『協同の發見』2000.8 No.99 総目次
特集 協同労働と21世紀の協同 - 協同労働の理論と思想を深めよう -

『レイドロー報告』から20年

中川雄一郎(協同総研理事長/明治大学)
はじめに

 
 1999年8月30日〜9月1日にカナダのケベックで開催されたICA(国際協同組合同盟)の大会・総会は、多くの参加者に「協同組合発展の第二の波」を印象づけるものであった(1)。アメリカ合衆国における新しい協同組合運動の展開(クレジット・ユニオン、電力供給協同組合、新世代の農協、労働者所有・家族運営参加の保育協同組合、中小事業のための仕入協同組合)、カナダにおける伝統的なクレジット・ユニオンと新しいワーカーズ・コープの広がり、イタリアでの新たな試み(協同組合マーケティング戦略)などが協同組合人に運動の新たな波を感じさせたのである。特に、協同組合運動が非常に弱体であると思われてきたアメリカ合衆国で「コミュニティに根ざした協同組合」が芽吹いてきたことは、文字通り大きな驚きでさえあったろう。
 しかしながら、ケベック大会が与えた「第二の波」の印象の予兆は、コミュニティに根ざし、コミュニティ住民のニーズに応える協同組合運動が展開されていたいくつかの国々において既に感知されていた。モンドラゴン協同組合企業体(MCC)を別にして、今では世界の多くの協同組合人が知るところとなったイタリアの「社会的協同組合」、1970年代の中葉にスコットランド北西沖の離島から始まり今やイギリス全土に広がっている、コミュニティ再生のための「コミュニティ協同組合」(コミュニティ・ビジネス)、1980年代に起こったスウェーデンにおける「新しい協同組合」(保育協同組合、高齢者協同組合、医療協同組合、社会復帰の協同組合、地域開発協同組合など)の成長、それに1990年代中葉から日本の各地に設立されていく高齢者協同組合などが、その予兆を知らせる具体例である。
 その点で、「協同組合の発展の第二の波」は、「第一の波」が1844年から始まったロッチデール型の消費者協同組合運動の発展を表現するものであるとすれば、コミュニティ協同組合、社会的協同組合、あるいは「新しいタイプの協同組合」と称されるワーカーズ・コープ労働者協同組合運動に見てとれるのである。そして、協同組合運動におけるこのような趨勢を逸早く察知したのは、誰あろうA.F.レイドローその人であったのである。


