『協同の發見』2000.7 No.98 総目次
<コミュニティケアを担う>

物流現場で働く組合員から地域福祉の仕事おこし
花崎昌子(滋賀県/ワーカーズコープふくろうの家)

はじめに

 5月25日、訪問介護事業に携わったヘルパーが、4月分の給料をもらうために、おのおの事務所に集まってきました。「ふくろうの家」の事務所は、緑の山の中の、京都生協滋賀物流センター駐車場の一角にあります。一日中、大きなトラックがたえず集結して、散って行きます。もとは、守衛室で、運転手や、入荷の元気な組合員のおじさんたちの働いている姿が窓からよく見える所です。最初の頃は、こどもの頃、教育テレビで見た、「働くおじさん」のようだな・・・・と思う程、仕事をしている姿がよくわかる窓で、今のこども達に、覗いてもらいたいと思ったものです。そんな余裕ももてず、4月・5月は、初めて引き受けた訪問介護の仕事・15件に、必死で取り組んできました。そんな数は、序の口と思われるでしょう。日本中には、たくさんの地域福祉事業所が誕生し、努力をされてきてこられているのですから。ただ、その守衛室の前に建つ、「京都生協滋賀物流センター 設立記念碑 1991年・11月」が、示す通り、滋賀県にセンター事業団が起こされて10年目を迎え、そこの組合員が地域へヘルパーとして飛び出している事業所だという事が大きな特徴です。

物流で働きながらヘルパーに就く

 1番は、午前4時間勤務の内谷ヘルパーが、10分休憩の中に、給料をとりにきました。彼女は、4月から、地元の開業医のデイケア業務に加わりました。今は、週1日ですが、6月半ばくらいから、週2日入ることになっています。
 「入浴介助もしてるんだよね、腰、大丈夫?」
 「うん、なんとか」
 デイケア業務に就いている人は、全員で6人です。その内、2人が、物流センターとの兼務で、1人が去年、副所長を引退した藤井さんという方です。朝、夕の送迎業務から、レクレーションの当番もまわってきて、大変ですが、病院直属のヘルパーにまじって、「ふくろうの家」のヘルパーの評価が高く1人・2人と増えてきました。「デイケア」等への利用希望者は多くなってます。在宅サービスの中でも、1日、家から出掛けて行って、仲間と楽しく過ごす場所があることが、大変喜ばれているということがよく分かります。そして、私たちのような、「訪問介護事業」と「給食サービス」のみを自前で行う団体、他の機関との連携を重視していくことで何かが開けると思っています。

1年前から始めて

 全国的に、一番遅れて取り組み始めた滋賀地域福祉事業は、濃厚な1年間を過ごしてきました。
 前出の藤井さんと一緒に、地域を走りまわりました。もちろん、第一回のヘルパー講座を開催するためですが、自分自身が、新しい土地で、「ネットワーク」の中に、新参者として、認知されるための意識的な行動に入っていきました。最初、全国紙の中で、福祉関連の記事ばかりを載せている雑誌を購入し、その中で、京都新聞にとりあげられた「なんてん協働サービス」という団体に目がとまりました。障害者が地域で、メンテナンスや緑化の仕事おこしをしてきたというもので、場所は、栗東事業所から5分くらいのところでた。商品管理の常勤組合員の西村さんのお友達が、そこで働いているという事で紹介してもらって、そこの溝口社長を訪ねていきました。石部(いしべ)町の介護保険の策定委員さんで、「介護の社会化を進める1万人委員会」の推進もされていました。労働者協同組合は初めて知ったという事でしたが、株式会社という形態を取りながらも、中身は、私たちがやっていきたい程、自治体と共同で、障害者の仕事の委託を受けていました。溝口さんに私たちのこだわりを理解してもらえた事が、後々、新参者には心強いサポーターになってもらえました。

ヘルパー講座から仕事おこしへ

 講座を開催するにあたり、組合員向けの内部募集をまずしました。ふたを開けると、栗東事業所が3人・甲西出張所が4人でした。100人以上いる女性組合員に対しては、これくらいの比率なのかとがっかりした反面、殺到するほど集まるような世の中の風潮もきもちわるいなとも思っていました。去年の3月の段階では、介護保険はまだ一般的ではなかったかもしれません。残りは、外部募集でした。50人を越え(選考し)、受講希望者は、物流センのターの2階の会議室で、説明を受けた後、見学もしてもらい、少しでもわかってもらおうとしました。主催をしている団体には、元気な女性と中高年の男性が一杯いると言うことを。

 8月の末に、30人が無事、修了しました。「なんてん協働サービス」も含め、非営利の就職セミナーも開催しました。そして、「ふくろうの家」も、にわかに、介護保険へ向けた組織づくりを始めたのです。その頃の見通しは、「来年の4月から、実際に稼働し、通用するための、ヘルパーの実力をつけたかった」のです。幸い、義母の通っていた通所リハビリ(デイケア)の開業医が、ヘルパーが足りないとう事でした。4月からの訪問介護の仕事をもらいたい・・・・という気持ちを正直に病院に伝えてきました。

