『協同の發見』1999.7 No.87 『協同の發見』目次

「巻頭言」 労働者協同組合の21世紀

中川雄一郎(協同総研理事長/明治大学)

 6月20日付の朝日新聞社説は、「日本のジャーナリズムも漸く『福祉』の経済的、社会的意義と意味を理解できるようになりました」、と私たちに告白したかのような論調である。社説はこう書き出している。

  「5%」に政府・自民党が慌てている。男性の失業率が4月、この大台に乗り、高失業率時代が現実になってきたからだ。雇用・産業競争力対策を決めたが、内容の多くは思いつきの域を出ていない。いま必要なのは、「輸出と製造業と投資」に偏っている日本経済を「内需とサービス業と消費」が中心の構造に変え、その中で雇用を確保していくことだ。広い意味での福祉の充実が、その突破口になる。
 この社説のタイトルは「雇用をふやす:公共事業よりも福祉だ」である。社説は、「公共事業と福祉サービスを比べれば、福祉の方が経済効果がずっと大きい」との大阪地方自治研究センターが作成した「1990年度産業関連表」分析を用いて、「福祉」の経済効果を説いている。すなわち、1兆円を投じた場合の生産への波及効果は、公共事業が2兆8千億円、福祉サービスが2兆7千億円とあまり差はないが、雇用に関しては、前者が20万7千人、後者が29万人と大きな差が出る、と言うのである。おそらく、生産への波及効果についても、雇用創出についてもそのとおりであろう。

 ところで、日本のジャーナリズムを代表する朝日新聞は、いつ頃から、「経済効果」を高めるのに公共事業や製造業ではなく福祉を選択するよう論じるようになったのだろうか。かつて朝日新聞をはじめ多くのジャーナリズムは、「福祉は経済のお荷物」と論じたのではなかったか、革新自治体の行政を「バラマキ福祉」と揶揄して、「福祉の後退」に手を貸したのではなかったか、さらに人間性を軽んじる「ルールなき資本主義」をやがて展開する羽目になる、一時期もて囃されたあの「日本型経営」を賛美しなかったか。そうであれば、これらのことをしっかり反省することなしに、「公共事業よりも福祉だ」と叫んだところで、事態が逆転すれば、ジャーナリズムは再び「福祉」を軽視することになるだろう。それ故私たちは、福祉を単なる「経済効果」の手段に矮小化することのないよう、ジャーナリズムにしっかり釘をさしておかなければならない。ジャーナリズムは、国民的立場に立った、国家や政府に対する強力なカウンターパートでなければならないからである。

 ジャーナリズムが公共事業に反対する論陣を張り始めるようになったのは、現象的には、公共事業による環境破壊が明白になり、建設省や地方自治体と市民運動が対立するようになってからである。しかしもう少しその深部を覗いてみると、それにはバブルが崩壊して景気が決定的に落ち込み、公共事業によって景気の回復を図ろうとしたために自然破壊、環境破壊が際立ってきた、という背景があった。

 公共事業による環境破壊は、経済状態や景気がどうであろうと、許されることではない。それは、自然の循環や生態系を狂わし、そこで生活している人たちの「生活の豊かさ」(well-being)を奪い取ってしまうからである。いまでは、「環境」は「福祉」の重要な一部である、というのが人びとの共通の意識になりつつある。これまでは「福祉」といえば、障害をもつ人や低所得層など一部の人たちを対象とした社会保障(ソーシャル・サービス)を指していたし、多くの人たちもそう理解していた。しかしながら、いまでは「福祉」の概念は変わり、その範囲も拡大している。住居や教育や雇用も「福祉」の一部になってきた。福祉は「広義の福祉」のことであって、21世紀における福祉は、社会保障はもちろん、環境、住居、教育、雇用などを含めた広い範囲の、コミュニティに基礎をおく人びとのニーズに基づく制度やシステムになるだろう。それは、「福祉国家」亡き後の、文字どおりの「福祉社会」を創造する市民的努力の具現化であろう。

 朝日新聞の社説は、このようなことに未だ踏み込んではいないが、それでも「福祉の充実は経済の活力をなくすという偏見」を取り除け、と主張するまでになった。大変な進歩である。そしてこの主張をさらに押し進めていけば、住居、雇用、環境保全、介護それに保育や教育や職業訓練といったコミュニティに基礎をおく、人びとのニーズを満たす事業体や組織がこれからは重要な経済的、社会的な役割を担うことになろう、とジャーナリズムは認識するだろう。だが、問題は、そうなった時に、かかる役割を実際に担い得る事業体や組織が存在し、誰の目にもその存在が当然のように映っていなければならない。その意味で、労働者協同組合の発展は不可欠である。都市でも農村でも、労働者協同組合はコミュニティとその住民のニーズを満たす経済的、社会的な役割を果たしていかなければならない。換言すれば、社会的、経済的にバランスのとれた社会を築いていく一翼を労働者協同組合がどのように担い得るのか、その道筋を私たちが明らかにすることである。

 「労働者協同組合の21世紀」とは、「労働者協同組合が福祉の牽引車になる」そういう福祉社会を展望できる世紀のことである、と私は考えている。「負担にふさわしい福祉が得られると国民が信じたとき、福祉は充実し、経済の姿も変わっていくだろう」、と社説もエールを送っている。