『レイドロー報告』の意味するもの

 1980年の第27回ICAモスクワ大会に提出されたA.F.レイドローの報告『西暦2000年における協同組合』(『レイドロー報告』)の目的は、さまざまな協同組合が「西暦2000年まで事業を展開しつづける上での条件や環境」を考察し、協同組合運動に必要となる「転換」について示唆して、運動を「再構築」するための「指針」を提供することであった。それ故、レイドロー報告は、一方では1980年時点において看取され得た協同組合運動の状況について「適切な疑問を提起」し、他方では、協同組合人が運動の現状を冷厳に見つめて、西暦2000年までに運動の「転換と再構築」を図っていく指針を示そうとしたのである。
 それでは、レイドロー報告が協同組合人に対して主張した「協同組合運動の転換」とその「転換」を受け入れかつ支えるための「再構築」とは何であるのか。それは、「転換と再構築」の実践的かつ理論的な前提となっている、レイドローの有名な「成長と変化の三段階」を各協同組合人がどのように捉えるかによって大きく異なってくる。
 レイドローは、協同組合運動の歴史を振り返ってみて、協同組合は「信頼の危機・経営の危機・アイデオロジカル思想的危機」に直面してはそれらの危機を乗り切ってきた、と言い、またそれらの危機は近代協同組合運動がその長い歴史のなかで辿った「成長と変化の三段階」であると同時に、現代の多くの協同組合が現に個別的に経験した、あるいは経験しつつある「成長と変化の三段階」でもあって、協同組合によってはこれら三つの危機に同時に直面さえしている、と論じている。実際のところ、多くの協同組合人はこれらの危機に直面することで、こう自問してきたのである。「協同組合の真の目的は何なのか、協同組合は他のものとは違う企業としての独自の役割を果たしているのか」、これである。換言すれば、協同組合がこれまで経験した危機あるいは現に直面している危機は、「協同組合の真の目的」を曖昧にし、「協同組合の独自性・優先性」を継続して追求しようとしないことにその大きな原因があったのではないのか、とレイドローは指摘しているのである。
 協同組合運動の「転換」、は次のような協同組合を取り囲む「世界の趨勢」から必然的に起こる、とレイドロー報告は論じる(2)。すなわち、
 (1)否定的な側面では、協同組合組織全体が今後大きな打撃を受ける。特に不況の強襲から逃れられないだろう。
 (2)肯定的な側面では、人びとは、苦難の時代にオルタナティヴ別の選択肢(特に資本主義的競争に代わる別の選択肢)を探し求め、協同の道に転じるだろう。
 (3)政府は、住宅や保健医療などの公的ニーズの分野にある福祉サービスの予算を削減するので、人びとはその埋め合わせのために協同組織をつくるようになるだろうし、そうせざるを得なくなる。
 (4)経済不況が深刻になっていけば、ボランティア労働やアンペイド・レイバー無償労働が経済のなかで相対的により大きな部分を占めるようになるだろう。そのような労働は、われわれが想像するよりもずっと大きな部分を占めている。無償労働は、公式の統計に−反映していはいるが−表われてこない一つの重要な要素である。生活水準が実際に向上しているのにGNPが減少することがあり得る。
 (5)生産活動が協同組合的な基礎の上に組織されるならば、状況は根本的に代わったものになるだろう。どのようにせよ、利用し得る剰余が労働組合員の手に入ってくることになれば、彼らが貨幣賃金の引き上げ要求する効用はほとんど無くなるだろう。賃金交渉は、どのように剰余の収益を分配すべきか、という議論と結びついて、異なる職種間の労働者の交渉事になっていくかもしれない。
 (6)経済をより良く機能させるために求められるもっとも公正なシステムは、協同組合の発展にとってより好都合なシステムである。すなわち、公正なシステムとは、富と所得のより公正な分配がなされ、より多くの人たちが貯蓄して協同組合を形成することが可能になるシステムである。
 われわれは、これらの経済的、社会的な動向のあるものを現に目撃しているし、あるいはまたそれらのいくつかを近い将来あり得ることだとも考えている。それ故、われわれはこれらの趨勢や動向に対応することができるように、協同組合の事業、組織そして経営のあり方を転換し、協同組合運動を再構築する準備をしておかなければならない。言い換えるならば、これらのことは、協同組合が西暦2000年までに見定めておくべき課題と進むべき方向なのであって、『レイドロー報告』から20年後の今日にあって協同組合人が明確に意識して運動の政策と目標に当然取り込んでおくべき要素なのである。
 要するにこういうことである。『レイドロー報告』から20年後の現在では当然のことのように思われている「福祉サービス」を拡充するのに、地方自治体と「真のパートナーシップ」を結んだ協同組織(協同組合や非営利組織)が相応の役割を果たしていること、経済不況がますます深刻になっている情況の下でボランタリィ労働やインフォーマル(無償)労働が「相対的に大きな部分を占めるように」なっていること、ワーク・シェアリング(仕事のわかちあい)が西ヨーロッパのいくつかの国々では政策化され(オランダ、フランス、スウェーデン)、またEU(ヨーロッパ連合)の「社会憲章」に基づいて、オランダやイギリスでは「労働時間差差別を禁止する」パートタイム労働(3)が実施されていること、労働者や勤労者など多くの人びとが「富と所得のより公正な分配」を求めていること、それにイタリアの社会的協同組合やイギリスのコミュニティ協同組合が、新自由主義が主張する「市場原理主義」とは異なる選択肢を掲げて、高齢者、障害者、エスニシティ、失業者、女性といった社会的に不利な立場におかれている人たちを「排除しない」(not exclusion)−むしろ、そのような弱者の立場にいる人たちと共に歩む(inclusion)−「協同の道」を求めて、コミュニティに根ざした協同組合運動を展開していることなどのさまざまな要因や動機づけを受けて、協同組合は、経済的、社会的な情況に対応し、その運動の「転換と再構築」の準備をするか、あるいは取り組まなければならない、ということである。

 

