『協同の發見』2002.2No.116
『協同の發見』目次
協同のひろば
ソーシャルな労働社会へ


野川 忍(東京都/東京学芸大学)

1.新世紀の重い幕開け


 戦争とイデオロギーの20世紀を終え、人々の熱い期待と希望を担って幕を開けた2001年は、テロに起因する戦乱と世界経済の後退とによって、失望と不安のうちに過ぎて行った。日本経済も回復の確かな鼓動はついに聞こえないまま、停滞から後退への道を歩もうとしているかに見える。その動向は雇用・労働をめぐる状況についても例外ではなく、失業率は5%を一挙に超えて、2002年初頭には早くも6%を射程にする段階に達し、賃金水準は低下傾向に歯止めがかからず、安定した職につくことのできない新規学卒者の増加も続いている。このような状況を前にして、新世紀の今後に明るい展望を抱くことは極めて困難であるとの印象を、誰もが免れ難いのが実情であろう。
 しかしながら他方で、雇用と労働のあり方を根本的に変革し、新しい時代に相応しい枠組みを構築する機会として今をとらえ、法制度と実務・慣行との総合的な改革を実現しようとする試みも急速に進展しつつある。この動きをどのような方向に向けて前進させるのかによって、21世紀はその行方を大きく変えることとなろう。


2.雇用をめぐる制度改革


 2001年は、90年代後半の「労働法改正ラッシュ」の時代にも増して、雇用をめぐる多くの制度改革が進捗した。法改正も新たな法制度の施行も目立ったが、全体として以下の傾向を指摘することができる。 
 第一に、雇用政策(労働市場政策)分野での改革が突出しており、個別的雇用関係における法制度の変化は年金などを除いては乏しいと言わざるを得ず、労使関係の法制度に至ってはほとんど手がつけられていないことである。労働力の流動化や雇用創出といった要請にこたえて、雇用対策法や雇用保険法、また職業能力開発促進法など基本的な法律の改正が相次ぎ、年末には中高年労働者の再就職援助・雇用機会創出のための臨時措置法も成立した。また有期雇用の拡大を可能にする制度改正も進行中である。これに対して個別的雇用関係の分野では、時間外労働削減要項の改定や専門職型の裁量労働業務の拡大などを除いては、厚生年金満額支給年齢が61歳からとなり、日本版401Kの創設と言われる新たな企業年金制度が法制化されるなど社会保障・勤労者福祉の分野で若干の変化が見られるに過ぎない。
 第二に、進捗している制度改革の具体的内容については、直接の規制を緩和しつつ行政の介入の度合いは強めるという手法が定着しつつあるように見える。雇用保険を最大限利用した助成金・給付金の給付や、行政指導による事業主の努力義務の履行促進などはその典型であろう。このような手法の背景には、規制緩和に見合うセーフティー・ネットとしては結局行政による介入の様々なバリエーションにならざるを得ないという政府の意識が垣間見られる。
 これらに対し、今後早い段階で法の制定が予定されているのは、労使双方から批判のある解雇のルールと、総合的人権救済法制(雇用関係についても多くの規定が予定されている)である。前者はこれまで聖域のように扱われてきた解雇を法の明確なルールの下におこうとする点で画期的でありうるし、後者は言わば究極のセーフティー・ネットと言える法ルールとなりえよう。


