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ピープル・パワー ―イギリスにおける市民社会の役割― はじめに 市民社会とは何か イギリスにおける市民社会の規模と範囲 市民社会を定義する イギリスにおける市民社会の歴史 20世紀末における市民社会 イギリスにおける市民社会の組織の今日的な役割は何か 1997年以降の展開と最新の政府の政策 意思決定と政策形成への市民の積極的な参加とそのための民主的手続き 将来の課題と発展の可能性 はじめに
私は、現在のもっとも興味ある、そしてもっとも重要な思想の1つだと思われる事柄について私の考えを皆さんに述べる機会を与えてくださったことを大変嬉しく存じます。 私はまた、この講演後に皆さんの意見をお聞きすることのできるディスカッションを大変楽しみにしております。特に私と異なる意見をおもちの方々には、私たちの有益で自由闊達なディスカッションを通じて、相互の理解を押し進めていきたいと思います。 私がお互いに有益でありたいと心から望んでおりますこの講演は、本日の司会役を務めます明治大学と、「英国研究−UK NOW」のアイディアを元々おもちになっていて、寛大にも私が今日ここで講演できるようにしてくださったブリティッシュ・カウンシルとの厚いもてなしがあればこそ実現できたわけです。「市民社会の思想」がもつ能力は、この名声ある明治大学およびブリティッシュ・カウンシル、それに今日ここに参加されたすべての方々とが私たちの注意を引き付けるに相応しいものだという事実によって十分に証明されているでしょう。 現在の日本は、私たちが市民社会について考える際に、すなわち、この国のより包容力のあるガバナンスにおいて市民社会が果たすことのできる役割は何かということ、また一層改善された社会をもたらすのに市民社会の組織がなすことのできる貢献は何か、ということを考える際に大変刺激的なステージを提供してくれている、と私は思っています。ご承知のように、イギリスは市民社会の非常に長い伝統をもっていますので、イギリスにおける市民社会の歴史的な展開の特徴を述べることによって、また現在の状況と現に私たちが直面している諸課題とについていくつかの見通しを提示することによって、私たちのこれまでの経験がそれだけで興味を覚えさせることになるでしょうし、日本における市民社会の将来的な発展について皆さんの考えを促すのに何ほどか役に立つことができるかもしれない、と私は期待するものです。 「市民社会」とは何か 「市民社会」は、多くの国々の政治家たちの口から、また多くのさまざまな政治的イデオロギーを代表する人たちから実にしばしば聞かされる言葉である。また「市民社会」の理念についてのアカデミックな関心もこのところ急速に高まってきており、もっとも高い評価を受けている多くの大学では「市民社会研究センター」が設置されるようになっているほどである。ジャーナリストも市民社会について書いているし、宗教指導者も市民社会を引き合いにだすし、実業家も市民社会の一翼を担いたいと思っている。そこで、「市民社会」をインターネット・サーチに記して検索してみると、市民社会に言及している何百、何千のウェブ・サイトがリストにあげられているのである。それにしても、市民社会とは何であるのだろうか。 私はこれまで、きわめて多様に見え、まったく異なった活動を企図し、そしてさまざまな手段を通じて資金調達している、実に数多くの組織を呼称するために用いられる言葉を耳にしてきた。例えば、イギリスの市民社会には国際的な開発慈善事業組織=オクスファム1)のような非常に大規模な組織が存在している。オクスファムは、年々の売上高がほぼ1億ポンド2)に達し、多数のスタッフを雇用して世界中で活動しており、その「ブランド名」は有名で広い範囲にわたって尊重され、しばしばメディアにも登場するので、その意見に政府も耳を傾けざるをえない。また他方では、イギリスの市民社会には売上高わずか数ポンドしかない非常に小規模な組織がいくつも存在している。これらの小規模な組織は、無償のボランティア・スタッフによってすべて運営され、活動の範囲も狭く、いくつもの通りや町を越えて人びとや物事に影響を及ぼすほどの力量を備えておらず、また影響を及ぼそうとも願っていない。これらの小規模な組織は、例えば、地方の高齢者に娯楽や余興を提供するために存在している私のホームタウンに見られる組織であったり、講演者を組織したりあるいは自分の町の発展に関わるニュースレターを編集したりする歴史同好会であったり、あるいはまた迷い猫や犬を協力して一時的に引き取って、新しい飼い主を見つけようとする地方の動物愛護者の会であったりする。 イギリスにおける市民社会の規模と範囲 私は、私が暮らしている地域で見られるいくつかのタイプの地方的な市民社会の組織に触れることで市民社会に言及してきたので、ここで少々立ち止まって、イギリスにおける市民社会の組織の現状と規模について簡潔に述べてみることにしよう。 イギリスには現在、およそ18万のチャリティ組織3)あるいは非営利組織(NPO)が登録されており、さらにまたほぼ同じ数の非チャリティのボランタリィ組織が登録されていて、合計するとおよそ40万のボランタリィ組織が存在し、イギリス人の成人の100人に1人がいずれかのボランタリィ組織に加入していることになる4)。これに加えて、イギリスのコミュニティには100万を超える非常に小規模な地方的な同好会や団体(アソシエーション)が存在していると推定されている。多くの他の国々におけるのと同じように、イギリスにおいても市民社会の組織は成長しており、昨年の例で見ると、チャリティ法に準拠して新たに登録された全国のNPOは5,500組織であるが、この数字は毎日15のNPOが新規に登録されていることを示している。 最近の研究は、イギリスの成人人口のおよそ半数は毎年何らかの種類のボランタリィ活動に参加していていることを示している。これらのボランティアは、学校運営の協議からエイズ患者と一緒に生活している人たちの支援運動を促進するのための基金を調達することまで、実に幅広い活動を行なっている。ボランティアの数は有償のスタッフの40倍以上だと見なされていることから、イギリスの市民社会は、このようなボランタリィ活動なしには機能することができない、と言っても決して誇張ではないだろう。また市民社会の組織のイギリス経済への重要な貢献を注記しておくことも重要であろう。このボランタリィ・セクターは、およそ50万人の人たちを雇用しているし、年当りおよそ200億ポンドの収入を得ているのである―この年収入は、ある評価によると、イギリスの国内総生産(GDP)の10%を占めているのである。 もちろん、イギリスの市民社会を構成しているさまざまな組織の間には大きな相異もある。規模が非常に大きく、財務も強力な組織は少数であるし、またチャリティ法で登録されているボランタリィ組織の3分の1が全収入の98%を生みだしているのである―事実、チャリティ法で登録されているボランタリィ組織のうち最大規模のそれはわずか6%にすぎないのに、それらだけでボランタリィ組織の全収入の89%を生みだしているのである。