レイドロー報告における「ステークホルダー論」


レイドローの協同組合批判と政策

 『レイドロー報告』にはまた、日本の協同組合運動にとって示唆に富む、「協同組合セクター」論をふまえた批判と政策が示されている。そのうちで主要な論点と思われるものを挙げておこう。第1は、次第に大規模化していく協同組合における組合員参加の稀釈化傾向と、それへの対応である。組合員参加の稀釈化傾向の主たる原因は大規模な協同組合における組織的、事業的な硬直性とそれに基づく「経営者支配」の浸透にあるが、それへの対応策としてレイドローは「組合員活動の分権化のメカニズム」を再構築することを強調している。協同組合に対する組合員の関心、利害、要望、ニーズは多岐にわたってきているのであるから、従来のマネジメントの枠組みでは組合員の利害や要望やニーズに対応することは不可能になってきている。協同組合は「組合員活動の分権化」の新しいメカニズムを、協同組合の目標と政策にマッチした新しいロジックで創りださなければならないのである。
 第2は、協同組合における「教育の軽視」にいかに対処するかである。多くの協同組合は「教育怠慢の罪」を犯している、と彼は主張する。協同組合運動はそもそも「教育運動」ではなかったのか、そうであるならば、特に新しい世代の組合員に対しては「協同組合とは何であり、なぜ誕生したのか」を理解してもらうような教育を実行しなければならないのである。ゲーテが言ったように、「人は、自分が理解しないものを自分のものとは思わない」のである。現代の協同組合のリーダーは協同組合教育をマネジメントしての組織、事業そして経営と無関係であるかのように捉えがちであるが、それは間違いである。協同組合経営全体にとって、組合員参加、組合員活動の分権化という組合員組織に関わるシステムと協同組合の商品やサービスの生産や供給という事業に関わるシステムはともに、組合員に対する教育、従業員スタッフに対する教育・研修なしには決して成功裡に機能し得ないのである。各協同組合の状況に応じた、組合員教育と従業員スタッフへの教育・研修のプログラムを作成し、実行しなければならない。
 第3は、協同組合における「雇用者と従業員との関係」についてである。レイドローは、この関係こそ「協同組合企業のもっとも深刻な弱点」であると言い、しかも、その弱点は、一般の私企業の「雇用者と従業員の関係」に比べて協同組合のそれに何らの違いもないところにある、と指摘している。換言すれば、多くの協同組合は「協同組合としての特殊な性格やユニークな位置づけを発揮することができない」でいるのである。まさに、協同組合は、「協同組合らしさ」や「協同組合の独自性」という協同組合の長所を後景に追いやったままでいるのである。協同組合企業にあっては従業員は理事会のパートナーであって、「単なる雇われ者」(mere hired hands)ではなく、「協働者」(co-workers)である、と協同組合は明確に位置づけるべきなのである。
 このようにレイドローは、協同組合の組織、事業そして経営のあり方を批判し、同時にそれらに対応するべき政策を示したのであるが、実は、これらの批判や政策は、われわれが「レイドローのステークホルダー論」と呼んでいる「協同組合テーゼ」の契機を成している。そこで簡潔に「レイドローのステークホルダー論」について論及し、あわせて「『レイドロー報告』から20年」を経た今日の協同組合運動の針路について触れることにしよう。

