『協同の發見』2000.4 No.95 総目次

<特集 2>世界をつなぐシニアシチズン(2)


 昨年の123日〜4日、横浜で開催された国際集会の“世界をつなぐシニアシチズン”でのAARPパーキンス会長と上海老齢委員会倪副主任の演説がありましたが、時間の関係もあり、演説原稿の一部分のみが使用されたに過ぎませんでした。したがって全文をここに紹介します。
 
なお、高齢者について、中国の原稿では「老齢者」、アメリカでは「Old Person」と使われていますが訳では「高齢者」としました。但し固有名詞については原文どうりとなっています。パーキンス氏の原稿の中見出しは,訳者が付したものです。なお、この特集は本年1月号に掲載されたもののつづきです。

全米退職者協会AARP
─教訓 ドアをノックしても高齢者はいない

AARP会長 ジョセフ・パーキンス/翻訳 大谷正夫

 友人がある詩を紹介してくれました。それは、本日のこれからの話に、まったく適した内容であります。それは古い日本の詩ですが、英訳は以下の通りです。

If only, when we heard
That Old Age was coming,
We could bolt the door
Say,
We're not at home",
and refuse to let him in!

(もし、“高齢”がやってくる足音が聞こえたなら、ドアを閂で閉めて、われわれは家に居ないよと叫んで、入ってくるのを断ろうではないか)

 これは日本の詩なので、恐らく誰方かはご存じではないでしょうか。私が最も興味をおぼえるのは、この詩はどんな言語でも、またどんな文化でも.人間の歴史の中で何時でもはっきりと言えることだからです。この厳粛さとユーモアは万人の感情を表現しています。 私はいつでも人間の歴史のなかで、この詩は書かれ得ると言いましたが、今日の詩人が昔の詩人が考えたと同じように考えるかは不確かです。
 世界の富める国と貧しい国の格差は極めて大きいが、どこにでも今まで以上に高齢者を見かけます。数百年前と今世紀の始めに高齢化はどのような変化があったのでしょう。
 高齢化と高齢者について本当だと考えたことは、前世代で大きく変わったのです。
20年から30年前に、誰が国際高齢者年を考えたでしょうか。
 私たちの社会において、高齢者の位置と重要性を考えるようになったのは、比較的最近の事です。したがって私たちは、今日、お互いにそして一緒に祝いあう資格があるのです。しかし、同時にいろいろな場所での真実を、みつめることが必要です。
 AARPとアメリカの高齢者について言えば、私は今世紀の初め、そして30年前とも、事実が、今日では何故異なっているのかを知っています。
 今日では“高齢”がドアをノックしに来たとき、家のなかには誰もおりません。理由は簡単です。私たちが高齢と呼んだものは変わったのです。簡単にいえば、私たちが生きて来た年数に、さらに年を加えたのが高齢なのです。人々が長い間、加齢とともにドアを閉めさせた、あの衰えはないのです。これは新しい現象であります。
 今世紀の初め、最も技術の発達した国の平均寿命は47歳であり、この間、あまり上がりませんでした。今日、メジアン(中位数)は日本で41、イタリア40、英国37、アメリカ35、中国は30であります。これらはメジアンで平均寿命ではありません。これらは70まで上昇しました。
 平均寿命とメジアンの伸びは工業国で最も劇的でした。これには幾つかの理由があります。それらは、幼児死亡率の低下、良き医療保健ケア、良き教育と出生率の低下などであります。
 しかしながら、今日どこの国においても、メジアン年齢と平均寿命の伸びが、同じ要素として影響しています。したがって、高齢者の地位と福祉とその行動が、今年は、単に工業国のみならず、国際的に関心のあるテーマとなったのです。
 個々の社会はグレイになっており、世界もそうであります。人類の歴史のなかで、かつてなかったほど高齢者が多く、活力があり、健康であります。
 だから私は言ったのです。ドアをノックしても高齢者は見つからないと。さて私の経験を参考までにお話ししましょう。
 AARPは、最低は50歳からの3200万人の会員をもっています。3分の1はまだ働いて給料を得ております。かれらは正式に雇用されているのです。その他の多くはボランティアとして働いています。何も稼がないのですが、時々長時間働いています。
 そして多くの人が、退職後も非常に活動的な生活を送っています。私は決して私の組織やアメリカが特殊だとは思っておりません。私共が経験していることは、貴方たちも経験しているのです。私たちの市民がしていることは、貴方たちの市民がしていることなのです。私たちが到達するものは、貴方たちも到達するのです。
 しかし私たちは今後どうなるのか、それが大きな問題です。近い将来、そして数年後どんな社会を迎えることになるのでしょうか。世界の増加する人口の大部分は高齢化し、世界のどこにも見られる健康と教育の格差は、最初に縮小しはじめ、そしてやがては消えるものと思います。しかし私たちはどのように高齢者をみているのでしょう。どのように彼らをケアしているのでしょう。かれらの技術と知恵からどれほど利益を得ているのでしょうか。これらは、最終的な答えを未だに待っている問いであります。私はこの質問には確答することができません。しかし、この問題は私たちの組織が長い間、問い続けて来たものなのです。AARPの場合、50年以上もその答を捜し求めて来たのです。答は最終ではないけれども、過去半世紀に大いに学びました。私は、私共が学んだことをお伝えしようと思います。たぶん貴方たちの社会にとっても有益だと思うからです。
 この国連の国際高齢者年における私共の活動について触れる前に、歴史に言及するのは極めて簡単な理由からです。私は多くの個人そしてAARPも含む多くの組織が、高齢者の権利と社会への包み込みのために、長い間の非常な努力がなかったならば、本年に祝うことはできなかったものと思います。したがって、私共の活動して来たことや学んだ教訓の幾らかでもお知らせすることは皆様に有益なこと思います。