さらに、年当り1,000万ポンド以上の収入を生みだしているNPOが336存在しているのに対して、チャリティ法で登録されているボランタリィ組織(=NPO)の半数以上は年当りの売上高が10万ポンドに満たない財務規模のものなのである。したがって、フォーマルな部局担当者を置くことができるのは比較的規模の大きな組織だけである、ということになる。例えば、イギリスのNPOの75%は、無償のスタッフのボランタリィ活動に完全に依存しているのである。 比較的大規模なNPOのいくつかは、それらの収入の大きな部分を国に依存するようになってきている。それらのうちの多数は資金の50%以上を政府から得ており、少数のNPOに至ってはその部分が75%以上にもなっている。ただし、このように大きな額の助成を国から得ているチャリティ事業―チャリティ法に準拠して登録されているボランタリィ組織の事業―には「メンキャップ」(Mencap、「精神障害者のためのチャリティ事業」)、麻薬や他の薬物を常習・常用している人たちを助け、支援するチャリティ事業組織の「NSCTP」(the National Scizophrenic Society and Turning Point)などが含まれているのであって、大多数のNPOは、政府からまったく資金を得ておらず、専ら個人の慈善行為に依拠しているのである。 このような数字がわれわれに語りかける決定的なストーリィは、市民社会における組織は規模においても組織機構においても非常にさまざまであることから、また福祉、文化、スポーツ、保健・医療、研究などの他に多くの種類の活動を含む非常に幅広い多様な活動を行なっていることから、われわれには市民社会の組織を容易に一般化することができない、ということである。 「市民社会」という用語は、大・小の事業組織や連帯組織、地方的・全国的な事業組織や連帯組織、スタッフを雇用している事業組織や連帯組織あるいは専らボランティアに依存している事業組織や連帯組織ための「包括的な」ラベルとして使われ得るし、現にそのように使われている。この相異性は、あるいは多様性といってもよいが、ある程度、今日のここでの議論のように、議論そのものを大いに興味深くさせるものである。しかし、「市民社会」という用語はまた、われわれが今論じていることの本質を定義したり、明確にしたりすることも大いに難しくするものである。だがそうであっても、われわれが、市民社会を強化・促進し、市民社会が成長することのできる環境を創りだし、その結果、多くの利益を社会に提供しようとするのであれば、われわれはなお、市民社会の本性を理解しようとしなければならず、市民社会を明確に定義しようとしなければならないのである。 市民社会を定義する 「市民社会」についての古典的な定義は、それが否定的な定義であるという点で奇妙である。市民社会が口にされるのは制度や組織に言及するためであるが、しかし、それらの制度や組織は国家の一部でも市場の一部でもないのである。市民社会についてのこのような「消去法的」定義は、かなり奇妙であっても、取り立てて役に立つものではない。というのは、このような定義を政治家も実業家もしはしないからである。日本でも非営利連帯組織を意味するNPOという用語が使われているが、ところが、その用語は、組織が何をしないかを強調しているのである5)。組織は利潤を生産するために存在するのではない、ということは真実であるにしても、ある組織を、それが何を行なうかを表現する名称によってではなく、何をしないかを表現する名称によって強調するのは一体何故なのだろうか。いずれにしても、市民社会は、それが存在しないもののためにではなく、存在するもののために認知されるべきである、というのは確かなことである。 ところで、この否定的な定義は、私的な領域と公的な領域の外部で活動する組織が存在することをわれわれが気づいている限りでは、有用なのである。何故なら、国家と市場という古典的な2つのセクター・モデルは、しばしば、第3セクターが存在するのだという事実を無視するからである。実際のところ、非国家組織や非市場組織は第1セクターとして存在していることを主張できるのである。何故なら、政府の官僚制と私的企業が確立されるよりもずっと以前に、ボランタリィで、インフォーマルな手段を通じて、生活に不可欠な多くのサービスや財が提供され、さまざまな事業活動が遂行されていたからである。 イギリス市民社会についてのもっとも卓越した思想家の一人であるニコラス・ディーキンは、大きな影響力をもっている1996年の報告書の「はじめに」でこう注記している。 個々の人たちが相集まって共通の利益(common good)のために相互協同の事業に自発的に従事することは…現代の観察者に認識できる形態がいかなるものであっても、国家の出現に先行するものである。 現在のイギリスにおいて私的セクターが公共サービスを提供するのに果たしている役割に関する重大な政治的論議を含めて、社会に関する多くの論議はなお、これら2つのセクターを越えて存在する事業活動の範囲全体を認知できないでいる。実際には、市場と国家の外に存在する組織にはNPO、労働組合、トラスト・財団、コミュニティ・グループ、教会、協同組合、自助グループ、それにニーズを満たすためにあるいは共通の利益を追求するために相集まった人たちの、多数の大小さまざまな、十分に組織されたグループやよりインフォーマルなグループが含まれているのである。 ところで、市民社会を定義する作業はそう容易にできるものでもない。というのは、ボランタリィ組織と国家や市場との相異を強調しすぎると、市民社会が国家セクターや市場セクターとまったく別個のものだということを暗に意味するリスクを負うことになってしまうからである6)。実際のところ、国家、市場と市民社会との間の境界線はしばしば不明瞭なのである。その意味で、さまざまなセクター間の協力の程度と形態―そしてそのようなパートナーシップにともなう諸問題―については、後で論じられる主要なテーマの1つになっているのである。同時にこの点で、これらのセクター間には絶対的な区別あるいはきわめて明瞭な区別はないのだと強調しておくことも価値のあることであろう。 市民社会のさまざまな組織によって遂行されるさまざまな機能がユニークであるとは限らないし、またそれらの組織がユニークな機構をもっているとも財務問題を解決しているとも常に主張することができるとは限らない。次の3つの実例は、私が言わんとしていることを明らかにしてくれるだろう。 ● 市民社会のある組織は、私的な慈善行為に拠って資金調達するよりもずっと多くの資金を国から得ている。例えば、イギリスで最大かつもっとも有名 なNPOの多くはそれらの収入の50%以上をイギリス政府から得ている。 ● 私的セクターの組織は、常に他のすべての事業活動以上に利潤を最大化するとは限らないのであって、場合によっては最終的にその収益に寄与しなくても倫理的な方法に則って活動して差し支えない。チャリティ法に準拠して登録されたイギリスのボランタリィ組織に寄付された収入全体のうちの5%は企業からのものであり、その金額は昨年は3億1,500万ポンドに達している。 ● 多くの国家組織はボランティアを適切に用いている。例えば、現在のところ、10万人以上のボランティアがイギリスの国民保健・医療サービス制度(the National Health Service)の下で活動している。 