レイドローの「ステークホルダー論」

 そもそも、ステークホルダー(協同組合にとっては、正しくは、「マルチ・ステークホルダー」)論は、個々の企業がその意思決定や政策形成に際して株主(協同組合にあっては出資者である組合員)の利益だけでなく、その事業活動に利害関係をもつすべての人びと(利害関係者)−従業員スタッフ、財・商品・サービスの供給者、消費者・利用者、それに企業が存在しているコミュニティなど−の利益や利害をも考慮するように、企業文化や組織文化それに会社法が改革されなければならない、というものである。したがって、主に株式会社の「企業統治」をモデルとするステークホルダー論を協同組合に適用する場合には、「組合員である出資者」というような協同組合に固有な組織的、事業的関係に留意して、協同組合とその利害関係をもつ人たちや組織それにコミュニティなどの利益や利害を考える、ということになる。これらのことをふまえて、レイドローの「ステークホルダー論」を簡潔に論究してみよう。
 『レイドロー報告』の根本命題が第X章の「将来の選択」に示されていることは、多くの協同組合人の知るところであるが、同時にまたレイドローの「ステークホルダー論」もその同じ「将来の選択」に暗示されているのである。レイドローによれば、「将来の選択」は、「4つの基本的かつ重要な優先分野、すなわち、食糧、雇用、消費財の流通およびコミュニティの環境」に焦点を当てて、「協同組合組織がそれぞれの分野で果たすことができる役割」について検討したものである。そこで、「将来の選択」に架けられた4つの「優先分野」について言及すると、次のように言い得るだろう。
 第1優先分野の「世界の飢えを満たす協同組合」:協同組合がその最大の能力と経験をもっている事業は「食糧の生産から消費に」関わるそれであるから、協同組合は、その組合員や従業員スタッフの利益だけでなく、農業協同組合や消費者協同組合に関係するすべての生産者や供給者、消費者、コミュニティ、あるいは「世界の飢えを征服する」ことに関わっているすべての人たちや組織、それに現に飢えに苦しんでいる人たちの「利益」・「利害」を考慮しなければならない。
 第2優先分野の「生産的労働のための協同組合」:協同組合が、食糧に次いで、「新しい社会秩序」に独自に貢献でき得る分野は「さまざまな種類の労働者協同組合における雇用である」。レイドローは、明らかにバスクの「モンドラゴン協同組合複合体」(1986年から正式名称は「モンドラゴン協同組合企業体」、MCC)を念頭においていたのであって、モンドラゴン地域を中心とするバスク地方のコミュニティ協同組合であるMCCを、コミュニティの質の向上のために「雇用の創出と確保」を実現してきた協同組合である、と高く評価したのである。彼は、MCCによって(一般に、「モンドラゴンの実験」と呼ばれている)、「資本が労働を雇用する」雇用形態以外の、それとは逆転した雇用形態である「労働が資本を雇用する」自己雇用(self-employment)の形態のヴァイアビリティ実行可能性を確信したのである。これは、レイドローが強調したように、「新しい産業民主主義の基本構造」の形成を意味するのである。換言すれば、MCCの成長と発展は、「企業文化」・「組織文化」の改革を実現させ、文字通りの「法人企業のあり方」を変革することにつながっていくのである。そしてMCCの発展はやがて誕生するイタリアの社会的協同組合やイギリスのコミュニティ協同組合の先駆けとなった。
 そして今や、社会的協同組合とコミュニティ協同組合は、それらの組合員の利益のみならず、それらが提供する財・商品・サービスの購買者や利用者、それにコミュニティとその住民の利益や利害に大いに関心を払っているのである。その上、社会的協同組合やコミュニティ協同組合を含む労働者協同組合は、「雇用の創出と確保」に限らず、「自己雇用」という労働者の「内面的ニーズ、すなわち、人間性(human personality)と労働との関わり」に触れる、「労働の人間化」や「労働による自己実現」という意識を労働者の間で高めていくことに貢献しているのである。さらにはまた、社会的協同組合やコミュニティ協同組合に見られるように、女性たち自身による「雇用創出と確保」が実現し、女性の社会参加・進出、女性の地位の向上、マイノリティの擁護、弱者を「排除をしないこと」の浸透などが目指されているのである。
 第3優先分野の「保全者社会のための協同組合」:「保全者社会」とは「資源節約、環境保全、健康維持、より良い生活をめざす社会」である。このことから、協同組合は文字通りの「マルチ・ステークホルダー」であることが分かるであろう。したがって、協同組合は、自らをコミュニティ・サービスを実践する組織の一つである、と位置づける「新しい方向づけ」をしなければならない。
 第4優先分野の「協同組合コミュニティの建設」:われわれは、レイドローが提示した第1優先分野から第3優先分野までの協同組合は、この第4優先分野の「協同組合コミュニティ建設」に収斂する、と理解している。すなわち、これは、「飢えを満たす」ことも「生産的労働」も、そして「保全者社会」を目指すことも、ある特定の種類の協同組合に託すことができないのであって、さまざまな協同組合、例えば、農業協同組合、消費者協同組合、漁業協同組合、労働者協同組合、協同組合銀行、共済組合、住宅建築協同組合、医療協同組合、ケア協同組合、その他の事業協同組合などが協力し合いながらそれぞれの協同組合の機能を発揮することが「コミュニティを建設することになる」ということである。その意味で、それは「協同組合的コミュニティの建設」なのである。このモデルは明らかに「モンドラゴン協同組合企業体」である。彼は、「職住一致の環境をつくり、協同組合のマイクロ・プロポーションズ小経済圏を確立しようとするもの」、とこの「協同組合的コミュニティ建設」を描いているのである。この「協同組合的コミュニティの建設」が、組合員や従業員スタッフだけでなく、コミュニティの住民をはじめとするすべてのステークホルダー利害関係者に及ぶことをわれわれは直ちに気づくであろう。
 われわれは、このような『レイドロー報告』に暗示されている「ステークホルダー論」(正確には、「マルチ・ステークホルダー論」)を汲み取って、「『レイドロー報告』から20年」を経た今日、新しい視点をもって『レイドロー報告』を我が物としていく心的態度をつくりださなければならない。なぜなら、レイドローが祈るようにして世界の協同組合人に「差し出した提案」の真髄である、あの4つの優先分野のどれ一つ取っても、20年を経た今日にあって未だに熟知されず、まして「飢えを満たす」ことはもちろん、「生産的労働」・「保全者社会」のための協同組合たることも、そして「協同組合的コミュニティの建設」もやっと緒についたか、遅々とした歩みの段階にあるにすぎないからである−それでも、遅々としたその歩みのなかにわれわれは「レイドローの祈り」が少しは通じていることを感じ取ることができるのではあるが…。



