『協同の發見』2000.4 No.95 総目次
センター事業団だより

 鈴木 剛(センター事業団・九州事業本部)

 厳しい経済状況のもとで官公庁物件の次年度における契約を決める入札がほぼ終わりを告げた。九州事業本部は初めてこの入札制度を経験した。最も痛恨の敗北を喫したのが長崎国立中央病院だった。本部の助力も得ながら新清掃方式を取り入れ、現場組合員の力で前業者に比べて随分と綺麗になった。1年をかけてようやく病院内の看護婦・職員・患者の信頼を得始めていた。そんな中で全組合員会議も経て相当金額値を下げて入札に臨んだのであるが、価格はある業者とまったく同額。そして何と「くじ引き」で敗れるという結果になったのであった。職場を失くすやり切れなさは酷く苦しい。不覚にも団会議にて涙が止まらなかった。

 この「くじ引き」はまったく予想していなかったもので、渡口所長は「労協新聞」の中で書いていたが、「不当な制度」として側面が確かにある。だが、今年の123運動を総括して、さらに九州事業本部の年間を総括して、現状の厳しさを取り沙汰する以上に「事態に立ち向かう燃える上がるような気迫が作り出せていない」(総代会第1次議案より)ことに問題があるのである。私は改めて「労協とは何か?」が問われていることを自問自答せざるを得なかった。

 実は同時期に私は「労働者協同組合」と「くじ引き」という問題を取り上げている本を読んでいた。柄谷行人『可能なるコミュニズム』(太田出版)と連載されていた雑誌『批評空間』の一連の研究である。著者は漱石論で論壇デビューして以降、私たち「80年代世代」に最も影響を与えた「ポストモダン思想」の旗手であった。その著書の中で「自明性として与えられる真理」や「政治的オルタナに潜む暴力」を最も厳密かつ鋭利に理論展開した。今のセンター事業団で先輩世代から批判される「ひ弱」「利己的」「きれる」「おたく」な若い事務局員層に少なからず影響を与えた理論だった。私は実践を回避する氏の理論から決別する中で労協と出会った。しかし今、自らが拠る労協の危機に直面して再び氏に出会った。氏が初めて現実的問題提示したと思える著作は消費協同組合と連動した労働者協同組合に「可能なるコミュニズム」を見出しているのである。さらに「くじ引き」という制度が古代アテネの民主制に歴史的端緒を有し、さらに協同組合の腐敗を防ぐ方法として模索されるものとして研究されていることに驚かされたのである。

 翻ってみるに私たちが広範な社会で「仕事起こし」を牽引し資本主義のアキレス腱である大量失業構造を転換するオルタナたりえるのか?

 福岡でセンター事業団・高齢協あわせて介護保険指定事業者となったのが21ヶ所と予想以上の健闘している。しかし、地域で必要とされるケアや雇用を満たすには残念ながらまだ力及ばぬ小さな存在である。そして深刻な経営情況は現象の上での数字の悪化というより「労協の思想・原則」を貫いていないことにこそ危機がある。今、手を打たぬならば小さな到達点すら歴史の藻くずとして消え去るのみではないか。

 冒頭に書いた入札での手痛い経験を制度批判として終わらせてはならない。九州事業本部が1999年度に直面してきた多くの問題は制度・人の問題・規模の大小を問わず常に「労協らしい現場とは何か」が確信なのではないのか?このことを真っ正面から提起するブロック会議を4/10に予定している


TOP ページへ/4月号目次