『協同の發見』2000.2.3 No.94 総目次

労協法制定のためのヒアリング
 
 
 

 
事業所の名称 阪神地域開発事業協同組合
事業所の所在地 兵庫県伊丹市中野西1丁目142番地
電  話/FAX TEL 0727-77-3531 FAX 0727-77-3532
設 立 年 月 日 1979年3月
法 人 形 態 事業協同組合
組 合 員 数 30名
所     属  日本労働者協同組合連合会
 
事業所の名称 いたみ企業組合
事業所の所在地 兵庫県伊丹市中野西1丁目142番地
電  話/FAXTEL 0727-77-0663 FAX 0727-77-4639
設 立 年 月 日 1981年12月
法 人 形 態 企業組合
組 合 員 数 130名
所     属  日本労働者協同組合連合会
 
事業所の名称 企業組合 ヘルプ協会
事業所の所在地 兵庫県伊丹市中野西1丁目142番地
電  話/FAXTEL 0727-77-0523 FAX 0727-77-0704
設 立 年 月 日 1991年10月
法 人 形 態 企業組合
組 合 員 数 120名
所     属  日本労働者協同組合連合会
 

 伊丹労働者協同組合について、代表理事の木谷勝彦さんにお話を伺います。
 
 伊丹の労働者協同組合の木谷です。まず仕事の内容から説明します。事業としては、建設、緑化、建物総合管理、ヘルプ事業の4事業で仕事を行なっています。この事業を法人形態としては、「阪神地域開発事業協同組合」「伊丹企業組合」「企業組合ヘルプ協会」の3法人です。この3つの法人とそこで働く仲間で「伊丹労働者協同組合」と名乗っています。対外的にには「伊丹労働者協同組合」という名前で活動しています。事業高は3法人で300人が働いており、事業高が合計で5億円前後になっています。
 設立の経過ですが、伊丹には大阪空港があります。1967年頃に、空港騒音公害に反対する住民運動が伊丹市を軸として空港周辺の8市に住民運動が発展していきます。
 その解決策のひとつとして民家の防音工事が確か500億円の予算で事業が初まりました。しかし、その工事は大手、中堅の建設会社がほとんど占めることに民商が反対をして地元の建設業者に「民家防音工事の仕事をよこせ」の業者運動が広がり、民家防音工事の仕事を獲得する成果をおさめていきます。
 私たちも「失業者に仕事をよこせ」の運動を全日自労で行なっていましが、その運動は、失業者を組織して行政に「失業者に仕事をなんとかしろ」と雇用を求めていく運動でした。
 失業者闘争で具体的な成果がなく、焦りが充満している中で自ら仕事をすることに着眼します。それは、民家防音工事を失業者で受注できないかと考えていったのです。
 そして、全日自労が中心となり18の労働組合(構成員3,000人)により伊丹地区雇用失業対策連絡協議会を結成をして「失業者、不安定労働者をなくしていこう」「防音工事を地元の労働者に回せ」と運輸省に交渉する活動が続きます。「防音工事を回して欲しい」という要求に対して、「失業者には仕事を出せない」とのやり取りと議論の中から、仕事をする受け皿を創る提案が出てきました。失業者の団体に仕事をだすことはできないが、「仕事ができる組織を作ってはどうか」との行政からの知恵もあり長時間の議論の上、受け皿として「阪神地域開発事業協同組合」を作ることになりました。
 当時は「指名参加願い」という言葉も知らない。労働運動については専門家でありましたが、事業活動については全くのずぶの素人集団が、建設に携わる主に一人親方を30人あつめて阪神地域開発事業協同組をつくりました。「経営審査事項」とか「指名願い」、「建設業の許可」について何も知らなくて、全てがいちからの勉強でした。そして、民家防音工事を受注することができました。2年目には4億円ぐらいの受注高になり、利益配分をどうするのかという問題になりました。一人親方といえども業者の集団ですから、当然お金の問題ではシビアです。利益配分については、自分たちだけで配分するのではなく地域にどう返していくかとの議論が初まりました。私達は、ここで道を誤ってはならないと、この仕事の受注の経過と仕事の継続は失業者闘争であり、一人でも多くの失業者を無くするために取組んでいる運動なんだと、根本のところを位置付け、得た利益を自分たちだけで配分するのではなく、職業訓練学校を作り失業者に技術を修得させことに利益金を使っていくことにしたのです。そして、建築、造園の職業訓練学校を開校していきました。