非営利組織には独立が大切

 この50年間で学んだ最も重要なことは、組織制度の事です。しかし官僚主義を私は意味してはいません。組織の内部運営には官僚主義は、あるいは必要かも知れませんが、できるだけ軽く、透明なものでなくてはなりません。組織制度とは、私は非営利組織としての外部への活動、ポジション、威信を指していますが、これらは軽くても透明でもいけないものです。反対にこれらは、質が重く、見えるものでなくてはなりません。AARPの他の成果をあげる前に、組織体制の問題を出すのはやや当惑ぎみなことかも知れません。
 しかしそのわけを説明しましょう。非営利、非政府組織はもともとの権威や力というものはないのです。それは、質の高い、目に見える活動によって獲得されるものなのです。 もし、非営利組織が、AARPがそうであるように、高齢者の擁護に成功するならば、それはすべての世代にも公正で適切なものとなるのであり、もしも、非営利組織が、AARPがそうであるように、教師であるならば、その教えはそれを学ぶすべての人々を導き、啓蒙するものでなくてはなりません。
 もし、非営利組織が、AARPがそうであるように、民主的で公正を求める組織であるならば、一部の人の犠牲によるのでなく、すべての人の公正を求める包括的なものでなくてはなりません。
 
この点を説明するため、AARPが有名となったある成果を簡単に紹介しましょう。それは長期にわたるアメリカの社会保障制度の擁護であります。私どもは事業に少し成功をおさめ過ぎているとして非難され、自分たちのことだけを考え、欲が深いとも言われているのです。
 高齢者を尊敬しないそんな人々は恥ずべきであります。しかし、それは問題点を完全に見落としていることにおいて、さらに二重に恥ずべきなのです。
 私のような70歳のものが、社会保障について、現在より30年から35年の先まで問題はないか確かめたいと願うのは、自身の利益だけのために心配していることなのだろうか。30年から35年のあいだAARPの私たちは心配することはないのです。
 しかし、私は心配しています。それは自分のためではなく、子供や孫たちのためです。 私は、私が受けているのと同じような良き給付を、かれらが既に払っていることにたいして受け取ることを望んでいるのです。AARPは、そしてメンバーの誰もが、他を犠牲にした私たちだけの公正を望んではいません。
 すべての人に対する公正さは、ちょうど擁護と教育のように,明確に組織の原則となっています。この原則にそってこの半世紀に活動をして来たのです。
 そしてこの原則に忠実であったがために、前にわが組織の価値として述べた評価と位置づけを獲得することができたのです。そして力と権威を社会に獲得することができたのです。 私たちが、もし非営利組織でなかったなら、少なくとも最初には、もっと力と権威を得たであろうと認めるのにやぶさかではありません。政府の関係機関か、政党の付属組織か企業の外部団体か労働組合組織かであれば、このような組織の質はより早く、実際には即座に手にすることができたでしょう。しかし、どのような代償をはらってのことでしょうか。非営利を組織し拡大するのは難しく時間のかかることです。非営利組織が比較的新しい日本では、その難しさを皆さんはご理解できると思います。