3.あるべき方向について


 雇用・労働をめぐる政策・法制度を考える上での大前提は、何よりも労働市場が生身の人間を直接の対象としているということであり、加えて、労働力の需要側のほとんどが法人(=会社)であるのに対し、供給する側の単位は常に個人でしかあり得ないという特殊性を有している(誰も「法人を雇う」ことはできない)ことである。自然の肉体に附随する「労働力」という商品はストックがきかないから売り惜しみできないし、高度にシステム化することの可能な「企業組織」に対しては、どれほど能力があろうと一個人の対抗できる余地はごく限定されたものにならざるを得ない。要するに、需要側と供給側との間の不均衡性を否定し難いのが労働市場であるという本質は、経済のグローバル化や雇用形態の多様化等の変化によっても変わることはない。したがって労働市場にはきわめて慎重かつ丁寧なガバナンス(統治)が必要であり、そのようなガバナンスを控えるのであれば、外部的によほど強力な安全装置が用意されていなければならない。たとえば、強固な労使自治システムが雇用政策の決定・実施プロセスに機能的に組み込まれているオランダやドイツは「労使による労働市場の入念なガバナンス」の一つの典型であるし、教会やNPOなどによる弱者救済・支援システムが力と権威を有しているアメリカは、労働市場に「強力な外部安全装置」が備わっていると言える。それでは日本のあるべき姿はどこに求めるべきか。コンセンサス社会を基盤とする日本においては、ドイツ・オランダ型のシステムを基本とした上で、日本型の「労働市場ガバナンス」を志向すべきであろう。その具体的内容として次の3点を指摘したい。
 第一に、労働力の非正規化や処遇の個別化といった事態にさらされる個々人が孤立感と不安感により萎縮しないために、企業内における労働者代表制の整備と、いわゆる外部労働市場における労働組合の機能強化とを急ぐべきである。特にワークシェアリングの実現や雇用形態の多様化の促進については、対象となる人々の強力な支え手がないままに規制緩和だけを押し進めれば、経営者のフリーハンド意識を誘発して、紛争の増加や働く人々の労働意欲の減退を招く恐れが強い。オランダで規制緩和が進み、パート化を軸とした労働移動によって失業率が低下した要因の一つは、中央労働協約により全労働者の85%をカバーするという労働組合の力が後ろ楯となっている安心感から、労働者のマインドの大きな低下が起こらなかった点にある。ドイツでも、シュレーダー政権の下で政労使による「雇用のための同盟」が強化・整備され、政府の労働政策も労使の対応もこれに従うことで、コンセンサスを得ながら着実に制度改革を進めて行くことが可能となっている。日本においても、右の諸課題に加え、失業なき労働移動、能力主義的人事管理、非正規従業員の処遇改善といった課題については、行政の直接介入を最小限にとどめ、権威付けられた強力な労働組合と、力ある聡明な使用者団体、すなわち「ソーシャル・パートナー」の自治を基本として解決されることが望ましい。そのためにも、雇用不安が増大する今こそ、実質的労使自治を実現しうる労使関係法制の構築が検討されるべきであろう。
 第二に、雇用以外の就労の場を整備する必要も大きい。失業が職探しの消耗を招き、リストラの恐怖が会社へのしがみつきと陰湿ないじめの悪循環を招来するという事態を断ち切るためには、雇用創出だけではなく、起業以外の非雇用就労の機会創出も不可欠である。そのためには、NPO法を改正して非営利組織の活動の機会と場を拡大するとともに、労働者協同組合法を制定して協同労働による事業組織を認めることが不可欠となる。周知のように、今年(2002年)の ILO総会では社会的協同組合の労働社会における機能が主たるテーマとして扱われる。すでに欧米の先進諸国では労働者協同組合が定着して重要な役割を果たしていることもよく知られている。日本がグローバル・スタンダードにリンクしようとするならば、協力や相互扶助が社会通念として機能してきた日本社会においてこそ、労働者協同組合を法的存在として認め、これを助成・促進して行くことが求められよう。
 第三に、以上の政策を統合して、働く個人を支援するための「労働者組織の機能分担」を実現すべきである。会社に属する「従業員」としては法による従業員代表機関を後ろ楯とし、雇用により生活する「労働者」としては労働組合の支えを受け、雇用されない「勤労者」としては、一挙に「起業」に行かずともNPOや労働者協同組合の選択肢がある、という労働社会が一つの理念型となろう。このような労働者側の「自分達の力による広範な下支え」があってはじめて、人事・処遇の個別化も相互信頼の下に進むことになろう。
 ここ数年の雇用・労働をめぐる政策は、「国家のサポート」ばかりが目立つ労働市場政策と個別的雇用関係政策に終始してきた。これからは、労使自治の実質化による規制緩和と、労働者の主体的な連繋による仕事の創造とが結びついたソーシャルな労働社会の実現が目指されなければならない。

 不安と孤立感にかりたてられ、立ちつくす21世紀は、同時に「協働の時代」である。
 今まで通用していた価値体系が崩れ、「新しい価値観」が生まれる時代。世界は大きな変化の予兆に満ちている。
 「自分化」や「遊戯化」あるいは「女性化」、「高齢化」、「少子化」、そして、「ボーダレス化」といった新しい時代の潮流。
 「新しい人」は、「これまでにない人」から生まれてくる。21世紀のキーワードは「女・高・障・子・外」。暮らしの場の歪みを直接肌で感じてきた、女性、高齢者や障害者、子ども、そして特に、アジアの外国人たちののなかに、生活や事業を変えるエネルギーがいっぱい詰まっている。暮らしの場を豊かにデザインするには、生活当事者としての女性の目、高齢者のサクセスフルエイジング・デザイン、障害者や高齢者のバリアフリー・デザイン、この視点を深めたユニバーサル・デザイン、子どもの目から考えるキッズ・デザイン、そして外国人の異文化から見たフォリナーズ・デザインを複合した「生活起点」の考え方が必要だ。
 やはり、「新しいこと」は、きまって「これまでにないこと」から生まれてくる。既成価値にとらわれない、違った視点や発想が今こそ必要とされる時代はない。福祉、教育、環境ばかりでなく、非営利組織や地域、あるいは文化、健康、安心といった、これまでにない切り口が新鮮だ。
 新しい発想の転換こそが、思わぬ視点や違った意見を取り込んで「活力の源泉」になる。活力の母国は未知の協働体験である。
 活力の母国が向かう希望の島は、一人ひとりを大事する、誰もが居心地のいい「多様性に満ちた社会」である。

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