 12月、ヘルパー講座の修了生で、同窓会を開き、介護者ネットワークとして継続していこうという事で、3月に二回目を開催しました。同窓生達が、新しく宅老所(なんてん)の開設の準備に加わったり、施設に就職していく近況報告を聞きながら、「ふくろうの家」のヘルパーは、先行き不安でした。藤井さんは、「こびらい生協診療所」のデイケアの弁当配達をして、ボランテイアにこつこつ協力したり、物流の袋詰めのアルバイトをしたりしていました。甲西出張所の組合員の旭さんは、いつかは事業団の自前のヘルパーが自信を持ってやれるようにと、地元の施設の登録ヘルパーとしても働いてきました。

 1月、仕事が来ようが来まいが、血液検査をして、利用者に対して、健康なヘルパーとして準備しようと確認しました。訪問介護事業所としての準備だけはつくって行こうと、ラーメン屋さんで、集まった「ふくろうの家」のメンバーの純粋な決意表明が、懐かしく思いだされます。先が見えないけれど、進もうという雰囲気は、緊張感もありました。サービス提供責任者の細居さんの、「必ず、仕事はきますよ。」という励ましが、心強いものでした。
 「花崎さん、最初から、順風満帆ではうれしくないじゃではないの。一生懸命やっていれば、人が集まって来ますよ。」 長年、老人病院で施設ヘルパーとして、夜勤もしながら働いてきた人で、たまたま、石部町へ引っ越してきたのを機会に、一から基礎を勉強しようと、ヘルパー講座を受講していたのでした。
 1枚のチラシからの偶然の出会いでしたが、細井さんがいたからこそ、4月からの難しいケースの引き受けもできたのでした。

3月―つながりが実って

 月末になりました。やっぱり、居宅介護支援事業所を立ち上げなかったら、仕事を得ていく事は、難しいのだろうか・・・・・。独自のファックス電話を買いました。「なんてん協働サービス」の訪問介護の仕事の応援に行くこともきめていました。やはり、自治体との連携を長年やってきた団体に訪問介護の仕事が集中するのは当然と納得していました。
 いよいよ月末4日前になって、これまで細々と朝の清掃とデイケアの昼食を届けていた「こびらい生協診療所」から10件、「ぼだいじ在宅介護支援センター」から2件、「真下胃腸科医院(デイケア派遣)」から2件、仕事の依頼が入ってきた。診療所は、往診や訪問看護で信頼を得ている患者さんなので、そこの紹介とあって、快く訪問介護の事業所として受け入れてくれました。「こびらい生協診療所」は、事業所の健康診断でお願いしているということもあり、これまでのつながりだと評価できました。

 ある日、利用者さんに、こびらい生協診療所のケアマネージャーさんは、何と言って、私たちの事を紹介してくれているのですか・・・と聞いてみました。「とても、正直な人たちですよ。」と。体に喜びが湧いてくる言葉でした。ヘルパーは正直が一番なんだと自信がつきました。それから、「清掃も、弁当配達も、ヘルパーもそうなんだろうな、みんな、連携してるな。期待に応えよう。」と思いました。

組合員の能力を生かして・・・仕事を担当

 介護保険の請求実務も、医療事務経験者の元組合員でヘルパーの内林さんに頼みました。今日も、ピッキングの仕事が休みの金曜日に2件、入ってもらう車谷さんに、利用者を紹介しました。1人だけでできないので、次の卒業生にも担ってもらうことになるでしょう。今、第2回目のヘルパー講座には、栗東・甲西から10名以上が受講しているのです。甲西出張所の宮崎所長もその一人です。午前中や午後、半日、物流の業務を行って、空いている時間帯で、ヘルパーに地域で入っていく姿を見ていると、組合員が、センター事業団「ふくろうの家」のヘルパーですと言っている事がとても画期的な事であるような気がしています。今までは、「京都生協滋賀物流センターです。」と言ってきたのですから。

 物流の仕事との「二足の草鞋」は続けていきながら、ヘルパーという仕事も少しずつ馴れて行こうとしている姿を見ていると、地域福祉事業所が、組合員を基盤に作ってよかったなあと思うのです。講座受講日は、それだけのメンバーが現場を抜けるという事で、現場の方も、講座日に休まないよう、バックアップしてくれています。

現状は―熟女!?が奮戦

 稼動している10人のヘルパーの内訳は、60代前後の熟女が半分です。若手が進出している福祉業界で、人生経験では上手という強みで奮戦しています。90歳代の方も3人いらっしゃって(利用者です)、いい味を熟女さんたちが出しています。滋賀県は、移動は皆、自家用車ですので、けっこうな距離を走っています。信楽のふくろうが棲んでいそうな山の麓から湖のそばまで。幸せを呼ぶ鳥のふくろうは、今では、信楽のたぬきに並んで、よく作られています。そして、首がくるりと回転することから、お金がまわるそうなので、事業団むきな名前と信じています。

