『協同の發見』2000.7 No.98 総目次
<コミュニティケアを担う>

愛彩豆腐・愛彩弁当からヘルパーステーション
深谷地域福祉事業所「だんらん」

岡元カツ子(埼玉県/深谷地域福祉事業所「だんらん」)


生協の物流現場からの始まり

 この地域福祉事業所が設立されたのは昨年の5月13日。
 労働者協同組合は、それまでに13年の歴史をこの埼玉北部の地域で刻んでいる。
最初の仕事は埼玉北部生協の物流現場での仕事だった。生協の仕事ということで、組合員でもあった主婦が中心に、最初の仕事がスタートした。自ら出資して働くという労協本来の構えから見れば程遠いものだったが、いろんな出来事を経験し、定期的に欠かさず開く会議の中で、労協で働くことを自ら体験的につかみ、一人一人の組合員が成長していったように思う。

自前の事業をおこす


 この組織に転機が訪れたのは今から6年前、委託先の埼玉北部生協が合併し、物流部門が再編され、センター事業団への委託が切下げられた頃である。それまでは物流センターの全面的な委託をめざして、常にチャレンジ精神でセンター内の様々な仕事に挑戦していたのだが、委託の仕事というのは、仕事先の経営判断にどうしても左右されてしまう。
 「自分たちの仕事が今後どうなるのか」不安が募る中で、委託事業に頼らずに、自分たちの自前の事業を起こしたいと、何度も何度も議論を重ねることになった。
 その時、偶々見つけた労協新聞の記事に長野県北御牧村で豆腐を作って地域おこしをやっているという話があった。早速、8名の仲間で出かけて、地域から出資を募った話や毎日600丁の豆腐が地域の人々に買ってもらえる話、具体的な豆腐製造の話を聞くにつけ、そのやり方に協同組合と似た考えを見出し、すっかり自分たちでもやろうと意欲を掻き立てる見学会となっていた。こうなると全体会議は、単なる報告会ではない。「こうやって豆腐事業をやりたい」という提案が行われ、みんなの合意の下に新しい事業にチャレンジすることになった。

愛彩豆腐の製造

 場所は、現在の地域福祉事業所のある上柴西に確保できた。機械設備や室内の改装、宣伝のためのチラシなどで、初期投資は総額1200万あまりとなった。資金の一部は組合員に出資を呼びかけ、約200万が集まった。当時60人いた仲間は全員がチラシを持って帰って、それぞれの地域で宣伝をしてくれた。今の物流現場が無くなってからでは遅すぎるという仲間の思いがこの新しい事業に込められていた。
 国産大豆にこだわる豆腐で、その味の良さが口コミで広がり現在は350丁が売れている。経営的は厳しいところで、もっと売上を伸ばしたいと思っている。
 2年前にこの豆腐部門は製造を特化させようと別の場所に引越しを行った。今では近所のお年寄りが四方山話に花を咲かせ、豆腐を買いにやってくる場所にもなっている。「もう少し広いと本格的なたまり場として、お茶やお菓子を出せるのだが」と仲間の組合員は悔しがっているが、次の目標といったところである。

愛彩弁当からヘルパー講座へ

 豆腐の製造効率を上げるための移転から、偶然住宅街の一角に空きスペースが確保されることになった。以前から仲間の中でくすぶっていた「老人宅配給食」の構想がついに実現することになった。豆腐づくりでできる「安全なおから」もつかえる。名称は「愛彩弁当」。「1個でも宅配します」とチラシをつくり、宣伝を行った。安定的な拡大になっていないので、結構苦戦を強いられている。現在の食数は毎日40食程度にとどまる。100食ぐらいが目標だから、ちょっと今は厳しい。
 このお弁当を配るということは、当然高齢者の安否を確認することにもつながっている。ちょうど本部の方針提起にも「ヘルパー講座を取り組もう」と言われ始めた頃である。気持ちの中では次の事業をヘルパー事業に決めていた。しかし、先ずは「ヘルパー講座」の実施だった。
 深谷市の担当者は、2万円も払って受講する人がいるだろうかと半信半疑だったが、講師の派遣、会場貸与、広報誌への掲載などで協力を約束してくれた。ふたを開けてみれば、大盛況で定員40名に200名が応募、市役所の電話もパンクする騒ぎだった。このときやったのは3級講座だが、評判を呼んで続けて3回実施することになった。これをやる中で引き続き2級の講座を実施し、こちらはこれまでに6回終了。ヘルパー講座の受講生は延べで300人を超えている。

