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自分たちの手で創る「福祉の街」 ―「街づくり」の原点はコミュニティ・ビジネス ― 山極完治(東京都/東邦学園大学地域ビジネス学科)
はじめに T.コミュニティの「これまで」と「これから」 U.加速化する「地域が決め手」の時代 ―焦点は「地域生活圏」 V.コミュニティ・ビジネスは街づくりの原点 W.労協が創り出す「新しい関係性」 おわりに −コミュニティ・ビジネスの群生が地域社会を変える はじめに
不安と孤立感にかりたてられ、立ちつくす21世紀は、同時に「協働の時代」である。 今まで通用していた価値体系が崩れ、「新しい価値観」が生まれる時代。世界は大きな変化の予兆に満ちている。 「自分化」や「遊戯化」あるいは「女性化」、「高齢化」、「少子化」、そして、「ボーダレス化」といった新しい時代の潮流。 「新しい人」は、「これまでにない人」から生まれてくる。21世紀のキーワードは「女・高・障・子・外」。暮らしの場の歪みを直接肌で感じてきた、女性、高齢者や障害者、子ども、そして特に、アジアの外国人たちののなかに、生活や事業を変えるエネルギーがいっぱい詰まっている。暮らしの場を豊かにデザインするには、生活当事者としての女性の目、高齢者のサクセスフルエイジング・デザイン、障害者や高齢者のバリアフリー・デザイン、この視点を深めたユニバーサル・デザイン、子どもの目から考えるキッズ・デザイン、そして外国人の異文化から見たフォリナーズ・デザインを複合した「生活起点」の考え方が必要だ。 やはり、「新しいこと」は、きまって「これまでにないこと」から生まれてくる。既成価値にとらわれない、違った視点や発想が今こそ必要とされる時代はない。福祉、教育、環境ばかりでなく、非営利組織や地域、あるいは文化、健康、安心といった、これまでにない切り口が新鮮だ。 新しい発想の転換こそが、思わぬ視点や違った意見を取り込んで「活力の源泉」になる。活力の母国は未知の協働体験である。 活力の母国が向かう希望の島は、一人ひとりを大事する、誰もが居心地のいい「多様性に満ちた社会」である。 T.コミュニティの「これまで」と「これから」 (1)消費一色となったコミュニティ @ 地域共同体の中に、生きる上で欠かせない「貴重な自己体験」が息づいていた。生産と消費が同じ地域内で行われ、相互に助け合う協働体験、自然に働きかけ、自然と遊び、自然から学ぶ労働・生活体験を内包したコミュニティでもあった。 なるほど、濃密な閉鎖的な関係を包含した、不自由なコミュニティではあった。個が集団の中に埋没し、集団主義が浸透しているとはいえ、「人がつながっている」と実感する関係性が長く続いてきた。 A ところが、高度成長期を通じて、地域生活圏の内側にあった生産の機能が外部化し、量産ビジネスに吸い取られ、消費のみが暮らしの場に残された。ステータス・シンボルとしての「モノ」が暮らしの主役になり代わった。過剰労働と過剰消費の対構造が、いつでも忙しく自己充足感に至らない現実を引きだした。家庭や地域の機能がやせ細り、暮らしの場は生産を含む包括的な場から消費の単位へと変質した。カネの多寡が決め手となって、旧来型の協働体験に根付いたコミュニティが崩壊した。この崩壊過程を通してコミュニティが一定程度保持していた自己完結性や自立性が失われた。 B 生活の場がやせ細り、「人がモノ化」し、「人がつながっている」実感が持てないことから生じる問題点は極めて深刻だ。 a.商品の差別化戦略に立つ新商品の浸透は、ステータス・シンボルとして「モノ」が主役となり、暮らしの場に、「モノ」を介して「差別化」が持ち込まれた。 b.大量消費は大量廃棄を随伴し、使い捨て時代を誘い出した。使い捨て感覚は、草花や犬・猫を簡単に捨て、「命」がないがしろにする果てに、人間をも「捨てる」。 c.「ニューがすべて」、新商品がすぐさま旧い商品となる時代感覚は、新しくきれいなものが際立ち、いつのまにか汚いものとの適当な同居ができず、それを拒絶する感性が身につけてしまう。 d.身体全体を使い、五感を総動員した労働や遊びが消え、自動機械に任せる日常、バーチャルリアリティに取り囲まれた生活が加わり、身体感覚が喪失し、「自己力の萎縮」をもたらした。 e.「食」が疎かにされと、身体の成育の基本が失われるばかりか、コミュニケーション能力も欠けがちだ。人間教育に必須の文化を伝承されず、感受性が砕け、人間性が育たない。 この結果、少年犯罪、いじめ、警察の不祥事は途切れることはなく、社会的病理が深く沈殿している。 地域の仕事力、教育力、地域の福祉力といった総体としての「地域力」が著しく低下している。新しいコミュニティの在り方を模索しないでは、人間が自由に生きる未来図は描けない。コミュニティの再生の課題は市民協同の課題となっている。 (2)「これから」のコミュニティの基本 それでは、新しいコミュニティはいかなるかたちが期待されているのか。常に、「ありたい」コミュニティを模索しなければならない。 