 自治体でいうと、介護保険課の課長さんは、講座の車イスを無料でかしてくれたり、ベッドを長期間おかせてもらえるなど、仕事を町のケアマネが出してない分、気にして快くしてくれています。ヘルパーを受け入れられないという家に、安否確認のために弁当を届けてほしいという依頼を甲西町のケアマネからから受けています。町自体が居宅介護支援事業所としての仕事をしているところもあり、信頼を得て、訪問介護の仕事を受けていけるようになりたいと考えています。
 また、自立と判定された方の集まりにセンター事業団栗東事業所で作った弁当を届けたりしています。センター事業団栗東事業所の配食事業は、ベースとしてデイケアを行っている「こびらい生協診療所」、「膳所診療所」の2ヵ所に、週3〜4日ずつ(1回25〜35食)、届けています。地元の高齢者向けの昼食は、1日、3食から10食、毎日配達しています。なんてんの宅老所が、4月からとってくれました。火曜日は、物流を定年した男性がボランテイアで届けてくれています。

 生活総合産業という面では、家事援助に行っている二件の方から、ふすま・サッシの張り替えと庭木の剪定を頼まれました。家庭に入るという事は、こういう事なんだな・・・。と思った反面、総合的にプロになって行く事が求められると思っています。

 私は、堅い言葉でしたが、「ひとりひとりの組合員が、地域に出て、自分たちの仕事を直接行い、協同組合の再生をめざしています。」と栗東町の業者説明会で言いました。「信念を持って頑張ってください」と役場の方は言ってくれました。労働者協同組合をどんな風に地域で創造するかは、内部の課題ばかりで、モンモンとしていても、生産的でないと思うし、もともと、そういう組織を作ろうとして始まったものではなかったはずという信念が私には強くありました。今、思えば。

 三年前に、イタリアの社会的協同組合の見学に休みをとって参加させてもらってよかったと思っています。「なぜ、そこまでやれるのですか。」という質問に、ダビデの彫刻のような神秘的な顔をした男性の代表の方が、「協同組合の精神」ということばを言われた時、スッーと心がしました。労働者協同組合に確信がもてなかったの時期でした。日本では、そういう精神はまだ始まったばかりで、歴史が浅いのだと思えば楽になったのです。歴史的にそこまで、発展しているところがあると思ったら、自信が沸いてきたのです。だから、組合員の運動は、質や量は変わっても、継続的に変化していくべきだし、時間をかけて発展していく長い目も必要な気がしています。「我が亡き後に 洪水はきたれり」ではいかない気がします。時代の流れを見越しながら、悠久の流れも持っていたい・・・。それは、滋賀の障害者運動の先駆者たちの思想を今も引きついで、新しい事に挑戦している人々から学びます。焦らず、こだわりをもってやっていきましょう。

最後に

 ヘルパー講座の講師に、次に上げるものを、価値が高いと思う順に並べなさい。という人がいました。
 正義 財力 向上心 健康 愛情 努力 忍耐 奉仕 仕事 楽しみ
 そして、グループごとに、話しあいます。自分の順位とは、まったく価値観の違う人が、ヘルパーになろうという人の中にいっぱいいるのです。ケアに入る家庭それぞれに多様な価値観が存在するという事を勉強できるわけですが、不思議な傾向があると気づきました。 多くの人々は、健康・愛情を上位に持ってきます。その次に、正義という人は、私だけでした。年輩の女性たちにとって、正義は、自分の意見を押し通す事で、考えは人それぞれ違うもの、という風に言葉をとらえていて、生活上では、あまり「意味が大きくない」というのです。私の思ってきた、正義感のある・なしのような意味は、どこへ行ってしまったのだろう。更に奉仕という言葉は、9か10番目に持ってくる人が多いのです。奉仕という言葉が、フィットしなくなってきているのかもしれません。ボランテイアの方がいいという意見も出ていました。仕事・向上心・努力楽しみが4位から6位くらいをしめるのです。財力の位置を、上位にする人は、一部です。総じてヘルパーになりたい、やってみようという気持ちは、お金が目的ということだけではなく、自分自身の前向きな姿勢の中から出てくることで、自分の正義ばかりを押し通さず、けれど、それは決して奉仕というような、美しい言葉のものではない。
 そういう人々が、多いなかで、労働者協同組合づくりを一緒にやって行く、共通の目的は何なんだろうと考えると、個人主義を脱して行くことのように思えるのです。選ばれるための競争や、質の高いサービスの追求も大事だけれど、「なぜ、介護の仕事を続けているか。がんばれるか。」というような話しあいが非常に大切で、きわめて哲学的なテーマになっていきます。そういうテーマでもって、かつては、村のお寺や、祭りで寄り合って盛り上がっていたんだと思います。在宅でケアを利用しながら、暮らして行くという人々が、1人ぼっちではなく、人々に守られ、話し合われ、支えられる状況になってきているのは、豊かな社会の到来のような気がします。市民社会の成熟というと大げさですが、確かに、人々の自治体の施策への関心も高いですし、介護保険が、もたらしたものは大きいとおもいます。


7月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)