多数の市民社会の組織が国家組織や私的組織と何から何まで異なっているのではないことはまさにその通りであるが、しかしまた多数の市民社会の組織が市民社会の一部だと見なされてもいる他の組織にまったく似ていないこともまさにその通りなのである。では一体、それらの組織が共通してもっているものは何なのだろうか。 現代の優れた市民社会研究者であるレスター・サラモンとヘルムート・アンハイヤーは、次のような市民社会の組織の有する5つの本質的な特徴を提示している7)。すなわち、 ● 公式に組織されていること:役員や会議のような制度的実在と組織機構を備えていること。 ● 私的であること:国家から制度的に独立していること。すなわち、政府資金を受け入れたり、委員会に政府の代表者を含めたりするけれども、基本的に政府によって管理統制されないこと。 ● 利益の非分配:利益は社会的使命を遂行することに再投資されのであって、所有者や株主の間で分配されないこと。 ● 自治的であること:組織内の手続きのルールや管理機構に基づいて組織固有の事業活動を運営すること。 ● 自発的であること:事業や業務の管理あるいは経営への高度な自発的参加を伴うこと。 これら5つの本質的特徴は市民社会の組織についての抽象的定義をはっきり述べるのに役立つだろうが、私としては、普遍的に適用可能でかつ首尾一貫した定義を追求することはある種の幻想を捜し求める行為に等しいのではないか、との結論に至っているのである。何故ならば、市民社会の組織はさまざまな時代にさまざまな場所でさまざまな形態を取るからである。 「市民社会」という言葉が相対的に新しい言葉であるということ、あるいは「市民社会」は新しい現象というよりもむしろ新しい概念であることを想起することもまた重要である。一般の民衆は、利益を享受する目的を追求するのに長い間協同・協力してきたし、そのためにまた、信徒として、専門職業の仲間として、労働組合の組合員労働者として、コミュニティの住民として、あるいは単に、音楽、スポーツそれにその他の趣味への関心を共有する庶民として、相集まってボランタリィ・グループをいくつも組織してきたのである。 それ故、私は、市民社会を定義するという問題にこれ以上かかずらっていたくない。本当のところ、市民社会についての私の関心は、その単なる存在を超えでたところにあるからである。そこで私は、次のことを手短に示唆することによって、「市民社会とは何か」についての議論のこの部分を終えることにしたい。すなわち、われわれは、社会生活を組織する思想あるいはアプローチとしての市民社会について考えるよりも―単に利潤を生産することあるいは有権者を満足させることではなく―社会的ニーズを満たすことによって鼓舞される市民社会について考えるべきだろうということ、これである。要するに、「市民社会」は、政府の一部でも、またただ単に利潤を生産するために創設されたのでもなく、あるグループの人たちが自分たちの時間、資金それにエネルギーを自分たちが決めたように使うように自発的に選択したが故に存在する、われわれの社会の内部にあるいくつもの特定のグループの組織を説明するのに有用な概念であるにすぎない、ということである。 さて、この講演後のディスカッションで市民社会を定義することの問題に立ち戻ることになるかもしれないが、しかし、私としては、今日の市民社会が直面している現時の状況と諸課題について述べることの方がより生産的であると思われるので、話をそちらに移すことにしたい。だがそうは言っても、イギリスにおける市民社会の歴史を簡潔に復習しておくことも議論を進めるのに有益であると考えられるので、ここでイギリスの市民社会の歴史を簡潔に観ておくことにしよう―過去の歴史は必ずや現在の状況をわれわれに告げ知らせてくれるからである。 イギリスにおける市民社会の歴史 この講演の「はじめに」で述べたように、「市民社会」はイギリス社会において長い歴史をもっている―とはいっても、「慈善行為」・「慈善事業」・「ボランタリィ活動」という言葉は過去の歴史において広く一般的に使われてはいた。慈善行為の制度は中世の時代に、あるいは古代ローマ時代にさえ遡ることができるとはいえ、慈善事業は16世紀のチューダー王朝期8)になってはじめて公式に認められるようになったのであり、このチューダー王朝期に、慈善事業を定義した1601年条例―この条例こそ、現在のわれわれが慈善事業について理解する基礎と慈善事業の法的アプローチの基礎とを提供しているものである―を含む主要な法律が成立し、制定されている。 組織的な慈善行為は、もともと、学校や病院を設立したり、貧民のための基本的救済を準備したりする宗教的慣行から発展してきたものである。他方、慈善事業は、組織的な慈善行為よりもずっと世俗化され、また新興の商人階級が繁栄していった結果、その後数世紀にわたり彼らによって社会的に拡大されていったものである。また産業革命期やイギリス帝国の海外拡張期に財を築いた人たちのなかには、都市化や工業化の結果として生活状態が悪化した貧しい人たちを救済すべき地位にいることに気づいた人たちもいた。金持ちのなかには、しばしば、慈善事業を通じて自らの地位を高めようとする者もいたし、自分の名前が病院や図書館の設立という慈善事業プロジェクトに付けられるならば、不朽の名声を得ることになると期待した者もいた。しかし、今では、イギリスの市民的なランドスケープは、かつて新興の富裕者がそこから出現したコミュニティを価値ある人たちに返す推進力の証となっているし、まさにそのコミュニティによっていつまでも記憶される推進力の証になっているのである。 ある人たちは、イギリスにおける慈善行為の「黄金時代」として19世紀のこの時期に言及する。すなわち、貧しい人たちを援助し、病人、障害者、失業者それにひどい住宅に住む人たちを援助することから売春やアルコール依存症から立ち直らせること、あるいは女店員、船員、芸術家などに力を貸すこと等々まで、あらゆる考えられ得るニーズを満たすために、病院や学校のような物理的な施設だけでなく、数多くのボランタリィ組織や非営利連帯組織が設立され、創設された、と。1885年に『タイムズ』は、ロンドンにあるいくつかの慈善事業組織の収入はスウェーデン、デンマークそれにポルトガルを含むいくつかのヨーロッパの国民国家のそれよりも大きかった、と書いている。ヴィクトリア時代のこのような慈善家たちは、ボランタリィ活動のための努力こそ人びとのニーズを満たす適切な方法である、と当然の如く思っていたので、その努力は人格を形成し、慈善事業の寛容な後援者の精神を養うというメリットまで付いてきたのである。それに他方では、国が人びとのニーズに対処する際に行なう事業の程度は最小限に止められていたのであるから、戦争を遂行して海外に帝国を築くこと以外に政府には国民からの付託事項があるなどと誰一人考えもしなかったのである。 しかしながら、20世紀の初頭になると、貧困やその他の社会的ニーズの度合いが大きくなってきたので、慈善事業、すなわち、われわれが現に市民社会と呼んでいる制度や慣行だけでは、すべての貧しい人たち、高齢者、病人、それに新しい工業化時代になって自分自身と家族を扶養することのできない人たちのニーズを満たすことにうまく対処できなくなっていることは誰の目にも明らかになってきた。