まずは、個々の地域ごとにもてる独自の財産を自己主張することが、これからのコミュニティの基本である。「オンリー ONE」へのこだわりが、新しいコミュニティを産みだす。 ところで、生活の場は、さまざまな生活を支える機能が有機的に結びついて成り立っており、ひとつながりの体系だった総体をなしている。 たとえば、介護ひとつとっても、介護施設があっただけでは不十分だ。ホームヘルパーやケースワーカーなど介護をする専門家がいなければならないし、介護機器や介助用具の生産・販売が欠かせないし、これを広告する媒体が必要だ。また、施設を利用するには移動手段の整備が欠かせない。こうした生活の場を支える機能性全体に着目する視点が大事なのだ。 また、これからのコミュニティは、個々人が、「こうしたい」という暮らしを多彩にデザインすることから生まれる。個々人の思い思いの暮らし方・働き方を包含した「新しいライフスタイル」の多元的なモデルの提案を抜きにしては、ネオ・コミュニティは創り出せない。 換言すれば「自分らしく」生きる個々人が交じり合い、個々人の良さを活かしあう協働する社会のかたちを創り出してはじめて、新コミュニティが誕生することになる。 以上、これらが、新しいコミュニティを考える基本であり、この集約点にネオ・コミュニティのビジョンが生まれてこよう。 (3)開放系の、自己完結型の「ネオ・コミュニティ」 @軸となる「等身大のライフエリア」 生活を支える幾つもの機能が、一定の自己完結性をもって有機的に結びついてこそ、生活の場は輝きを増す。生活はトータルな存在、「モノ」はトータルな生活の場面の一要素にすぎない。特に、生産と消費とを同じ地域の場に取り戻し、地域を変える仕事が息づく「自己完結型コミュニティ」が求められる。外部化されてしまっていた、自分たちの手で「つくる」「そだてる」「いこう」「いやす」といった機能を、暮らしの場の内側に埋め戻す「ネオ・コミュニティ」が未来型であろう。このように「ネオ・コミュニティ」は、自治体の基礎単位として位置づけられた「近隣住区」の在り方をイメージする「第三の自治」に関わる概念となっている。 ヒューマンスケールの「ネオ・コミュニティ」の原点は「未来仕事づくり」である。行政区で言えば、小学校サイズの「歩いていける生活圏」の芯の部分に、それぞれに個性的な「職・住・遊のユニット」が含みこまれている必要があろう。(文献1) この仕事を起こすことで、心身が鍛えられ、知恵や技能が身につき、地域の独自の文化や資源が掘り起こされ、継承される。仕事を通じて人が集まり、人が交わり、定住する。手元に健康と安心を引き寄せることが出来よう。高齢者の生きがいの中に、他者からの評価を受け、楽しむ「仕事」を入れないと、生きがいは薄れてしまう。 A新しい協同性を根っこに持つ「多様性社会」 「ネオ・コミュニティ」の創造は、旧来型のコミュニティがもち得ていた「良さ」を評価するからといって、それへの復権を主張しているのではない。 先ず、コミュニティが、伸びやかな自立した「個」を構成員として、他者に開かれ成熟した「個」がヨコにつながりあっている点に、「新しさ」がみられる。ここが旧来のタテ型のコミュニティや会社共同体として表現される「コミュニティ」と、大きく違うところである。 とりわけ、性差や年齢差、国籍や民族の違いを、互いに尊重し受容し合うフラットな関係性によってたつ多種共生・異質受容の「多様性社会」が、「ネオ・コミュニティ」である。 21世紀は、多様な生活者が、それぞれの長所を混ぜ合わせ、お互いの特徴を活かしあう、「自立的依存」「依存的自立」のもとで、新しいコミュニティが花開く。 持てる個性と能力を活かす、最も多彩な「協働体験」を通して得る「人がつながっている」実感こそは、人間の根源的な願いであろう。こうした新しい協同性に彩られたコミュニティが未来型コミュニティである。 ただし、この「新しい協同性」は、互いに持ち合う「共同財」の存在によって支えられるだけに、ネオ・コミュニティの成立要件には、「社会的共同財」の蓄積が欠かせないのである。 B開放系のコミュニティ コミュニティは「鎖国をしてはならない」。外の空気を取り入れ、常に外部と交流している開放系のコミュニティが持続可能な地域社会を創りあげる。雑然とした中に同居する「交じり合い」が「新しさの発見」を生み出す。異質性を受容する懐の深さがあってこそ、コミュニティは活力を増す。コミュニティにおける「インとアウト」の問題意識がなければ、コミュニティは、知らず知らずのうちに閉鎖性を持ちえてしまう。旧来型のコミュニティに後戻りしない歯止めは、成熟した多彩な個人の確立であり、実質のある多様性社会に道を拓くことにある。 海外にも及ぶ、外部に広くアンテナをはり、ネットワークで結ばれたバーチャルコミュニティも取り込むダイナミックさがあって、「21世紀型の地域コミュニティ」が、厚みのある、成熟したものに育っていく。 U.加速化する「地域が決め手」の時代 ―焦点は「地域生活圏」 本来的に、暮らしの場はみんなの共有の場でもあるから、「地域のかたち」は、市民共通の関心事であるはずだ。