ヘルパー日記  楽しみ      円中正子
「おはようございます。」いつもの様声を掛ける、玄関に新しい上履とバック「?」
いつも布団の中にいる○さん、今日は起きて、着替え、コタツの部屋座っている。「ヘルパーさんが来たら、じきにおフロに行ける。楽しみに待っているんだ。」と明るい声。今日からデイサービスに行けるようになったとのこと。お嫁さんも二、三日前からとて楽しみにしていて、今か、今かと待っていたと話す。しかも奥さんと二人で行けるということで、奥さんもニコニコうれしくて仕方のない様子。いつもオムツをしている奥さんが、トイレへ行った。そしてうれしそうに話をする。少し痴呆がある人だが、まるで遠足前の子供の様。私もうれしくて思わずニコニコしてしまう。今日は一日楽しい日になった。次回訪問の時に今日のことを聞くのがとても楽しみ。

ヘルパーステーションを立ち上げる

 この講座の修了生に、ヘルパーステーションを立ち上げることやヘルパーの資格を地域で生かすことを呼びかけた。最終的に答えてくれた20名で昨年5月13日にこの愛彩弁当事業所の2階で深谷地域福祉事業所「だんらん」がスタートすることになった。
 当初の必要な資金はヘルパー講座で得て利益を当てた。最初の取組は地域を知ることである。13000枚のチラシを作って、この20人でチラシの配布を行った。人口10万の市で、世帯数はおよそ3万、半数近くの家のポストにチラシを入れたことになる。その後公民館、病院、薬局というところへも訪問した。売り上げがない頃は電話当番も無給のボランティアである。やれることはとにかく皆で手分けしておこなった。
 ちょうど福祉を政策に掲げた新しい市長が誕生し、補正予算も福祉に重点がおかれることになった。この動向を見極めることと指定居宅介護支援事業者になること、4月からの介護体制を確立することが、この頃の目標となっていた。
 幸い10月には「指定居宅介護支援事業者」の資格を得ることができた。早速、深谷市や妻沼町から「訪問調査」とケアプランの作成が委託されてきた。この時期の調査件数は155件、52名の方とケアプランの作成契約を結ぶことができた。4月向けてた体制強化のために、1月にはヘルパー講座卒業生の同窓会も企画し、さらに登録ヘルパーの数を増やして行った。

「続・住民が選択した町の福祉」の上映会
 
 2月には福祉の町秋田県鷹巣町の記録映画「続、住民が選択した町の福祉」と市長とのトークを企画し、2人1組になって、病院、公民館、薬局などをまわってポスターをはり、チラシをおかせてもらい、保育園の保母さんには「お母さん方に訴えてほしい」とお願いしました。
 「続・住民が選択した町の福祉」は、「ケアタウンたかのす」や介護保険の事業計画が住民参加でつくられていく過程が描かれており、アンケートには「普通の人たちが主役になったさわやかなまちづくり」「本気でやろうと思えばここまでできる、ということに感動した」などの感想とともに、「鷹巣ツアーの企画を」「ワーキンググループをぜひ」などの提案も書かれていた。招待した民生委員50人の中からは「よかった。自治会長さんも招待してほしかった」という声が寄せられた。新井深谷市長と羽田監督はトークのなかで「ポストの数ほど老稚園(宅老所)を」「住民と自治体とのパートナーシップ」などの話に共鳴しあい、「だんらん」のメンバーも「近場で老人が憩える、楽しい話ができる場がたくさんできていけばいい」「家の近くならお手伝いができる」「町を歩いたのは財産。訪問介護の仕事にもつなげられるようにしよう」と、ケアの仕事の拡大と「ケアのあるまち」を考えてもらおうとの企画だったが、350人の参加で成功させることができた。これもこの時期大いに労協のヘルパーステーションを宣伝する効果があったと思っている。