 最初にどんなに弱々しくとも、自分の足で立つ組織は独立を保つことができます。独立は、短期的にも長期的にも、非営利の力と権威の基礎であります。その理由は明白です。貴方が話すときに、貴方自身の声で、貴方のメンバーの声で話ができるからです。貴方の声は貴方自身のもので、スポンサーの声ではありません。このことはあなたの声に重みを与えるのです。それは貴方に賛成しない人々の間にさえもです。貴方は政治からでなく原則により話をするからです。他の組織の支持に頼ることは、非営利組織が支持を失いやすいのです。
 結局、非営利組織を支援する政党や労働組合が興味を失い、彼らの資金を他の目的に使用し、他の人々が喜ぶプロジェクトを追求することになったならどうなるのでしょうか。 明らかに、それは非営利組織にとって良いことではありません。したがって、私は非営利組織は、自身で財政を持続させねばならないと信じます。AARPは会員からささやかな会費と、私たちの雑誌への広告料、そして会員にサービス提供をするようにと、私たちが勧めている会社からの手数料でそうしています。
 自分自身を支えるために、非営利組織は自分自身の支持者を作らねばなりません。それはまず通常には会員です。

強制的定年制は二重の悲劇

 私は少し前に、非営利組織は民主的で包括的でなければならないと述べました。AARPの例をまた引用しますと、65歳以上の男女の半数以下の人しか加盟していません。
 未加盟者が、情報を得てすぐにも加入することを望むとともに、私たちの擁護活動を、会員に差し伸べて来たのと同じように、彼らにも提供するものです。
 例えば、長年にわたる努力の一つで、このことで私たちは有名にもなったのですが、年齢による強制的な定年制に反対してきたことであります。私たちは65という数に魔術、特に悪い魔術があるとは信じません。
 私たちは、その年になったとき、突然のひどい変化が起き、健康で生産的な人間が直ちに病気がちで面倒な見捨てられたものになる、とは信じないのです。
 したがって、私たちは長年にわたり、65歳定年を取り払うことの法律を提唱し、ロビー活動をして来たのです。これらの活動から、多くの非会員の高齢者が利益を得て来たのです。
 組織の独立の価値に戻りますと、政府、政治、ビジネスや労働組合の声から独立していない法律をみることには疑いをもちます。
 そのような組織はこの問題には少しも関心を持ちません。またある組織は興味を過度に持ち、私たちが差別と思う伝統の立場を固持しようとします。
 私のビジネスマンとしての経験をお話しするのをお許しください。私はポラロイド会社で働いて来ましたが、それはアメリカで、年齢による強制的定年制を最初に取り払った会社であります。
 
1970年代に、日本のビジネスマンたちを、本部事務所と工場に案内したことがあります。最後に一人が尋ねました。高齢者はどこの棟で働いているのですかと。もちろんそんなところはありません。私は70歳の人が、25歳の若者と働いているのを示しました。
 さて、冒頭に引用した詩のように、70年代ではどこの国からの訪問者でも同様な質問をしたでしょう。それがアメリカ人のビネスマンであっても、私は驚かなかったでしょう。 よろしいでしょうか、それはたったの25年前の事なのです。
 高齢者はよく働けないか、よい労働者ではないという主張は、むしろ偏見ですが、法律の中に確立され、普遍的に受け入れられているものであります。したがって、非営利の組織はこの差別に対する理想的な反対者です。