新世紀、ここにきて、なぜそれほどまでに「地域」に社会の注目が集まるのか。「地域」が今日的課題に急浮上した構図を解き明かしたい。 1.超高齢社会の出現 1970年から1994年まで、わずか24年で「高齢社会」を示す、高齢者人口比率14%に到達。今日、2200万人から2045年には3200万人、およそ33%に届く。 サラリーマンが、退職して20年あまりを過ごす社会、ライフステージの最後の9年あまりを、高齢女性がひとりになって過ごす社会が、「高齢社会」である。しかも、後期高齢者(75歳以上)の伸びが急速である。 社会福祉は本来的に「地域福祉」である。要介護に応える「地域のあり方」が問われる。同時に、相対的に元気な高齢者が楽しく生きる、「PPK」や「直角死」など生涯現役を支える「元気な人を増やす地域」が求められる。高齢者自身の経験や技能を活かす能動的な「ワークフェア」の考えが支持される時代にさしかかっている。(注) 今や、安心や健康をキーメッセージにした「福祉の社会化」「福祉の普遍化」が次第に浸透し、奥行きのある包括的な「生活福祉」が意識化されてきている。閉鎖的な措置による授かり福祉から自ら創りあげる、開かれた福祉へ、「社会福祉のパラダイム転換」が進行している。 「老いる」がみじめな社会はあやうく、希望がもてない。元気で自分らしく生涯を送れる地域づくりが共通する社会的な課題となっている。 (注)入院日数21日は全国平均の6割、全国で医療費の最も低い茅野市は、平均寿命がトップクラスにあり、在宅死亡率日本一である。手間のかかる高原野菜セロリを特産とする、この街の際立った特徴は、農業従事者が4人に1人と、働いている人が極めて多いことにある。仕事を持って他者からの評価を得て働くことが、予防保健の効果をもたせ、結果として医療費を引き下げる役割を果たしている。茅野市は、PPKの実践事例にみえてくる。 2.地域が主役、地域が決め手の時代 暮らしの場から「つくる」をはじめ、「交わる」、「診る」や「看る」が消え、暮らしの場は、「私的消費」の部分だけを担うようになり、痩せ細った。コミュニティの「地域力」は著しく低下した。 それだけに、真剣に身近な地域生活圏を創り出す分権社会が求められる。2000年4月に施行された地方分権一括法により機関委任事務は廃止された。しかし政府が決定した歳出枠で地方自治体をしばる根本的仕組みが残っているだけに、地方への財源委譲や自治体の自主財源確保が期待されている。 確かに財源をはじめ一定の限界があるとはいえ、社会福祉は区市町村の仕事となり、都市計画も原則として自治体が策定する、「分権と自治の時代」に突入した。職・住・遊が接近し、医療と福祉が有機的に結びつき、商店街が根付き、誰も移動自由の交通網が整備され、多様な交わりの場、憩う場がある「等身大のライフエリア」づくりが課題となる。今日、豊かな暮らしのデザインは、「地域のかたち」次第になっている。 3.量産・量販体制の行き詰まり 市場細分化戦略の徹底、終始一貫した商品の差別化戦略が繰り返されてきた。実に多様な商品世界が生み出され、「快適で」「利便性の高い」生活を手に入れたかのようだ。 しかし、際限なくが続く量産・量販システムは、自然に重い負荷を背負わせ、今や「人体の平和」を侵すほどの脅威を誘い出している。 他方、何から何までコンピュータ制御による利便性の高まりは、かえって「自己力の退化」をもたらし、身体感覚を失わせ、浮遊する実感のない自分をうみだした。新品やブランド品がすべて、持てるモノによる「人の差別化」が進む『ゆがんだ消費』を産み落とした。 何よりも、この企業戦略の繰り返しは、目の肥えた、個性化した、量産を嫌う「個客」を生み出す、という自己矛盾に逢着している。 21世紀の軸足は「個人」、均等は共倒れ、多様性を受容する個人が個人を支持する時代へ入り込んだ。Bigger is BetterからThink Smallへ、Be different、違うものになれ、ただ一つしかないものへのこだわりが生まれてきている。(文献6)そのひと、そのひとに合わせたパーソナルを大事にする「成熟した個人」が芽をふき、彼らの強い関心は、暮らしの場全体を包み込む奥行きのある豊かさに向かっている。ここでも決め手は地域の在りようだ。 4.新世紀はHerstory、「ウーマノミクス」(女性主導経済)の時代 「個客」の暮らしぶりが大事にされる時代には、女性の生活当事者性が活かされる。女性が「使い手」であると同時に、「つくり手」として商品開発の意思決定に参画するようになれば、シビアな目を持ち、最も熱心な使い手であり、生活者や消費者とつながっている女性たちが最高の「創り手」になる。最も重要な情報は当事者が握っているから、これを活かした結果、売れ筋の生活財やサービスが創られる。 また、「女性化」の波に洗われて男性中心のタテ型社会が問い直され、フラットなネットワーク型の社会が始動する。会社でも、家庭でも、地域でも、男女の新しいパートナーシップを確立する多様性社会への、第1歩が始まっている。 