実際のところ、イギリスの人口のかなりの部分が病弱であり、栄養不良であったために、軍隊に入って戦える十分に健康な若者をイギリスで見つけることさえ疑問視されたのである。 そこで、自由党政府は20世紀初期に社会的な立法措置に着手して国家的対策と組織化を大きく進めていった。すなわち、国は、学校の設立、医療的ケアの提供、規則的な食事そして年金制度に対する責任を負うこと、さらには1940年代後半における「福祉国家」の確立によって生みだされ、現在もなお引き継がれているさまざまな負担に対する公的援助を行なうこととした。このようにして、多くの重要な立法によって国は、すべての人たちにそのニーズに応じて、「生まれてから死ぬまで」―その時代の有名な言葉で言えば、「揺り篭から墓場まで」―保健・医療サービスや社会福祉サービスを提供することを保障したのである。 長い間ボランタリィ活動の「自生地」と見なされてきた領域に国が入り込んでいくにつれて、市民社会の組織の方でも自らの役割と機能を見直すことになっていった。その結果、一時期、ボランタリィ組織が以前担っていた機能の多くを国が引き継いだのであるから、ボランタリィ組織の活動はもはや必要なくなった、とのことが言われるようになった。しかしながら、政府が負うべきそのまさに責任の範囲―それを、教育の向上、マスメディアの発達それに「福祉国家は貧困を根絶してこなかった」という多くの証拠と結びつけて考えるならば―は市民社会の組織に新しい目標を与えることになるのである。実際、市民社会の組織の方では、さまざまな社会福祉サービスが国の資金によって供給されるにしたがって、社会運動を起こしてその活動の中心を広げていったのである。とりわけ、それらの組織の協議事項のトップに掲げられたものは市民的権利の確立・擁護や環境保護の運動であった。またホームレス問題、HIV・エイズ問題それに麻薬の常用に関わる問題はすべて、市民社会の組織がリードを取って社会的に浮き彫りにし、取り組んできたのである。さらに自助グループのような別のタイプの組織も、福祉国家が自分たちのニーズに対処しきれなかったと思っている人たちのために、特に障害者やエスニック・マイノリティのグループの人たちのために運動を展開した。こうして20世紀の後半には多くの変化が生まれはしたが、それでもなお、イギリスの市民社会の規模からいえば、未だしの観は拭えないのである。 20世紀末における市民社会 イギリスにおける市民社会組織の活動について述べたこの簡単な歴史から引きだせる結論は、時代が変化するにつれて市民社会の組織の中心も事業活動も変化する、という実に簡明なものである。国や市場はすべての人間的なニーズを満たす立場にはないだろうし、一般の人たちこそが、自分自身や他人の生活を向上させるために、お互いに市民同胞として協力・協同する方法をいつも見つけだすのである。国家によるサービス提供の欠陥をそういう一般の人たちはよく確認することができるのであり、彼らのボランタリィ活動は国家の大規模で無反応な機構によるよりもはるかに迅速にそのことに反応するのである。それだけではない。新しい種類のニーズに対処するための方法や既存のニーズを満たすための新しい方法が、小規模で地方的な実験によって験されたり、また株主にいかなる忠誠の義務も負わない、そして(特別な場合を別にして)公的資金にいかなる説明責任も負わない組織によって試みられたりするのである。このようにして始められたいろいろな実験が成功すると、次には政府がその試みを引き受けたり、あるいは政府が資金を助成したりするようになるのであり、かくして市民社会の組織は以前の活動から自由になって新しい事業エリアにその活動の場を移すことができるようになる。このような方法によって国家セクターと市民社会セクターの双方を強化していけば、一方で市民社会の組織がそのような活動方法をしばしばリードし、他方で政府がその成功したアプローチについて習得してそれを広く採用するのではないか、と私は考えるのである。 イギリスにおける市民社会の組織の今日的な役割は何か これまで見てきたように、市民社会の組織の役割は、それを取り巻く環境が変われば、当然変わることになる。またその活動は、ニーズの一 体 性を感じ取り、そのニーズに対処するために進んで組織を創ろうする人たちによって行なわれる。それ故、市民社会の組織は、当然、ニーズ主導型であり、サービス供給主導型である。したがってまた、市民社会の組織にとってノーマルな国家は、絶えず変化する市民社会セクター内部の組織構成を有するような流動性のあるものだとはいえ、イギリスにおいて市民社会の組織が現に引き受けている、大まかに言って次の5つの機能カテゴリーを確認することは依然として可能である。 1.サービス機能 市民社会の組織は、保健・医療、教育および対人社会福祉サービスのような公的性格あるいは共同的性格のサービスを含む一連のサービスを提供するのに依然として重要である。だが、重要ではあるけれども、サービスの供給には常に隙間が生じるし、隙間が絶えない場合もある―福祉国家とはそれら一連のサービスを必要としているすべての人にそれらのサービスの最低限基準を適用するよう保障することを意味するにもかかわらず、にである。例えば、エイズ(AIDS)患者へのケア・サービスのように、新しいニーズというものは、当たり前のことではあるが、国がそのニーズを確認し、それに制度的に対処するよりも前に現われ出るのである。市民社会の組織がその隙間を埋めるとしても、それはいわば副次的なサービスの供給であって、目の不自由な人たちに盲導犬を供与したり、あるいは救命ボートによる海難救助サービスを行なったりする例に見られるように、国は公的資金を使ってそれらのサービスを行なうよう誰にも委任しはしないのである。それでは、私的セクターはどうかといえば、私的セクター(=営利セクター)は、通常は、このような隙間を埋めることができない。というのは、私的セクターのサービス対価の水準では、サービスを必要としているまさにその人たちがその対価を支払う余裕がほとんどあり得ないからである。 2.革新的機能 市民社会の組織は、公的な問題を確認し、それらの問題の解決を図っていくのに求められる新しい理念やアプローチの培養器である。市民社会の組織は、出資者(株主)やコミュニティの人たちに対してどんな「最低値」も置かないし、いかなる義務も負わないのであるから、変革を成功させるのに必ずや伴う大きなリスクも覚悟することができる。このような革新的機能の好例が麻薬使用者の注射針の交換を(政府に)認めさせたことである。麻薬使用者は注射針を共有するために自分たち自身の健康や公衆衛生への脅威を生みだしてきた。その彼らに注射針を無料で渡すことは、コミュニティの多くの人たちの生活を混乱させることになるので、政治家たちには到底提案できない難しい政策であろう。そこで、注射針交換の計画を展開する政策が市民社会の組織に委ねられたわけであって、一度それが成功すると、政府がその政策を引き継ぎ、資金を出すようになるのが尋常なのである。 3.政策提案機能と社会変革機能 市民社会の組織は、政府あるいは市場に何ら恩義を受けていないから、政府の政策あるいは社会的状態の改革を求めてキャンペーンを行なうことができる。