*最初に、私たちや、私たちと同様の考えを持つ個人や組織は、既得権を持たず、現状  維持を支持しなかった。
*第二に、私たちがそのような立場を取らなかったために、伝統であり、従来どうりで現状でもあると、むしろ他者がみたことに、私たちは差別をみることができたのです。
*そして、私たちは会員を知り、多くの高齢者が働くことを望み、そしてまだ働いているのです

 この最後の部分は幾分かの推敲が必要です。強制的な定年退職を受け入れる社会は、高齢者は働きたくないか、それを欲しないと想像しているのでしょう。多くの社会がそうであっても、私の属する社会では、明らかに皆がそうではありません。
 これらの例はアメリカの背景を述べたのでして、アメリカの考え方と現実とを反映したものであることはご理解いただけると思います。他の社会では、生活やビジネスはその国の流儀で行われるのですから、ここで私は、ものの見方や現実をレクチャーするために来たのではありません。しかし、強制的定年退職にたいするAARPの抵抗についての話から、私は2つのポイントを申したいのです。
 一つは、もう既に述べたのですが、価値があると思われるので繰り返します。AARPの独立と会員についての知識がなかったならば、この戦いに加わり、成功をかちとることができなかった、ということであります。私たちは独立ときちんとした見解を持っていたということです。二つ目には、これはやや広い見地からですが、強制的定年退職は二重の悲劇であると見ています。働きたいと思い、また必要がある人々の意志に反して退職させることは、公正とは思えません。また、男女の高齢者のもつ技術、専門知識や経験を社会から奪うことは、賢明ではないと思えることです。
 このことは、ただ会員の高齢者のニーズを越えて、社会全体の高齢者の福祉の問題をとりあげているのです。経済用語でいえば、高齢者は負債ではなく、人間の資本であり、債務ではなく資産であります。彼らは単なる消費者ではなく、まさに生産者であり得るのです。彼らはそれらのすべてがあたえられれば、そうなれるのです。そうでなければ、高齢者は荷物であり、費用のかかるものという灰色のイメージが自ら身につき、彼ら自身や社会をも失うのです。
 年間を通しての国際高齢者年は、高齢者にみる価値、彼らに期待する価値についてを祝うものです。価値と私が言うとき、それは公正や経済以上のことを指しています。私は事実に直面していることを話しています。最初に申しあげた人口動態の統計は皆さんには決して耳新しいことではないでしょう。
 高齢化の進む世界において、高齢者の重要性、価値、貢献を認識することは、まさに現実以外の何ものでもありません。事実を正視し、彼らをできるだけ活用することです。
 多くの変化に富むこの社会に、高齢者の完全な参加を否定し、片隅においやることは、私たちを損なうことであります。そしてこのことから国際高齢者年が祝われたのです。
 高齢化は世界的現象です。通商、文化、通信も国際化しています。今日、グローバリゼイションと言われるものです。
 タイのバーツ、ブラジルのレアルが、円とドルのひどい影響をうけている困難と事実を知っています。これは政治的境界や異なる言語を考慮せずになされているからです。
 一国において高齢者を片隅に追いやり、排除することが、同様な影響があると考えられるでしょうか、特に高齢者が多い中で。また彼らの追いやりと排除が、通貨の変動と同様に社会の経済の進歩の足を引っ張るでしょうか。私はそうは考えません。私は繰り返し強調したいと思いますが、私たちの方法は貴方がたのものでもあり、貴方がたの解答はまた私たちのものでもあるのです。

