『協同の發見』2000.2.3 No.94 総目次

労協法制定のためのヒアリング
 
         
 

 
事業所の名称 北海道労働者協同組合
事業所の所在地 旭川市2条通14丁目右7号
電  話/FAX    TEL 0166-26-3075 FAX 0166-22-1498
設 立 年 月 日 1994年4月24日
代  表  者   理事長 小野正昭
組 合 員 数 120名
事  業  高 30,000万円
出  資  金   2,000万円
所     属  北海道労働者協同組合(日本労働者協同組合連合会加盟)
 
◆設立当時の経過
北海道労協は1994年4月24日に、それまで日本労協連に加盟していた旭川、砂川、釧路の事業団が組織統合して生れた団体です。法人格はありません。それぞれ、北海道労働者協同組合釧路、旭川、砂川として活動しています。
統合の背景には1990年代以降、北海道内で「非営利・協同」の運動が活発になってきていたことがあげられます。当時それぞれ3団体は独立して活動していたのですが、企業組合を労協組織へ転換することが可能か否かなど、労協への移行が検討されていました。
そのような中で1993年6月に「第1回協同で切り拓く地域づくり、仕事おこし」をタイトルにした、北海道における協同集会が開かれました。この集会の実行団体には、日本労協連・道企業組合連合会の他、道内の諸団体から道生協連、農協、共作連関係、道北勤医協、道生協連等がなり、実行委員長は山田定市氏(北大教授/当時)で、道内の協同組合がこぞって参加する集会になりました。この集会の成功は、私たちの組織統合に弾みをつけ、企業組合から労働者協同組合へという気持ちを一層鮮明にする出来事でした。
道企業組合連合会の諮問機関によって1992年の11月から行われていた検討会は10数回に及び、事業活動の歴史や実績をもつ企業組合・事業団の組織統合について真剣な議論が行われました。組織全体が参加する交流集会も二度行われ、この統合の意義と内容を深めてきました。こうした1年余にわたる検討期間を経て、1993年12月8日、この検討機関から下記のとおり答申が出されました。
「企業組合・事業団の統合については、積極的に推し進め、通年事業活動を推進しているいくつかの企業組合・事業団の内包的要求である労働者協同組合として発展をはかりながらその統合の力を一日も早く全道各地の企業組合・事業団の発展のために貢献できるようにしてゆくべきである」
そして、統合の意義を「 1)3事業団が統合することで事業と運動を発展させ、その経験を通じて全道各地の企業組合・事業団の発展に貢献することである。2)全道に分散した力(人材・資金技術・資格・経験・情報・事業高・成果と教訓等)を集中することにより、事業展開や健全経営・民主的運営など、新しい高みをつくりだすことができる。3)北海道の雇用失業問題・地域づくりなどに新しい可鮭性を広げることができる。4)統合は北海道における労働者協同組合運動の創造と実践への本格てきなスタ〜トになります。三つの事業団の成果と教訓、すべての団員の智恵と力を結集し、全図の仲間とともに力を合わせ協同組合の展望をきりひらいていきましよう」と定めています。
 統合の時点で私たちが目標に掲げたのは、「 1)労働者協同組合の存在と社会的意義を全道に広く知らせる。2)事業拡大で飛躍させる。3)統合後の体制や組織運営に関する整備・法整備上必要とされる諸課題の処理。4)北海道労働者協同組合の21世紀を展望する長期計画として第一次五カ年計画をつくります」というものです。
 そして初年度の事業計画の柱を「(1)圧倒的な事業拡大を通じて健全経営を確立し、北海道労協の基礎を築きます。『協同集会』『映画』での結びつきをはじめ自治体・協同組合関係・病院・学校・ビル・店舗など視野と対象を広げ、全組合員による行動で、労協や高齢協等の意義を幅広く広め仕事の拡大を進めていきます。(2)一般管理費および事務所経費の節約に努め有効活用をはかります。(3)出資・増資運動を進め、自己資本率を高め、将来的に無借金経営を実現し、剰余の配分ができる組織になれるよう全団員が力を合わせます。(4)現在根強くある「雇い・雇われる」関係を克服して文字通り「働くものが主人公」となる職場を築きます。(5)人の成長こそが最大の価値として尊重され、組合員の可能性が最大限発揮できる職場づくりに役職員が率先してとりくみます」とし、また「 1)事業高30,000万円(昨年度17,000万円) 2)組合員150人(昨年100人)
3)全員が1口(1万円)以上の出資を行い、早期に5口以上とします」として活動に取り組み、現在、事業高3億円、組合員120名、1人あたりの出資金は16,7000円と最初の目標には到達することができました。
 