この機能の多くの実例は、環境問題に対するキャンペーンの成功から貧しい途上諸国が負っている債務(借金)のキャンセルを促す2000年記念一大キャンペーンまで、いろいろ引用できよう。 4.表現機能 市民社会の組織が行なうことは、ニーズを満たしたり、社会サービスを提供したりすることだけではない。それ故、市民社会の組織に対しては、個人やグループの表現の媒体として果たすことができる、もっと幅広い機能のあることに注目することが重要である―例えば、民族性や宗教上の信条、職業上の関心、共有のイデオロギー、音楽的・文化的事柄、そしてその他多くの主義主張や趣味を表現する媒体として、である。このように、市民社会の組織は、価値の多元的共存や多様性を促進し、さまざまな種類の活動の引出し口を準備する際に特別な役割を果たすのである。 5.コミュニティ強化機能 市民社会の組織はまた、私がたった今述べた(価値の)多様性の促進を可能にさせる表現的機能とは対照的に、「人びとを結合させる」という(多様化とは)反対の役割も果たすことができる。すなわち、社会的相互作用の機会を促し準備することによって、われわれのコミュニティ意識の台木を打ち強めるのに不可欠な信託や相互依存性という習慣が形成される。この機能こそ、ボウリング・アロウンの編著による労作のなかでロバート・プットナムが最近社会的に広めた「社会資本」(social capital)の生成と言われているものである。この書物は、市民社会の理念をわれわれの政治的な協議事項のトップに至らしめた点でもっとも重要なものである。経済的、文化的グローバリゼーションと国際交流の中心がわれわれの日常生活に影響を及ぼすようになっているこの世界にあっては、現に在る地方のコミュニティをわれわれが強固にすることのできる方法を、政府やその他の機関は熱心に理解しようと思っている。われわれはこのコミュニティにおいて近隣同士お互いに助け合い、共生し続けるのである―それでも、われわれの経済的、文化的生活はグローバル化されていくのであるが。 1997年以降の展開と最新の政府の政策 イギリスにおける市民社会の組織は、社会福祉サービスの提供、さまざまな問題を確認し解決していく革新策の創出、社会的変革のためのキャンペーン、表現の多様性を可能にさせること、それにコミュニティの建設、という5つのきわめて重要な機能を果たしていることを考慮して、次に、これらの重要な機能を果たしているセクターに対してわが現在の政府が取り入れているアプローチについて検討していくことにしたい。 社会問題に対して中央集権的で国家組織型のアプローチを直観的に選好させてきたかつての労働党政府と違って、現在の労働党政府は、市民社会の組織がなし得る社会的貢献に喜んで応じることに何らの躊躇もない。市民社会の組織の主要な擁護者であり、蔵相を務めてきたゴードン・ブラウンは、かつての労働党は市民社会の組織の活動に熱意をもって応えることが少なかったが、それは誤った態度であった、と認めている。彼は、最近の主要な演説で次のように述べて、健全で活動的な市民社会の組織の必要性を強く支持した。 この新たな世紀にあってなおわれわれが直面している難問や課題は、国の業務だけでは決して対処されないだろう。そのためには、わが市民社会の組織の再生が必要とされるのである。 彼はさらに続けて、彼が考える市民社会の何たるかをこう説明する。 市民社会は、受動的な意識ではなく、能動的な意識で理解されなければならない。それは、個々の人たちが地方のコミュニティや彼らが属するより大きな社会の形成に参加する、見せかけでない真の機会を与えられたときにはじめて生き生きとする理念である。 このような言葉の表現を行動に移すために、労働党政府が政権を得た1997年以降、意味のある政策展開が求められてきたのである。そしてそれには3つの主要な構成要素が設けられた。すなわち、 第1は、1996年に公表された「ディーキン報告」―これは、政府と市民社会セクターとの間の協力関係を求めた「報告」である―の結果、国と市民社会の組織、特にNPOとが協力する場合にそれらがもつことのできる基本的な期待や可能性を述べている「盟約」である。これには、政府の助成金を受け取る市民社会の組織の側での「活動の質」と「効率」の保証、それに政府が重要な政策を立案する際に市民社会の組織の参加を保証する、という政府側の保証の双方が含まれる。この「盟約」は法律的に拘束されるものではないとはいえ、これを履行する義務は議会に責任を負う所轄大臣にある。政府と市民社会の組織双方の報告書を見ると、それを成功させ、有益なものにする熱意に多少の程度の差はあるものの、両者とも、この「盟約」は、国とNPOとの間のパートナーシップに影響を及ぼすいくつかの厄介な問題に対する解決策というよりもむしろ、それらの問題を解決するための1つの手段である、という点で意見が一致している。だが、最近のある見解は、この「盟約」を、「依然として、実践的には暫定的であり、また多くの点で理論的である」と述べている。 しかしながら、この「盟約」は、市民社会の組織とより良い、より平等な関係を確立することを国が願っていることの確かな証拠として存在しているのである。このような考えは地方自治体と地方のNPOとの「盟約」にまで拡がっており、これに対しては人びとの間により直接的でより積極的な反響を見ることができる。 1997年以降の第2の主要な政策展開は、市民社会の組織と提携して、政府の助成資金によってなされる慈善事業を促進する一連の試みである。これらの試みのなかには「千年紀ボランティア」が含まれている。これは、青年のボランティアの数を10万人増やすことによって新たな千年紀の開始を印そう、との試みである。またこれと関連した計画であるが、「(ボランティア)体験団」(Experience Corps)もその1つの試みである。「体験団」の目的は、高齢者がコミュニティで生き生き活動できるように環境を整えることである。もっとも新しい試みは「ギヴィング・キャンペーン」(giving campaign)である。政府はこのキャンペーンために100万ポンド助成することを約束し、かくして、イギリス中に「ギヴィングの文化」を鼓舞する一大キャンペーンが行なわれることになったのである。 第3の主要な政策展開は、NPOのための法的な枠組みおよび規定的な枠組みを多面的に検討することであるが、この検討作業は現在進行中であり、2002年2月には報告書が提出されることと思われる。この検討作業は、現在、公務員と市民社会の組織の年長の代表者とによって、パートナーシップ・アプローチと歩調を合わせながら、進められている。この検討作業への付託は次のように説明されている。すなわち、 新しい非営利組織(not-for-profit-organisations)と既存の非営利組織を成功させ、成長させることができること、新しいタイプの組織の発展を促すこと、そして一般の人たちの非営利セクターへの信頼を確かなものとすること、である。 だが、この付託には、次の主張に見られるように、権力をもっている政府との関連で、現時点でもなお市民社会の組織の位置づけについて懸念のあることが認められる。 