『協同の發見』2000.2.3 No.94 総目次

巻 頭 言

菊間 満(山形大学)

 山村問題の研究を仕事の一つにしている関係で、全国にいくつか「定点観測点」がある。数年に一度くらいのペースで回り、友人・知人の生活と地域の変化をみてきた。長いところでは30年ほどみてきた山村もある。うまくいっているところもあるが、自国の農林業の振興にほとんど関心を持たない政府の下で、全体の状況がよくない時に、ある山村だけがよいままでいられる筈がない。地域づくり、農業経営、林業経営等で各種の賞を受けた地域や農家そして山林経営者等を、例えば10年後に訪れると、ほとんどの場合その状況は悪化している。

 昨年の夏、京都府のいわゆる先進(国の政策上はうまくいっているはずの)林業地域で林業労働者を組織している農村労働組合書記長の山口伸氏と、本当に久しぶりに話す機会があった。新築工事中の駅舎など地域の表面的な変化に驚きつつも、同氏から聞いた地域の現実の変貌への驚きはその比ではなかった。まず、高校卒業者の就職先が皆無に近いという。就職先がないから、息子夫婦は世間体も気にして子供を大学に進学させる。賃金横這いとは裏腹に増加する教育費は恒常的労働者の夫の収入ではまかなえないため、農業は親に任せて、妻までが働きに出る。賃金目減りを防衛するための超過勤務は夫婦の帰宅を遅くさせた。地域では学級崩壊まで起き始め、中学校のあるクラスでは両親と夕食をとることができる子供は数人だったとさえいう。したがって、家庭内の子供の世話、家の管理、地域のつきあいはもとより、山村のインフラである村道や林道等、公民館の維持管理といった地域を支える最も基本的な労働のほとんどが高齢者の仕事になる。今はなんとかなるが、地域を支えるシャドーワークを引き受けている高齢者の引退が進んだらどうなるのか。親としての団塊の世代の責任も含めてどうしたらよいのかというのが、そのときの二人の話の論点であったように思う。

 労働組合と労働者協同組合の関連、そして協同組合の意義など、議論にはなったが、残念ながら収斂しなかった。収斂しなかった原因は、山村の厳しい現実に対する認識不足だろうし、都市生活者の生活環境の劣悪さからくる山村の豊かな自然と環境に対する現実感のない願望もあるだろう。しかし、現在の山村は、都市生活者が思うほど安全なところではない。稲沢潤子氏の小説に描かれた愛知県のある山村では、以前の自然河川なら川遊びの子供が流されても河畔の石や立木の枝に引っかかって助かったが、現在ではいらない公共事業によって三面張りにされ引っかかりようがない。子供はどこまでも流されてしまい、溺死する危険性が高いという。そこは崩れるからという故老の意見を聞かず、予算の都合に合わせて林道をつければ、見事に林道は壊れてしまった等々。都市より危険な山村の現実の姿が、小説の中に正確に描かれていた(『星の降る谷間』)。

 山村に対する都市生活者の願望は、願望どころか幻想に近いのか等と判断がつきかねていたところ、年が明けてすぐに、山口氏から組合の大会議案が送られてきた。「いまや、農村といえども、労働者が多数をしめています。それらの労働者の多くは、製造業やサービス業、公務員や農協などの公的企業に就業しており、同じ労働者とはいえ、農林業に関わる労働者は少数になってしまいました。/営農や林業経営だけで暮らす専業農家は、ほんのわずかです。昔と違い、多くの労働者の職場は雇用関係が明確化されていますが、農林業に関わる労働者は、いまだに請負や日当などの不安定雇用のままです。/山や川・田んぼや畑など、風景は昔と変わりませんが、人々の生活は、ものすごい変化の嵐にさらされています。/一軒の家でみると、いっしょに暮らしていようがいまいが、息子夫婦は共働きの労働者・親は農業をしながらの年金暮らしか建設業・林業に雇われる・・・といった姿です。先祖から受け継いだ山は、田んぼはあるが、資産的価値はすでになく、息子たちはもはや関心を示さなくなっています。親の方も高齢となり、農業も縮小せざるを得ず、あちこちであれた田んぼが目立ちます。山間地の場合は若者が定着せず、一層、過疎化が進行し、祭りや運動会といった村の行事も維持しにくくなりました。過疎地では、地域システムが崩壊しつつあります」。

 運動方針の内容・用語の平明さで定評の高かった農村労連の伝統を引き継いで、ここには農村、山村の変化が的確に指摘されている。変化のポイントは、都市生活者の望むような、伝統的な「協同」に支えられた牧歌的な山村はすでになくなったこと。生活様式は都市と同様になり、都市と同様の矛盾を抱え、そして医療、教育も含めたより劣悪なインフラの下で生活する労働者の姿である。変わらないものは、兼業農家ではあるが地域の農林業に生きる山村の自営者の姿と労働に対する誇りである。そして両者を人格的に一体化した地域の主人公としての姿である。「本来、農林業は、国民食料の確保・国土の保全・自然環境の保護など、国民生活を支える重要な産業であり、彼らの労働の社会的価値は、もっと正当に評価されるべきものです。自然環境の破壊が社会問題化している昨今、政府の悪政で疲弊した農林業を保護育成し、農村をヒトが暮らせる地域として守り再建することを、世論にまで高めることが重要です。そのような方向で運動を発展させることが、農林業関係労働者の賃金・労働条件を改善する展望を打開し、ヒトが生活できる農村を再建する道だと考えます」。

 山口氏との話で、最後に残ったのが、二人の評価では今では「死語」に近くなった「労農同盟論」の現代化・今日化についてだった。労働者協同組合論・協同組合論を含んだ労農同盟論の現代化・今日化の課題について、ヒトが生活できる地域再建の道と関連させ、もう一度、話したいと思っている。

2.3月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)