特に、女性の高学歴化⇒高就業率化⇒長期勤続化の連動関係、あるいは共働きの定着は、ウィメンズ・マーケットを浮上させ、経済の活性化を引き起こす。女性の所得は、納税額を増やし、女性が主役の個人消費を引き出し、貯蓄・投資に新世界をもたらす。 仕事と家庭の両立を可能にする環境整備が社会的に求められることにもなることから、商店街や駅前に保育所を設立する、といった新しい仕事が生み出される。 Herstoryの時代は、生活当事者性の拠って立つ暮らしの場に根ざした、新しい暮らし方を提案する「ウーマノミクス」を拓くことになる。新しい女性主導経済の在り方からも、地域に注目が集まることになる。 5.21世紀はリーディング産業交代の時代 「構造改革」と雇用創出・個人消費の引き上げを同時に解決するビジョンの提案こそが求められる。一段と成熟した生活を願うなら、これまでネグレクトされ続けられてきたものたちのニーズを自己充足する産業創出の必要が生まれてきている。 サービス産業は新産業の宝庫。「健康」、「福祉」、「教育」、「安全」、「環境」、「文化」が明々後日の技術である。(文献5)多数の小さな市場を集めた「多幹型」の産業、「個客」を捉える、地域に根をはる総合的な生活産業に期待感が寄せられる。 「福祉は投資」、「プロダクティブ・ウェルフェア」という新しい基調が生み出されている。労働集約的な福祉サービスは、福祉関連の設備投資の拡大と共に、雇用創造・経済成長に大きく寄与する。 以上、「暮らしの場のかたち」が注目されるに至っている。21世紀のトレンドは、「最小単位から発想」である。 現代マーケティングのオピニオンリーダーである谷口正和氏は、「Think maximum Act minimum、最大範囲で考えて、最小単位で行動せよ」と主張されている。(文献6) 地域は段階。北九州市は先ずは、歩いていける距離にある窓口を意識し、「福祉サービスのコンビニ化」を標榜し、福祉行政の最小単位として市内136の小学校レベルの取組みを位置づけている。次に、区、そして全体を包括する市レベルへと段階を踏んで、地域を捉える視点が必要だ。 この暮らしの場における「最小単位」である「等身大のライフエリア」の個性とその完成度を掘り下げ、全体として「こうありたい」と願う「地域のかたち」を創り出す作業はワクワクして楽しいに違いない。 V.コミュニティ・ビジネスは街づくりの原点 ネオ・コミュニティづくりの核心は、地域発・市民発の内発的な仕事づくりである。コミュニティ・ビジネスは、地域を創り変える原動力として位置づけられねばならぬ。 さて、規制緩和論者として知られる内閣府特命顧問島田晴雄がいう「生活直結産業」あるいは新・生活産業創出コンソーシアムによる「綜合的な高齢者ケア産業」、小田急電鉄が始めた「生活総合支援センター」、ミサワホームが今年1月から始める「ライフ・サポート」とは、どこが違うのだろうか。また、従来の商店街を構成する自営業や地域の中小企業と比べて、どこに違いがあるのだろうか。 1.コミュニティ・ビジネスの規定づけ (1)「ネオ・コミュニティ」のビジョンに貫かれているビジネス コミュニティ・ビジネスには社会的なメッセージが込められている。社会性や公共性に基づく事業行為から生み出され、経済行為に人間のモラリティを重ねる新しいビジネスモデルが、コミュニティ・ビジネスである。これは、社会性と営利性の両立を図るものである。 従って、利益も社会性のある適性利益を標榜することから、ボランティアと協働し、行政や企業とも協働関係を創る素地を持ちえているビジネスとも表現できよう。 より具体的に、協働するには、羅針盤となる共通の街の未来図が必要である。この未来図自体が、市民や行政や企業が参加する協働行為として描かれていればいるほど、地域的な協働は内容の濃いものになる。コミュニティ・ビジネスは、「新しいコミュニティ」づくりの一環を担う事業であり、人が集まる「街のビジョン」に裏づけられた社会性持つ生活総合ビジネスである。 言い換えれば、コミュニティ・ビジネスは、「ネオ・コミュニティ」を創る芯の部分に位置している。コミュニティ・ビジネスは、地域生活圏の未来図に、常に目配りして、この全体像を実現する願いに満ちたものだ。 従って、コミュニティ・ビジネスは、単なるビジネスチャンス=「雇用拡大」期待論とは違う。新しい社会ビジョンもなく、生活当事者感覚を活かした地域社会の未来図も描かれていない、地域の課題意識も脆弱で、「市場」の内側にとどまった「新産業創出論」がおおくみられる。量産型の市場経済を組替え、「生活と仕事が両立」する新しい暮らし方や働き方を創る発想がないのである。 ただし、「生活直結産業」などにみられる行政や民間の動きを批判的にみつつも、これまでにない新しい動きとして注目し、違う立場からも学ぶことが必要となろう。 (2)生活当事者性に立つ市民が主役の仕事おこし 不良債権の処理を進める構造改革、高失業率、高倒産、国や自治体の累積赤字と税収難、デフレ基調が展開するだけに、内発性の高い市民発の仕事おこしが必要だ。 