この検討作業は、強力で、自立し、そして多様な非営利セクターが、確実に政府を問題解決に向けさせることができるよう、また適切と思われる場合には、確実に政府に協力することができるようにするのに与って力があるだろう。 いずれにせよ、これら3つの政策展開は、労働党政府の首相トニィ・ブレアと他の主要でありかつ大衆的な閣僚たちの非常に大きな支持を受けてきた。私が少し前に言及したように、ゴードン・ブラウンは、イギリスでは市民的な革新が進行中であり、個人とコミュニティと国家の間の関係に本質的な変化が起こっている、と断定している。この過程で政府が果たすであろう主要な貢献は、一般の人たちが自分たちの生活とコミュニティを自ら管理運営できるように権限とそして資金を一般の人たちに譲り渡すことであろう。イギリスはもはや、すべての社会問題を、中央の計画によって、あるいはまた一様な社会サービスを提供することによって解決することができるような国ではなくなっているのである。ブラウン氏はこう明言している。「今世紀の国家は、差し迫った社会問題を解決しようとするためには、一般の人たちに権限を譲らなければならないだろうし、彼らに権限を与えなければならないであろう」、と。 意思決定と政策形成への市民の積極的な参加とそのための民主的手続き これまで見てきたように、ピープル・パワーは、わが政府が現に明らかにしている考え方であり、市民社会に対するわが政府のアプローチの基礎を成している考え方である。この考え方は、市民が受動的に自分たちのニーズを満たしてもらうことができた福祉国家的社会主義の時代からすれば、大きな発展である。何故なら、この考え方は、市民のニーズを満たす方法を定義し、決定することに一般の人たちが参加することを当然伴うからである。それ故、この考え方は、最終結果だけでなくプロセスについても当てはまるのである。 このような観点からすると、一般の人びとの参加を保証する主要な手段は、地方のレベルに応じて資金を割り当てることだが、その場合、一般の人たちや地方のグループは、自分たちのコミュニティで、そして彼らがもっとも緊要あるいは重要であると考えるニーズに対処するために、その資金を使う方法をどうするか手を尽くすことになろう。 ケース・スタディ:Sure Start このアプローチの好例はSure Start(「確かな出発」)と呼ばれている事業計画である。この政策の前提は、子供にとって年長時の肉体的発達と知的発達がその後の自分の生活を巧くやっていくのにきわめて重要である、というものである。にもかかわらず、これまで、子供たちが義務教育を受け始める年齢である4歳あるいは5歳よりも以前に政府の関与を受けることはほとんどなかった。そこで、比較的高学歴の家の子供たちと同じ水準の栄養、興味のもてる活動それに人間的発達の機会に恵まれることが非常に少ない、もっとも不利な状況に置かれている子供たちを重点的に扱うために、Sure Startが政府によって設立されたのである。その点で、現在のところまでは、両者の子供たちに公平な基準となる政策を労働党政府が行なうことをわれわれは期待してもよいだろう。ただし、市民社会の組織が活動する地方のエリアによってSure Startの事業計画の企画と運営に強弱の差異が生じることは明らかである。4億5,000万ポンドもの基金が利用に供されるのであるから、NPOは、各自のエリアで自らが運営するプロジェクトの資金としてこの基金を利用しようとするだろう。この基金を利用したいとの「誘惑」の背後にある原則はただ次のことである。すなわち、市民社会の組織は、仮に国がその事業計画を各地方から遠く離れたロンドンの庁舎にいる官僚たち―彼らは、そのような子供たちの顔も、その親の顔も見たこともなければ、各々のエリアに影響を及ぼす地方の環境や特殊な問題も分かっていないのである―に運営させるよりもずっと優れて、各地方で培われた知識をもって、また子供たちの特別なニーズに融通の利く方法で反応する力量をもってその事業計画を運営できるということ、これである。国が常にベストの知識をもっているとは限らない、というこの認識は比較的新しいコンセプトである―特に、労働党政府にとってはそうである。今や、市民社会はそのような仕事をおこすのに実に最良の場であることを証明する機会をもっているのである。したがって、もしSure Startの計画が成功すれば、政府の新しい領域と市民社会の組織の新しい領域との関係が始まることになり、そしてそれは政府と市民社会の組織の各々を強化するのに最良の契機をもたらしてくれるだろう。 このような楽観的な見解を示したからといって、われわれの行く先には問題らしきものなど何もない、ということを私は言わんとしているのではない。そこで目を転じて、イギリスの市民社会が現に直面している主要な課題のいくつかについて考察することにしよう。 将来の課題と発展の可能性 イギリスの市民社会にとって、現在の政府が政権を得た1997年から今日までの時期は、イギリス近代史上もっとも重要な時期の一つであろう。この間に社会的改善のために多くの改革がなされた。しかし同時に、それらの改革の展開によって、ここ数年の間に新たな問題や課題もまた生まれてきた。そこで私は、現在ある問題や課題のうち次の3つの課題に論及することにしたい。これら3つの課題は、われわれの関心事のすべての領域に触れないにしても、われわれにとってもっとも重要な関心事の1つであることは確かである。 課題1:国家と市民社会との関係性 国家と市民社会との関係はもっとも大きな問題であり続けるであろう。特に、市民社会の組織が政府との契約に基づいて社会福祉サービスを提供するのにより大きな役割を果たすことを明らかに期待されている場合には、そうである。この課題については3つの考え方がある。 第1の考え方は、市民社会の組織は、国家から絶対的に自立していなければならないし、いかなる資金も受け取ってはならず、いかなるパートナーシップも組むべきではない、とするものである。このような考え方は、一般に、右翼的党派によって強調されているが、その主張するところは、市民社会の組織は、政府との契約によって堕落させられてしまい、政府に異議を唱えるために必要な独立性、革新的能力と力量を失ってしまう危険がある、ということである。 第2の考え方は、国家は町で楽しむ唯一のゲームだ、とするものである。社会福祉サービスを効果的に供給しようとするどんな組織も大きな金額の資金を恒常的に調達する必要があるが、そのような資金供給を保証してくれるのは国だけである。それ故、(市民社会の組織が)このポジションを取ることによって付随的に伴ういかなる妥協も、ニーズが満たされるという理由で正当化されるのである。 第3の考え方は、イギリスの市民社会の組織で現に活動している大多数の人たちが採っている考え方であるが、「注意を要するアプローチ」(the approach with caution)見解として特徴づけられる。この見解は、市民社会の組織が国と提携するルールを協議することを意味しており、自発的で独立した市民社会の組織のエトスとして受け入れられるものである。 だが、この第3のアプローチを実行するのがなかなか難しいのである。何故なら、一国の内部や一つの世界の内部では、国家は市民社会と同じ程度に、また同じように速く変化していくからである。その変化の程度や速さをわずか数年足らず前でも誰も認識できないでいるのである。