◆設立以降の推移

1995年12月には、第2回協同集会が行われた。テーマは「協同のネットワークで切り拓く地域づくり」です。「協同」による、地域づくり、仕事おこしの見通しについてお互いに確信を深めた集会だったと思います。この協同集会を迎えるにあたり、今回は釧路と旭川で、1993年の第1回協同集会の成果を生かしてプレ集会も行いました。その成果を札幌で行ったこの集会につなげようとしたものです。この時の参加団体は、道北勤労者企業組合・道北勤労者医療協会・建設一般労組・障害者共同作業所・農協・農民組合、新婦人の会等でした。この集会に参加された道北勤医協の山田浄二専務は、道北勤医協として「非営利・協同の大連合」という課題にいかに関わりっていくかという立場から報告され、経営にあたるものとして「働くものが主人公となる地域の協同の一翼をどうに担うことができるか」という問題意識にたった内容をお話になっています。当日の集会の模様は「協同で切り拓く地域おこし」でまとめています。
 
◆福祉社会の創造に向けて

ここで事業の概要について説明しておきます
1997年7月、道北勤医協が「かたくりの郷」の厨房・清掃・搬送・売店の4業種を労働者協同組合に委託することを決め、正式な契約となりました。北海道労協にとっては、設立後2年目を迎えた時点であり、新しい仕事の場が生れたことで、気持ちも新たに、「真の労協らしい職場づくり」をめざし、日本労協連の経営運営原則・食の仕事の労協らしい関わり方などの指導と援助を受け、文字通りこの職場を拠点として位置づけ、活動に取り組み現在に至っています。
労協が主軸となって、高齢者の組織化と高齢者協同組合づくり運動が行われ、1996年5月に北海道高齢者協同組合が設立されました。全道14支庁管内に高齢者協同組合地域センターを確立する方針をたて、1996年12月に釧・根地域センター設立し、1997年1月札幌地域センター、1998年には小樽・後志地域センター、稚内・宗各地域、函館地域と6地域に地域センターを設立し、それぞれの地域でヘルパー養成講座が活発に開校されました。これは現在も続いています。
旭川では 1996年10月35人の3級ヘルパー講座修了者を社会に出し、これを皮切りに、2000年現在、1500名の2,3級講座修了者を出しました。
1997年8月には、労協・高齢協の理念に賛同したヘルパーさんたちによる介護集団が組織されワーカーズ・コープ「いちい」として活動を始めました。現在の介護時間は月間1,500時間ぐらいになっています。市民の期待の広がりで今後ますますこの労働量は増えてゆくものと思っています。本年4月の公的介護保険実施時期に向けて、地域の福祉の拠点となるセンターとして「地域福祉事業所」を3カ所立ち上げるために準備をしています。現在の「いちい」の会員数は40名です。昨年12月に北海道労協と正式に組織統合を行っています。釧路でもヘルパー養成講座が開かれ、現在の2・3級修了者は350名になっています。ここでは、ワーカーズ・コープ「わたすげ」を立ち上げ、会員40名、月当たりの介護時間はおよそ500時間となっています。小樽では2級のヘルパー養成講座終了生が100名となっています。ここでもワ一力一ズ・コープを立ち上げ、「ゆとり」となずけて活動を始めています。現在の会員は30名で、月当たりの介護時間は約400時間です。稚内では、2級ヘルパー講座講座修了生が102名。3級修了生は30名で、ワ一カーズコープ「すずらん」とつくっています。10名の会員(労協なので正確には組合員です)で介護事業を開始したところです。函館では、茜(あかね)地域福祉事務所を設置し、「生きがい事業・ヘルパー講座を実施することと、ワ一カーズコープ茜の組織化のために活動中です。札幌では「ワ←カーズコープ札幌」が主軸となって高齢協のヘルパー養成講座を実施しており、今後も、引き続き札幌市・北広島市・芙唄市・石狩市・江別市・南幌町など石狩・空知地域で開健を予定しています。多くの地域の人々とのつながりや地元の医療・福祉関係者とのつながりを大切にして、高齢者が最後まで元気で過ごすことできる地域をめざして頑張っています。
以上のように高齢協による福祉・介覆を中心とした事業が全道で展開してきており、1999年9月21日に北海道高齢者協同組合は、生協法人の認可を取得し、名称を「生活協同組合北海道高齢協」として、高齢協・労協の新地平を広げつつあります。
「協同労働の協同組合」の法制化に向けた我々の立場
北海道地域は、慢性的な失業多発地域であり不安定就労者、失業者、数十万を常時かかえている地域です。私たちは、過去数十年間、季節労働者たちの雇用の安定、就労保障の闘いを続けてきました。倒産=失業・賃金不払い問題=などに対処して、地元で組織をつくって運動をおこししてきたものです。あるときは労組だったり、また、企業組合だったりしてきました。その時々に労働者協同組合法があり、<他の、農協、漁協、等のように法律があり法的に保護されていて>働く者たちが、その意志があって協同組合を組織し、仕事おこしをしたら法制的に保護され、保償があるような制度があったらどんなによいかと思いながら過ごしてきたものです。労働者協同組合法制定のための運動は、我が組織あげて取り組む課題です。

2.3月号目次 協同総合研究所(http://jicr.org)