはじめ社会保障が大幅に削られていく状況にあり、自営業や年金その他に依存して老後の生活を楽に晴耕雨読で過ごそうと考えておられた方々も、改めて仕事を探して多少とも所得を得なければ生活の安定が望めないという状況になっています。

 こういうわけで、これから21世紀に向かい、ここ数年、日本では雇用が大きな問題になりそうです。そういう雇用問題にどのように対処するのか、政府や財界はいろいろな対策をたてていますし、労働組合もそれなりに苦労していますが、概して申しますと、人に雇われて働くという就職口、つまり狭い意味での雇用関係を少しでも増やしたいといった対策を考えています。もちろんそのことは重要ですが、そこで大きく抜け落ちているのは、中高年の方々の雇用や自営業の方々の新しい働き口を考えなければならない状況の中では、人に雇われる――サラリーをもらって働く――働き口だけではミスマッチが大きくなることは避けられない、という事実に対する配慮です。そういう人たちは、人にこき使われ、しかもいつクビにされるかわからないといった不安定な仕事を探すよりは、いまの永い経験・知識・技能を活かして自分にふさわしい仕事を見つけ、生きがいを見いだしながら、同時にある程度の生活の安定を図りたいという希望を強くお持ちです。

 もちろん雇用を増やすということも必要ですが、セルフ・エンプロイメント――自分自身で仕事を見つけ、自分で働いてそこからある程度の収入を得ると同時に、社会に対する一定の寄与をする――という機会をできるだけたくさんつくっていくことが、これから高齢社会を迎える日本ではとくに重要な意味を持ってくるだろうと思います。

 そういう動きは、皆さんご承知のように、ヨーロッパでは以前から進んでおり、それなりの成果を収めています。イギリス流でいう“ザ・サード・ウェイ(第三の道)”、あるいはドイツ流でいえば“ノイエ・ミッテ(新しい中道)”というような考え方の中にも、協同で事に当たり、協同の力で生活を安定させてより豊かな生活を築いていくという思想があり、政府の側、とくに社会民主党系の政権の中では非常に強く唱えられるようになりました。

 その点、日本は著しく立ち後れていますので、第一の問題としては、われわれも大いに協同労働というものを開発し、そして人々が力を合わせて、人に使われるのでなく自分たちの力で仕事をつくりだし、そこで自分たちの能力を最大限に活かす――こういうことができるような社会をつくっていこうではないかという発想がでてくると思うのです。

◆主体的な労働が より豊かな人格をつくる


 第二の問題は、より長期的に考えますと、21世紀の社会は人に雇われて働くという資本主義の経済システムが大幅に変わっていく時期に入りつつあるという感じを持っています。

 資本主義は16世紀頃西ヨーロッパから発達してきましたが、この資本主義の一番中心を成している制度は、経済学的に言いますと“労働力の商品化”と呼ばれる社会関係です。つまり、人間が持っている働く能力、人格そのもの、人間の精神的・肉体的能力を市場において他の洋服やパンと同じようにお金で売買をするという仕組みを広範につくりだし、国民の大部分を広い意味の賃銀労働者にしてしまう――こういう仕組みの中で今日の経済体制が築かれてきています。

 それはそれなりに高い生産力を上げるとか、能率を非常によくするとか、物質的豊かさをつくり上げるとかいう意味があったわけですが、よく考えてみますと、それはある意味で人間の主体性を失わせ、自分の働く能力、自分の人格を他人の支配に譲り渡してしまったことを意味します。
 かつてマルクスは賃銀奴隷という言葉を使いました。奴隷になれば人格をまるまる譲り渡してしまうということになりますが、もちろん資本主義社会における労働階級は、まるまる譲り渡すわけではございません。しかし、賃労働という形で労働の持っている主体性を奪われて、他人の計画、他人の指揮命令に従ってただ賃銀をもらうためだけに働くという立場に置かれていることは、大きな問題です。従来から、人間の解放ということが問題になるときには、賃銀奴隷の状態からいかに人間を解放するか、人格の自立性、働くことを通じて人間が人間であるということを証明できる体制をいかにしてつくるかということが問題だったわけです。ロバート・オーエン以来の社会主義の基本的なものの考え方、それと絡み合って発展してきた協同組合運動は、いずれにしろこういう意味での人間解放という思想を基礎に持っていたと申し上げていいかと思います。

 21世紀は協同の社会であるといわれるのはご承知のとおりですが、その中の大きな問題は、賃銀労働者という形――労働力を商品化して生活をしているわれわれの生活の仕方そのものを改革して、働く者が主体性を持って労働することを通じて自分の人格をより豊かなもの、完成されたものとする、そしてそれを通じて生活者として主体性を確立することができるような社会をつくっていくところにあるように思われます。

◆労働者協同組合運動は 人間完成の理想を持った運動


 協同労働と労働者協同組合の運動というのは、働く人が力を合わせて自分たちの仕事をつくり、自分たちが主体的に働くことによって、自分たちをより人間的に完成したものにしていくという理想を持った運動です。現代はまさにそういう運動が歴史的な意味を持っている時代だと感じています。

 その意味で、労働者協同組合の運動をこれからわれわれも追求し発展させていくという歴史的な課題を担っていかなければならない時期であると考えます。そういう問題意識を持ちながら、今日、より先進的な経験をお持ちのヨーロッパのお話をうかがうことによって、われわれの運動の一つの糧にしたいということでございます。暑い中ではございますが、今日、明日と積極的にご参加いただき、この研究会を成果豊かなものにしていただきたいと願ってご挨拶といたします。

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