それ故、ルールを協議する過程は決して完全なものにはならないだろう。世界は、新しい解決策が提示されるや否や変化してしまうのである。われわれが確かなこととして言えるのは、時が経つにつれて市民社会の形態が変わろうとも、国と提携するという現実は、市民社会の組織にとって必然的であり続けるだろう、ということである。 課題2:資金はどこから来るのだろうか 政府による市民社会の組織への資金提供はすぐ前で論議した(ルールの)協議のための中心的事柄ではあるけれども、ここで別個の、しかしそれと関連している課題を付け加えることは価値のあることである。その課題は現在、「ミッション・ドゥリフト」(「社会的使命の趣意」)として次第に高い関心を集めるようになっているのである。このような現象は、チャリティ事業が利用可能な基金に引きつけられて行なわれる特別活動と引き換えに公的資金を与えられる場合に現われる、あるいはその特別活動がチャリティ事業の本来の目標や目的にとって中心的なものでない場合であってさえも現われる、と言われている。したがって、政府が、政策実行のための基金を調達するのに公的資金―この公的資金は給付することとされている―を利用したがるのは、驚くに当らない。それ故、政府は、公的基金を使ってよろしいと政府によって指令された政策を、まさにそのような政策だけを遂行するために資金を利用可能にしようとするだろう。市民社会の組織は、もしその本来の社会的使命に相応しい真なるものが存在するというのでなければ、そのような基準で供与される国の資金を受け取る誘惑に負けないよう学ばなければならない、と私は思う。 資金へのさらに大きな関心は、この講演の初めに言及したように、大多数の市民社会の組織が政府の資金よりもはるかに個人の善意の寄付に依拠している、という事実に関係しているのである。だが、そのことはそれ固有の問題を引き起こす。やがてチャリティ事業に恒常的に貢献している寄付者の共同基金が減少するかもしれないからである。若者は、高齢者ほどには寄付に応じてくれないので、このような世代交替が慈善事業の収入に及ぼす影響については重大な関心が払われるべきだろう。 課題3:目的それ自体としての市民社会 私が述べたいと思う最後の課題は、市民社会にとっての焦点は次のことに、すなわち、「市民社会とは何であるのか」ではなく、むしろ「市民社会は何をなすのか」ということにある、という批判を恐れず主張する私の冒険に関係する。市民社会の主要な魅力の1つは、はなはだ単純ではあるが、普通の人たちが協力・協同する機会を提供することによって―彼らを満足させる活動が何であれ―わが市民社会が既に存在する信頼や相互依存関係の紐帯のような社会的資本によって強固になる、ということである。それ故、彼らが学童に音楽を教えるために相集まったのか、それとも学童に助言を与えるために相集まったのかどうかは、重要ではないであろう。このような、あるグループのメンバーにのみ、あるいは比較的範囲の広い地域社会にのみ利益をもたらす活動に質的差異があってはならない。したがって、そこから必然的に考えられることは、後者のタイプの活動(比較的範囲の広い地域社会に利益をもたらす活動)にこそ政府の大きな関心があるのだということになる。政府は、有権者を満足させるために、その資金と引き換えに明白な目に見える成果を求めるからである。市民社会はその生産活動が生みだす総額を上回る活動に従事しなければならないのであって、その限りで重要なことは、「市民社会が何をなすか」ではなく、むしろ「市民社会が存在する」ことなのである。すなわち、私がここで主張したいことは、市民社会の組織がイギリスの法律の範囲内で機能する限り、その活動が社会的ニーズを満たしてくれるだろうとわれわれが予期するのは道理のないことだということである。仮にそれが満たしてくれるのであれば、もちろん、それはそれで非常に歓迎されることであるし、仮にそれが満たしてくれないのであれば、一般の人たちは市場メカニズムを通じてその産出分を支払わなければならないか、あるいは有権者としてその産出分を賄うために税金を引き上げようとする政府を支持しなければならないか、いずれかであろう。いずれにしても、市民社会の組織が政府の片腕として組み入れられることを阻止することができるのは、唯一、市民社会の自発的な構成要素を厳格に守っていくことによってである。 むすび 終わりに際して、私は、これまで私が述べてきた主要なポイントのいくつかを補足し、市民社会に対して私自身がコミットしてきた論拠の判断を皆さんに委ねたいと思う。 第1のポイントは、市民社会はきわめて多種多様な組織をその内部に擁しているが、初期の段階ではそれらの組織には共通点が何もないように見えるかもしれない、ということである。それらの組織を共に結びつける糸は、それらの組織が普通の人たちの力(people power)の表現として存在している、ということ、個々の市民はそうするために自発的に組織する特別な課題や活動について十分な関心をもっている、ということである。 第2のポイントは、イギリスにおける市民社会の発展について私が述べた説明と関係する。私は、外部的な変化が、とりわけ国家に関わる変化が市民社会の組織の構成と活動に直接的な影響をどのように及ぼすのかを明示できればと考えている。これは、1つの進行している過程であって、市民社会セクターの各組織は他のセクターの組織によって方向づけられ、影響を受け続けるだろう、ということである。それ故、時代が変化し、社会の優先事項が変化するにつれて、われわれは、市民社会の組織の最適な要素を保持しようと常に努めているセクターと、市民社会の組織の社会的使命が政府の優先事項によって歪められないようにしているセクターとの間の関係を何度も協議し続ける必要がある。 第3に、私は、現在のイギリス政府の市民社会に対するアプローチを、政府の中心部にいる政治家や官僚たちから権限を取り戻し、国民に権限を返すという信念に基づいたアプローチとして―その意味では、一般的には積極的なアプローチとして―述べた。そしてこの哲学は現に実行されているのであるから、われわれは、例えばSure Startの事業計画のように、このような方針に沿って運営されている新しい 試みの成果を、すなわち、「この哲学がどのようにして活動に染み込んでいくのか」その方法を間もなく目にすることになるであろう。これらのことは、イギリスの市民社会にとって時代は刺激的であることを示しているのである。 最後に、私は次のことを強調しておく。すなわち、市民社会の組織は、国とのパートナーシップを十分に働かせることがどんなに重要であるにしても、政府から独立して存在しているのであるから、その高潔さを現代社会の不可欠な部分として擁護していかなければならない、と。多くの国々では、扱いにくい社会問題に直面している政府は、市民社会の組織が、それらの困難に対して、苦痛のない、そして希望のもてる、それでいてコストのかからない解決策を提供してくれるだろう、といやに信じたがっているように思われる。しかし、市民社会のある部分が政府にとって大いに有益であると分かったからといって、それは、市民社会の組織が存在する理由にならないし、またそれらが重要であることの理由にもならないのである。 