むすびに代えて


『ベーク報告』と「ステークホルダー論」

 1992年に開催されるICA東京大会を前にした1990年にスベン・Å・ベークは『レイドロー報告』を評価して、「(レイドロー報告の)4つの優先分野がわれわれにとっての検討のたたき台」であること、「将来を考えるときに、レイドローの4つの優先分野がスターティング・ポイントになる」と述べている。その意味で、『ベーク報告』は『レイドロー報告』を継承している、と言ってよいだろう。そしてベーク自身も、彼の『報告』(『変化する世界における協同組合の価値』)の第X章「民主的経済のための資本形成」において、協同組合の資本形成のための新しいアプローチを論じて、「モンドラゴン・モデル」と「ステークホルダー・モデル」を展開している。
 ベーク報告は、モンドラゴン・モデルを、「銀行(労働人民金庫)が投資する資本をもっている協同組合と投資を必要としている協同組合との間の積極的な環として機能する『手形交換所』の戦略的役割を果たす」ものと捉えている(4)。ベークは、モンドラゴン・モデルをこのように捉えることによって、「コミュニティの発展」を目指す協同組合の「ステークホルダー」論を示したのであるが、彼はさらに、もう一つのモデル、すなわち、「ステークホルダー・モデル」を「パートナーシップ」と絡めて提起している。このアプローチの特徴は「金融資金源と新しい協同組合の発展を意識的に結びつけている」ことである。ベークはこう論じている。

   協同組合の事業活動が重要であり、その事業活動にステーク利害のある人たちにメンバーシップ組合員の権利が開かれていなければならない。協同組合の事業活動に利害のある人たちとは、通常、顧客、従業員、ファイナンシャー資金提供者であり、また例えば、原料の供給者もそうであろう。これらの人びとは組合員の連帯組織を形成し、資金を醵出するのであるから、彼らには議決権や利益の分配などを求める特別なルールが適用される。そのためのルールは、一般的な協同組合原則に類似している。(5)

 このように、『ベーク報告』は、『レイドロー報告』を継承して、「ステークホルダー論」を明確に提示するまでになった。ベークの意図するところは、協同組合こそ組合員の利益だけでなく、従業員スタッフ、利用者、原料・資材の供給者、資金提供者それにコミュニティそれ自体など多くの「利害関係者」の利益や利害を考慮するものであることを、先ずは世界の協同組合人に、そして次に多くのコミュニティと、将来組合員になるであろうコミュニティの住民に知らしめようとしたのである。レイドローとベークの「祈り」は、かくして、1995年のICAマンチェスター大会で決定された「協同組合アイデンティティに関するICA声明」においてその一部が実現するのである。


第7原則:コミュニティへの関与

  協同組合は、組合員が承認する政策にしたがって、コミュニティ地域社会の持続可能な発展のために活動する。

 この原則を世界の協同組合人がどのような方法で、どのように秩序立てて実践していくのか、それが「『レイドロー報告』から20年」を経た協同組合運動の一つの重要な目標になっていかなければならないだろう。そしてこの目標こそが、多国籍企業の要請する経済的、社会的それに政治的グローバル化に対し、協同組合陣営をして、協同組合のすべての利害関係者のために「協同と参加」を基礎とする「グローバルな倫理」と「コミュニティに根ざした協同の規範」との双方を対峙させ、市民的存在としての「人びとの福祉」(well-being)を実現しようと努力させることになるだろう。ひょっとすると、ある国の協同組合と協同組合の組合員の、「人びとの福祉」に対する責任は「国境を越える責任」になるかもしれないのである。

8月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)