最も熱心で肥えた目をもつ生活者、その生活当事者の自己体験こそが、新しい商品やサービスを開発する原動力である。「コミュニティ・ビジネス」は、最も適確に生活者のニーズを掘り起こし、これを実現する、暮らしの現場に根ざした生活当事者性に立つビジネスである。つまり、コミュニティ・ビジネスは、生活者と直に向き合い、地域を深く知る「強み」を持つビジネスである。 とりわけ、コミュニティ・ビジネスは、「地域を創る学びあい」を通じて、第1に、地域の資産を棚卸して、地域の独自性のある資産を編集し直す事業モデルである。第2に、地域の切実な具体性のある課題を把握し、地域問題解決型のビジネスである。コミュニティ・ビジネスは、「自分たちが主役」と自己認識し、自ら必要とするものを創り出す、地域と共に歩む新ビジネスとも表現できる。 その際、神野直彦が主張するように、地域の求心力を発揮する「地域力」を培うためには、地方分権の推進による「現物給付による社会的セーフティ・ネット」張替えと同時に、新産業創出の前提条件として「社会的インフラ・ネット」の張替えが必要なる。(文献8)この二つの「社会ネットの張替え」に支えられて、地域雇用創出の最も有力な手段としてコミュニティ・ビジネスがその役割を発揮する。 (3)地域雇用新政策を担うコミュニティ・ビジネス コミュニティ・ビジネスを抜きにしては、「地域雇用政策」は語れない。この新ビジネスにより直接的・間接的な地域の雇用創造効果が生み出される。特に、ここでの雇用創造は、「実需」であり、実体経済づくりに寄与するものである。 いずれ地域における個性的なコミュニティ・ビジネスが一般化する段階になると、個々の事業が互いに事業連鎖を誘い出して、全体として「大きなビジネス」を生み出すことになる。コミュニティ・ビジネスは、こうした「事業連鎖の戦略図」に立った未来志向のビジネスである。 (4)「新しい公共」を担うコミュニティ・ビジネス コミュニティ・ビジネスは、行政や企業それぞれ限界点を超えた、両者によっては解決できないニーズに応えるビジネス、つまり、非営利セクターの本来的役割を担うビジネスといえる。 しかし、同時に、企業と市民と行政との新しい協働する関係性にあって、市民の内発的、能動的な行動を支える地域のネットワークが「新しい公共」(public)を紡ぎだす。「第三の分権」を徹底する新しいビジネスモデルが、コミュニティ・ビジネスである。 のびやかにヨコでつながり、市民の側から創りだすコミュニティ・ビジネスの群生がいずれ分厚い非営利セクターを形成する。 (5)地域の文化を創り出すコミュニティ・ビジネス この地域に根を下ろすビジネスは、ここを通して地域内側に人の交わり(ヨコの関係としての人間交際)を再び誘い出し、地域の教育力を引き出し、新しい成熟した人間関係を生み、コミュニティを元気にする。 コミュニティを実体化するには、顔と顔を向け合い、相対で協働する文化の創出が不可欠である。コミュニティ・ビジネスは、雇用創出をはかるだけでなく、開かれた、新しい協働する文化を創りあげる。地域の伝統に新しい文化性を盛り込んだ街づくりを支えるコミュニティ・ビジネスが、街の成熟さを引き出すことになる。 以上、5つの性格づけが、コミュニティ・ビジネスと他の似通ったビジネスとの違いである。人は、生まれてから育ち、働き、介護の時を織り込んで死を迎える。こうした時間軸を包括する人間のライフサイクル全体を支える生活サポート産業こそがコミュニティ・ビジネスである。と同時に、暮らしの場は、本来的にその場の総合性や包括性を支える多様な諸機能があって成り立っていく。この空間軸からみた、暮らしの場を支える機能を有機的に結びつけ、互いに事業効果を受け取って成立する総合性・包括性なサービス全体がコミュニティ・ビジネスを構成する。生活者と「近・小・密」の関係性で確立される地域事業モデルである。 この意味でコミュニティ・ビジネスは、断片的、部分的なサービス提供ではなく、生活や地域社会を支え、奥行きのある成熟した場に高めていく、仕事の連鎖体を包み込む、優れて『生活総合産業』の性格を有しているのである。 2.コミュニティ・ビジネスが「ひとりだち」する3つの課題 (1)コミュニティ・ビジネスに内包する事業連鎖の誘い出し 生活はひとつながり、生活の場を総合的に見つめる全体的視野が必要だ。この生活を支える機能のつながり、そのコンビネーションに目を向けると、生活の場に必要な事業の連鎖が想像される。もともと「生活総合産業」は、この事業連鎖を根拠に置き、暮らしの場を豊にデザインした発想である。 地域生活圏に張りめぐらされた医療・福祉(主に介護・育児)、健康(農業、スポーツ、遊び、文化)、家事支援、そして癒しをはじめとした諸事業が地元商店街と事業連鎖を引き起こし、労働集約的な産業を刺激して直接的な雇用効果を生み出す。これは、同時に、ヒト・モノ・カネ・情報の地域内循環を誘い出す。 