要するに、人間が社会的存在であることは1つの人間的な衝動であり、人間の利他主義や協同・協力は人間的行為の基本的な要素である、と私は確信しているのである。市民社会の組織が重要であるのは、市民社会の組織こそこのような人間の積極的な特徴的性格が表現される形態だからである。市民社会の組織の価値と重要性は、市民社会の組織が政府にとって有益な下位のパートナーであることによって支えられているのではなく、普通の人たちの能力やエネルギーを利用する市民社会の力量によって支えられているのである。このことこそ、私が「ピープル・パワー」という言葉を以って言わんとしたことであり、また市民社会の組織が今日のイギリスにおいて重要な影響力になっていると私が確信する理由なのである。 *Ms. Beth Egan氏は現在Deputy Director of the Social Market Foundationである。SMFは画期的な政策提言を行なっているイギリスのシンクタンクである。 ** 明治大学政経学部教授・「英国研究−UK Now」委員。 訳者注 1)オクスファム(Oxfam)は、正式名を the Oxford Committee for Famine Relief と言い、1942年にイギリスのアフリカ植民地住民の貧困救済のために開始され、現在は世界の貧困者を救済するための活動を行なっているボランタリィ組織である。本部はオクスフォード。 2)2001年末現在の円レート(1ポンド=190円)に換算するとおよそ190億円。 3)イギリスのボランタリィ組織は、一般に、いくつかの法律に準拠して登録される。チャリティ法はそれらの1つである。 4)イギリスでは、アメリカ合衆国の場合と違って、協同組合もボランタリィ組織と見なされている。したがって、協同組合は「NPO」であるが、イギリスを含めヨーロッパ諸国では、協同組合を含めた非営利組織を「NPO」(Non-Profit-Organisation)と表記するよりはむしろ、「Not-for-Profit-Organisation」としばしば表記し、非営利組織のアメリカ的定義との違いを明示している。因みに、アメリカ合衆国では協同組合は税法上「営利」組織と見なされている。 5)この指摘は鋭い。日本のNPOの活動を定めた法律(1998年12月に制定)の正式名称は「特定非営利活動促進法」というものであって、主に12項目の活動を定めている。基本的にこの項目以外の活動はできないことになっているのである。この名称はまた当時の与党自民党議員が「市民」という言葉を忌避したためにでてきた名称である。多くの人たちは「市民活動法」でよいと考えていたが、「市民」は政府と国(自民党は政府と国とを混同しているが)と対立する概念である、と議員たちは見ていたので、この名称に落ち着いたのである。なお、いわゆる「NPO法」の現在の重要な課題の1つは「非課税・免税・税の軽減」を含めたNPOに対する課税のそれである。98年の「NPO法」の付帯決議には、近い将来「課税」について見直すことが記されているが、現在のところこの議論・検討はさほど進んでいない。 6)「というのは…負うことになってしまうからである」までのこの文章の論理は曖昧であり、このように訳さざるを得なかった。特にイーガン氏は、本論文から分かるように、市民社会を「ボランタリィ組織」を基礎にした社会と見なしているので、彼女の文節からは「国家セクター」と「市場セクター」と訳した方が理解し易いと思われるので、そのように訳した。 7)ジョンズ・ホプキンス大学NPOセクター研究所のレスター・サラモン教授は一般にNPOの特徴的性格を次のように指摘している。1)公式に組織されていること、2)利益の非配分、3)非政府の民間組織であること、4)自己統治組織であること、5)自発的な意志(自発的参加)によること。サラモン教授はまた、これらの他に、6)宗教組織でないこと、7)政治組織でないこと、をNPO研究上の理由で付け加えている。 8)チューダー王朝期はヘンリーPからエリザベスJまでの王朝期(1485年−1603年)である。 (訳者注)ベス・イーガン氏は、本論を見る限りでは、「市民社会」を市民あるいは普通の、一般の人たち(民衆)によって形成されている「市民組織」が人びとの社会生活や労働に関わって機能しているような社会である、と見ている。おそらく、それはそれで間違いではないであろうが、われわれが一般に「市民社会」という場合、もう少しその社会のコンセプトを明らかにしておく必要がある。すなわち、われわれが一般に用いている市民社会は、「近代市民社会」のことであり、法律的には、「身分の差」が撤廃されて「職業の自由」、「移動の自由」などの個人の法的平等が理念として社会的に確立され、また政治的には議会制度のもとでの民主主義の確立に基礎をおいた「思想・信条の自由」、「学問の自由」、「結社の自由」など人権意識が普遍化され、さらに経済的には、近代資本主義の下での市場経済による競争とその結果に対する人びとの対応などが自由になされる制度が「労働権」・「生存権」などの理念を包含しつつ確立している社会である。 18世紀後半に活躍したアダム・スミスは、資本主義社会における「同感の理論」―すなわち、自立した個人=市民が他者の立場に身を置く能力―に基づく道徳哲学を展開して「市民社会の規範」を明らかにし、その規範に基づく人と人との社会的関係を描いた。そしてスミスは、このような人びとの社会的関係が自立・自律的な市民社会に適合する法律と政府の統治のあり方を考えていったのである。 他方、自らの学問体系を「経済学批判」と呼称したカール・マルクスは、「市民社会の解剖学」こそ経済学であるとし、利潤・地代・賃金の本質を明らかにすると同時に、それらの源泉が自由で平等な人びとの関係としてもたらされるかのような「市民社会」に映し出される現象を見事に暴いて見せてくれている。 いずれにしても、われわれとしては、ここでは「近代(現代)市民社会」のコンセプトを次のように示しておくことができるだろう。すなわち、「近代(現代)市民社会」は、自立・自律した自由な個人を「市民」とし、法の下での個人の市民的自由を擁護し、政治的には議会政治に基づく民主主義を確立し、経済的には市場経済の下での競争とそれに対する対応や社会的規制が機能し、そして社会的には市民である人びとの自発的な意思に基づいた多様な活動が展開されている社会である、と。その意味で、われわれは、ベス・イーガン氏の言う「現代の市民社会」を、「自立・自律した自由な市民が、市場の失敗や政府の失敗に対応して、コミュニティ(地域社会)のニーズを満たすために活動する組織を基礎とする社会」だと理解することができれば、彼女のこの講演を十分に我が物とすることができるであろう。 ※本稿は、2001年11月17日(土)に明治大学駿台校舎においてブリティッシュ・カウンシルと明治大学(国際交流センター)の共催により行なわれた「『英国研究−UK Now』秋のセミナー」におけるベス・イーガン氏の講演ペーパー People Power: the Civil Society in Britain(「市民のちから:英国の市民社会」)を、ブリティッシュ・カウンシルと明治大学国際交流センターの許可を得て中川雄一郎が翻訳したものである。 |