ヘルパー日記  初仕事      大里秋子
 6月3日。朝・夕2回の身体介護と午後の家事援助が私の初仕事である。緊張して出かけたYさん宅。穏やかなご夫婦が私の不安を払拭してくれた。昼と夜の介護をされている御主人の話を聞きながら、言葉の端々に奥様への愛しさが感じられ、本物の夫婦を見た様な気がした。不馴れではあったが80点と自己評価して朝の仕事を終えた。午後の訪問先はMさん宅。玄関を開けると 「ごくろうさん」元気な声が待っていてくれた。少し手が不自由だけれど、お話が大好き。仕事をしながら耳を傾ける。若い頃の苦労話や世間話の軽妙な話しっぷりに二人で大笑い。帰りは、Mさんが若い頃通い慣れた別府耕地の近道をスイスイ車を走らせた。実働僅か3時間。とても忙しく一日が過ぎた中で、素敵な御夫婦に感動し、Mさんに若さの秘訣を教わり充実した一日でもあった。これからも常に向上心を持って仕事に臨みたい。

広がるケアの仕事

 この4月の介護保険施行前のケアの実績は、5件月200時間程度だったが、4月には20件450時間、5月は30件650時間、6月は34件750時間となっている。6月の内訳で見ると家事援助が21件、身体介護が8件、折衷型が6件となっている。
 一般には身体介護の割合がもっと高くないと経営的には難しいといわれているが、ヘルパー講座などを組み合わせることで、経営的にもしっかりした運営ができると思っている。もちろん始まったばかりだから、当初の混乱を抜けたところで、まだ軽々な判断はできないが。
 ケアの依頼は、日赤の訪問看護ステーションや医療生協からのものが増えている。ちなみに現在ケアを行っている地域は、深谷、熊谷、寄居、江南、妻沼の2市3町である。「依頼を断らない」というのが安心感につながっているのかもしれない。今後、さらにケアの時間は伸びるだろうと確信していが、問題はそれにとりくむヘルパーの組織化である。現在登録しているヘルパーの数は100名。ヘルパー講座は今も継続して行っている。在宅でのケアの経験がないと仕事を始めるにも躊躇がある。経験のない人たちのフォローアップのために、ハローワークから教えられた施設研修の利用を登録ヘルパーの人に呼びかけている。今のところ、民間と呼ばれる事業所の中ではがんばっている方だと思っている。
 多くのヘルパーは家からの直行直帰で、ケア先での様々な問題点を自分の中にため込んでいる。本当は事務所に立ち寄っていろいろ話てゆく時間がもてると良いのだが、そうもゆかない。今は月一回の定例会議とケース検討会で、ヘルパーの元気な活動と技術の向上を支え合っている。「協同組合というのは、みんなが手をとりあう。悩みがあれば一人でなやんだりしないで、みんなでどうしたらいいか相談する。そうやって協力しあい、ひとつの輪になる、そういうことがとてもうれしい」というのは、ヘルパーの古郡さん。
 現在の事務所は2階だが、できれば1階の事務所を確保して、近所のお年寄りが気軽に立ち寄れる場所にしたい。できればディケアセンターも併設して行きたい。そんな希望をもって、一歩一歩皆で計画を立てながら、福祉のある町を実現するために頑張っていこうと考えている。


7月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)