たとえば、介護をキーワードに、ショートステイ、デイケア、老人ホームなどケア施設⇔入浴をはじめとした在宅介護サービス⇔移送サービス⇔食事などの宅配・共同食堂⇔介護を想定したユニバーサル・デザインによる高齢者向け住宅の設計・建築・リフォーム⇔介護・介助の福祉機器の製造・販売(レンタルを含む)⇔福祉系の雑誌・福祉放送をはじめとする地域メディア⇔福祉関連の教育事業⇔介護関連の情報機関やカウンセリング施設⇒介護から解放する生活リハビリやリクリエーション等々事業連鎖が誘い出される。それぞれの事業分野が互いに利益を引き出す経済波及効果が生まれる。「先端に利益がある」。その先端は、暮らしの場の中に隠されている。 (2)「オプションマップ」の提案−個性的な街づくりへの道 社会的な使命と地域の独自性を盛り込んだ「こうありたい」と強く願うバーチャルシティを、市民参加によるワークショップで丹念に描き、その選択肢の中から、当面必要な課題を市民が自ら選択し、決定する。この一連の作業を「オプションマップ」づくりと呼んでいる。そのビジョンの心棒にコミュニティ・ビジネスを位置づける。「女・高・障・子・外」の時代に相応しく、多様性を受容する参画がポイントである。 たとえば、「中学校規模で『生活者の政府』(住区協議会)を創設」し、「日々生活を営む近隣住区を生活に密着する計画や事業の立案、実施主体と位置づけ、住民自身が新しいパブッリクの担い手であることをはっきり打ち出すことの出来る『生活に密着した自治の仕組み』を構想しておく必要がある。」(新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)『日本人のもうひとつの選択―新しい都市(まち)の論理』−生活者起点の構造改革 27ページ−28ページ) その際、街づくりの土壌を創る「地域の教育力」が欠かせない。たとえば生涯学習や再職業教育、女性の起業講座など、学習の場の組織化が必要だ。学習型の街づくりは、市民発の参加・交流型の街づくりに欠かせない手法である。 (3)コミュニティ・ビジネスの事例研究 コミュニティ・ビジネスの担い手となる企業形態、先例となっている多数の事例研究を積み重ね、成功への道筋を明らかにしたいものだ。 @コミュニティ・ビジネスの幾つかの形態 協同組合をはじめとするNPOが、コミュニティ・ビジネスの趣旨に適う最も適合的な形態であろう。しかし、同時に、特に、商店街や、地域生活を支える有限会社や株式会社の形態を取る中小・零細企業も、コミュニティ・ビジネスの形態として許容されよう。 A先例となるコミュニティ・ビジネス 福祉、環境、食品加工、観光、商店街の活性化、まちづくり等々暮らしの場を変えるコミュニティ・ビジネスが誕生している。 「COCO湘南」に見られるグループホーム、早稲田ウェーブ、コミュニティ・ガーデンづくりを進めるアトリエ土里夢など多数の事例がある。これからの課題は雇用を十分に支える力を養い、「成功モデル」を創り出すことである。 W.労協が創り出す「新しい関係性」 街づくりは包括的な総合的な課題であるから、タテ割り行政ではこの課題についていけない。高齢者問題に代表される個別性の高い課題であればあるほど、多様性を認め合うことではじめて解決の道筋がみえてくる。 限られた福祉予算のままでは、画一的な福祉ミニマムは高止まりする。福祉予算とその配分が現状のままでは、行政がきめ細かなサービスをするには限界がある。また、企業は、新しい商品やサービスを創造する固有の力を持ちえているが、価格と言う単一のモノサシに集約される制限がある。いずれの場合も、それだけでは多様性を受容する商品やサービスを提供できない。 21世紀は、もはや経済的価値だけが支配する時代ではない。また、「お上」に「公共」を任せる時代でもない。企業と市民と行政とが対立するのではなく、それぞれの固有の価値を認め合って、むしろお互いの価値を引き出せるような、ワクワクする『新しい関係性』を創りあげる新世紀に入ったのである。 このビジョンを推進するには機動的でフラットなネットワーク組織の確立が急務である。三者を代表する存在が、ぶどうの房のようにクラスターを形成し、共通のビジョンのもとにヨコでつながる組織を創りあげる努力をせねばならないところに来ている。日本的な第三の社会的モデルとして、マーケティング・ミックスにならい、「公・共・私」のセクター・ミックスの構築が待たれるところだ。これらが主体となって、参加型「オプションマップ」づくりが推進されると、未来志向の街の戦略図が次第に実質のあるものに育っていくに違いない。 そこで、労協の課題は、こうした「新しい関係性」を汲み取って、その重要な担い手として、いかなる独自性を発揮しうるか、である。 1.行政と労協との「新しい関係性」 (1)それぞれの独自性を尊重し、フラットな関係が築けないか。 行政が十分には市民活動を信頼するに至っていない現実。根底には「お上」意識が残るし、タテ割り行政の生活習慣から抜け出していない。 他方で、市民活動の側にも信頼感を寄せてもらう実績づくりが求められる。両者がフラットな関係性を創りだし、これをどれだけ維持・発展できるか、がこれからの課題だ。 ところで、労協が進める「委託事業」は行政との協働事業を推進する絶好の機会となる。