 具体的な失業者、不安定労働者の仕事の受け皿としては「いたみ企業組合」を作りました。事業協同組合は法的に事業者の組織ということで失業者を吸収するには多くの問題があり、「いたみ企業組合」で失業者を組織して仕事に取り組んでいきました。
 それは、職業訓練学校の建築科を卒業した人が民家防音工事の建築の仕事をする。又、より多くの失業者の仕事をつくることで造園の仕事を手掛けていきました。もちろん職業訓練学校の造園科を卒業した人で仕事をはじめていきました。さらに仕事の拡大をしていこうと伊丹地区雇用失業対策連絡協議会の中で議論となり、女性の仕事起こしとしてホ−ムヘルパ−の仕事を発見する。そして、「いたみ企業組合」が支援をして仕事をはじめましたが、当時ホ−ムヘルパ−の仕事は社会的認知がなく、家政婦、仲居さんと見られていました。思考錯誤で2年程苦労しましたが、市との話でこの事業の委託を得ることで事業として軌道に乗っていきました。しかし、「いたみ企業組合」が事業主体となってホ−ムヘルパ−の仕事をするのは、対外的には専門職として無理なことがでてきました。そこで職種別の組織として「企業組合ヘルプ協会」の法人で仕事をすることになりました。
 失業者闘争の中で事業の受け皿として三つの法人(「阪神地域開発事業協同組合」「いたみ企業組合」「企業組合ヘルプ協会」)を作り出すことになったのです。そして、その運動母体であった「伊丹地区雇用失業対策連絡協議会」を発展的に解消させて、伊丹地区中高年雇用福祉事業団(事業団)を設立します。現在は「伊丹労働者協同組合」に名称を変更しています。
 3月に在宅複合施設「ぐろ−りあ」が開所します。施設の内容ですが、4階建で、建築面積1,607uです。ショ−トステイに入所できるのが23名、デイサ−ビスの一日の利用人員は23名、そして、在宅介護支援センタ−とヘルプステ−ション、給食事業ができる厨房があり、在宅介護と施設介護を5つの機能で組合せて地域ケアができます。関西では始めての施設です。
 施設を作ることになるのは、3年前になります。それは、介護保険との関係があります。在宅介護だけのヘルプ事業では、介護保険になれば仕事の継続は難しくなり介護保険制度のなかでヘルプ事業が身が細り沈没するのではないかと言うことで施設建設の取り組みが始まりました。伊丹市との話合いで「企業組合ヘルプ協会」は18年間の歴史と180名のヘルパ−在宅介護の仕事おこしをやってきた実績が、土地の無償貸与を含め、社会福祉法人の取得に全面的な支援を得ることができました。施設を建設するというのは大変な労力がいります。伊丹労協で全力でとりくむ、地域に訴えていくのですが、建設費、運営費として1億円ぐらいが必要です。労協組合員、地域に寄付を訴えています。
 自分たちの強みは、労協でやってきたヘルパ−の仕事と経験だと思います。対象者は400人です。介護時間は月間1万時間になります。4月から介護保険が初まりますが、在宅と施設を結び、コミュニティ−ケアを具体的にどう実践するかになっております。
 しかし、労働者協同組合とし進めていくのには、社会福祉法人の中ではどう対応していけばいいのか、今のところ全員が労働者協同組合の組合員として働いていますが、これだけでは大変弱い。社会福祉法人は「雇う、雇われる関係」がはっきりしている。労働者協同組合として現行法の企業組合の法人を活用して事業団(労働者協同組合)活動をしていますが、法律や定款をみればそこには無理があります。労働者協同組合法の制定が今日ほど必要となっているのではないかと感じます。
 兵庫には6事業団(労働者協同組合)があります。それぞれ有能な幹部がおり組合員千数百人で事業高二十数億円あります。全県でのまとまりが非常に難しいことがありましたが、兵庫高齢者協同組合の設立をきっかけに、昨年4事業団が技術交流、学習教育、情報の共有、職業訓練学校の運営、高齢者協同組合の支援を中心として兵庫労働者協同組合協議会を発足させました。これは兵庫における労協運動の歴史に残ると思います。そして、近い将来には組織統一を視野に入れた活動を展開していきます。

2.3月号目次協同総合研究所(http://jicr.org)