それだけに、今後、労協として「街の未来図」をできるだけ大きく描き、協働作業に値する「街づくりの提案能力」を培う自己努力が必要となる。この協働作業は、老人ホームを始めとした行政サービスと地域福祉事業所とをつなぐ領域を発展させうるのである。新しい行政と労協との関係づくりを拓く、重要な意義ある事業展開である。 (2)変わる「街づくりの手法」 同じく委託事業を進める民間企業は、必ずしも行政の在り方には関心を寄せないものだ。効率の一文字が肝心である。採算性が取れないと判断すれば、一般にスポーツ部は廃止され、文化は切り詰められる。この点にこそが委託事業獲得の根拠がある。 宝島社はその前身鰍iICCの時より、自治体ビジネスに注目し、地方自治体のおしゃれな要覧づくりを手掛け、一時は本業の出版事業を超える人員を投入していた。このビジネスの世界で草分け的存在であった宝島社には、このビジネスはない。10年がかりで撤退したという。撤退に至った第1の理由は、自治体の財政難による委託予算の削減である。 しかし、何よりも大きい第2の理由は、委託のあり方が根本から変わったからだ。つまり、92年都市計画法の改正で始まった自治体の都市計画マスタープランづくりには、住民の意見の反映が義務付けられている。ここから街づくり協議会などによる「市民原案」づくりに始まる、「市民参加型」の方式が大きく進み始めたのである。コンサルタントへの丸なげは、どこでも同じ企画書の提出を招き、地域の独自性が失われかねない。また、今や、情報公開とITの浸透により、コンサルタントの企画や報告書の情報は、企業も市民も即座に知ることとなり、その使いまわしは批判の対象になる。つまり、民間のコンサルタントによる委託事業は、参加型による地域発の街づくり事業にはなじまないのである。 こうして、労協が内側に専門能力を養い、提案能力をつけると、街づくりの重要な担い手となりうる、社会的背景が生まれている。 (3)行政の末端機構とならないか。頼まれ仕事に限界はないか。 委託事業は安上がりで行政の手足にすぎず、本来の労協の進むべき道を逸脱していないか。また、頼まれた仕事では労協の将来がないのではないか。こうした問題をいかに考えたらよいのだろうか。 自治体が直面する財政の現実を直視すると、行政が行き届かない領域を「補う」委託事業は、半ば公共の事業を担い、予算の適正執行の観点から独自の意味を持ちうるのである。 それだけに、委託事業費の切り下げについては、「新しい公共」を担う仕事の社会的な評価づけを求め、適正価格を探る必要があろう。 しかし、他方で、自己開拓する芯となる自主事業を確保する「自己努力」が欠かせない。つまり、「労協オリジナル」が問われている。 「特殊な音色」を響かせる、「独自の色合い」を描き出す労協づくりが求められている。今の時代にあった相互助け合いの仕組みをデザインすることにかけては抜きん出た実績がある「社会的組織」となれるよう、望みたい。 従って、委託事業と自主事業は「二つで一つ」なのである。 2.民間企業と労協との「新しい関係性」 行政セクターの動きに注目しつつ、他方で民間セクターから批判的に学ぶことも忘れてはならない。 とりわけ、現代日本において、民間企業は決定的な基本制度となっている。企業は、政府の産業政策や国家予算に敏感に反応し、景気の動きを多角的に分析し、マーケティングの経営手法を駆使し、採算に乗る事業分野の開拓に膨大なエネルギーを注いでいる。 現代感覚にあふれるドラッカーは、経営者の職務として、第1に、顧客を創造するマーケティングとイノベーションをあげている。第2に、目標を設定し、これを統制する管理者の管理の必要性を説いている。第3に、働く人間と仕事の管理を強調している。そして、経営者に必要なものは、専門能力、経験以上に人徳を求めている。以降の経営実践を通じて、この経営職務論が高度化してきている。 また、今日、革新的な経営者は、採算性を確保するには生活者と直に向き合い、そのニーズを拾いあげる必要性を実感している。経営者の中には、自社の維持・拡大に自己責任をもつ当事者として、高齢社会やウーマノミクスに向き合い、将来のビジネスのあり方を真剣に考え、旧来型の経営手法の自己革新に取り組むものが登場している。 行政とその担い手の当事者性を良く知ることが必要なように、企業経営手法や組織、経営者の当事者性をよく理解することが欠かせない。 少なくとも株式会社と言う企業形態それ自体が悪いのではなく、この存在を競争本位に走らせる「社会の在り方」をまず問われなければならぬ。それだけ、この社会を構成する個々人が、自らの価値観や考え方、暮らし方や働き方を、当事者として厳しく見直す必要がある。必要なことは、自分たちは「こうありたい」とする未来社会や働き方を多彩に描き出し、国民共同利益に寄与する『提案』づくりである。 企業を一律に「仮想敵」として、その反発力の強さ引き出すことを運動の原動力にするには、企業を取り巻く環境の大きな変化にそぐわない。現状では、むしろ、互いが協働作業を進め、生活社会のビジョンを提案し、これを実施に移す過程で「新しい関係性」を築く前向きさが評価されよう。特に、商店街の自営業者や中小零細企業との新しい関係性づくりは、労協の「新しい課題」である。 しかし、他方で、利益以外の事業動機を持つ「労協オリジナル」が問われることになる。この独自性をもって民間セクターと競い合いしつつ、一方で協働する新しい関係性を創る柔軟な対応が求められるのではないか。 以上、行政と労協と民間のとの新しい関係づくりには、日本型生活福祉モデルを意識した、綜合的な視野に立つ共通の「街のビジョン」が必要だ。 労協は、常に、その独自性を練り上げつつ、市民や行政、企業を巻き込んで、このビジョンを大きく描き、これを実現する確かなリーダーシップを発揮する。 労協が、対等なパートナーとして行政と市民と民間企業との協働作業に深く参画することで、労協の「社会化」が進む。この地域社会に労協を開くプロセスにおいて、労協は次第に社会の中での存在感を増すことになる。それには、労協の担い手自身が、身の丈・身の幅でもう十分に人間的な魅力を身につけねばならない。高い「社会的評価」を得るほどの提案能力をもちえなければならない。 こうした社会の実践で十分試されてこそ、地域社会に根を深くのばした末広がりの未来が労協に約束されることになろう。 おわりに―コミュニティ・ビジネスの群生が地域社会を変える 新世紀は中央国家より地方政府が優位の時代になる。再生の希望は「新生コミュニティ」に託される。その芯に「市民発の仕事づくり」がある。 量産・量販システムとは質的に違う、独自性のあるネオ・コミュニティを創る「コミュニティ・ビジネス」が新しい時代潮流。街づくりを活動分野にあげるNPOは、99年のたった59から、01年には1273に急増した。 街の資産を再編集し、街の社会的課題をニーズに変えて、自分たちの力で新しいコミュニティづくりを進め、新しい働き方、暮らし方を創り出す「コミュニティ・ビジネス」は実に手応えのある課題である。 21世紀の時代を見据えた地域社会のビジョンを展望した地域「仕事おこし」は、地域政策の新機軸となるものだ。「希望の島」を拓く魅力に満ちた事業モデルにコミュニティ・ビジネスが立っている。 (参考文献) 1. 生活圏の在り方をめぐっては、財団法人アーバンハウジング「等身大のライフエリアづくり」(『高齢者向け住宅の供給のあり方に関する調査研究』座長 服部岑生千葉大学工学部教授 東京都立大学講師秋山哲男、東邦学園短期大学教授山極完治ほか、建設省住宅局住宅政策課及び大京企画部のオブザーバー参加による報告書 1999年3月)を参照されたい。後に発表された経済企画庁「歩いて暮らせる街づくり」構想や経済対策閣僚会議『経済新生対策』(平成11年11月11日)には、この「等身大のライフエリア」構想と共通する内容を含んでいて興味深い。 2. 11年度通商産業省委託事業『商業集積開発・運営適正化調査−コミュニティ・ビジネスの中心市街地における役割と今後』(商業ソフトクリエーション 2000年3月)(委員長山極完治東邦学園短大教授 澤登信子ライフカルチャー代表、細内信孝ヒューマンルネサンス研究所主任研究員、桜井一郎早稲田ウェーブ取締役、赤間 透足利街づくり会社社長、オブザーバー加藤敏春通産省生活産業局サービス課長、小川 潔通産相中心市街地活性化室長ほか) 3. 細内信孝・加藤敏春・山極完治『市民起業(コミュニティ・ビジネス)ガイドー少子高齢社会を支える』(日本短波放送 1999年7月) 4. 内橋克人『共生の大地』(岩波書店 1995年)、内山 節編著『市場経済を組替える』(農村漁村文化協会 1999年)、企業環境学研究会『企業と環境の新ビジョン』(中央経済社 1995年)、山口義行・小西一雄『ポスト不況の日本経済』(講談社現代新書 1994年) 5. 加藤敏春『創業力の条件−チャンスに満ちたマイクロビジネスの時代』(ダイヤモンド社 1999年11月)同『マイクロビジネス』(講談社+α新書 2000年9月) 6. 谷口正和『ライフスタイル市場』(繊研新聞社 1999年5月)、同『21世紀のコンセプト 小さな人生』(東洋経済 2001年2月)同『「最小単位」の市場戦略』(かんき出版 2001年7月)および浜野安宏『ライフスタイル系−生活創造型産業の時代』(東急エージェンシー 2000年5月) 7. 米田清紀『実践エリア・マーケティング−地域価値最大化の戦略』(日本経済新聞社 1996年8月)および井関利明・室井鐵衛編著『生活起点発想とマーケティング革新』(国元書房 1991年3月) 8. 神野直彦『「希望の島」への改革−分権型社会をつくる』(NHKブックス 2001年1月) 9.三和総合研究所『21世紀の生活福祉サービスの在り方に関する研究会報告書』(1999年9月) および通産省生活産業局『民間介護・生活支援サービスに関する研究会(中間報告書)』(平成11年12月) 10.渋川智明『福祉NPO−地域を支える市民起業』(岩波新書 2001年6月)、小暮宣雄・大和滋編著『現代のまちづくり』(丸善ライブラリー 2000年9月) |