 他組織とパートナーシップで成功

 私たちの方法と手段は社会により異なるものです。国境がますます意味のなくなっている世界では、目標が同じでなければ、お互いに補完しあうものでなくてはなりません。大きな目標は大都市のように、そこに近づく多くの道があるものです。そしてそれらの道をつくり、必要に応じて修理する多くの方法があります。私はやや詳しく非営利、非政府組織の独立の利益について話して来ました。しかし、独立は孤立ではありません。それは他から距離を保っていることではありません。また、よい考えの独占でもありません。
 AARPがすばらしい成果をあげ得たのは、単独飛行ではなかったからです。
 私たちは、問題についての観点を同じくする、他の組織や個人を常に求め、発見して来ました。そして彼らとパートナーシップを結んで来たのです。彼らの幾つかとは、主として原則と考え方から、長期で、持続的な関係を保って来ました。その他は、主として共通の立場とか問題で、短期で実践的なものであります。
 パートナーシップを組むということは、協力をするということ以上で、結果を共有するということです。目前のことで言えば、世界の高齢化する人口の影響とその意味することについてであります。
 そのため、AARPは政府機関や企業、労働組合、そしてアメリカ国内外の非政府組織ともパートナーシップを組んで来ました。例えば国際高齢者年では以下のようにです。

*連邦高齢者年委員会と共に、政府関係部局同士、政府機関と非政府組織間のパートナーシップと協力関係を作り出すため活動した。
*東、中欧の高齢者に支援の手を差し伸べ、擁護する組織をつくるため国際ヘルプエイジ(HelpAge)と協力した。
*ジュネーブのGINAとよばれる国際組織の開発に協力した。このネットワークは国  連機関とスイスの組織をふくむ非政府組織を結び付け、高齢者のための活動のないところで高齢者のサービスのために活動するものです。しかし国連の諮問機関ではありません。
*情報の発信機関である、コアリション99を高齢者年の間担当した。
*国連機関、コアリション99、ヘルプエイジ、GINA、そして、ウイーン、ニューヨークの非政府組織と協力し、高齢者の人権、とくに後期においての高齢者自身の考え方と期待を調査した。400以上の事例をパンフレットに掲載した。
*AARPの会員である全国退職教員協会では、ユネスコと協力して50歳過ぎの学習について討論会を組織した。

 これらは私たちが行って来たことですが、私たちとはAARPだけではなく、ともに活動した他の組織や人々をも指しています。そして教訓として、私たちの、および他の非営利組織の独立が、共同によって損なわれるどころか強化されたということです。
 別な表現をすれば、独立により、相互依存が可能となり、勝利を分かち合い、困難の解決と将来に向かい合うのに力を結集することができるのです。
 以前私は、将来に関する答えられない質問をしたことがあります。“私たちはどうなるのだろうか”という質問です。しかしその答のヒントなり、道路マップはあるのです。まず、私たちは高齢者のための活動において、より団結しているでしょう。そのことの証明もあります。高齢者年の活動での国際的協力と相互依存が将来へのチャンスを提供しているのです。これは解答の一部ですが重要なことであります。
 コチ・アナン国連事務総長が言ったように、ひとつ、ふたつの社会でなく、世界は早くも3分の160歳以上の人々で占めつつあるのです。
 そして“高齢”がドアをノックしたとき、家の中にはより僅かな人しかいないでしょう。そして、高齢を人生の終わりでなく、連続としてみるならば、ほとんど家の中にはいないでしょう。高齢者を片隅に追いやることを拒否し、人的資産そして完全な市民としてみるならば、です。
 もし、人権や自尊心と言うものを、そして仕事による収入が、根拠のない或る年齢で終わることがないということを本当に信ずるならば、であります。そして教育や健康ということが、若者や富めるものの特権ではなく、人生を通じて必要であるという、犯すことのできない原則を受け入れるならば、です。
 そして、能力は年齢に関係なく、価値も年齢に関係なく、尊厳も年齢に関係ないという教訓を学び、心に深く受け止めるならば、です。
 これらは、私たちがどうなるかについて、確かなことは語ってはいません。しかし、私たちがどうであるか、どうしなければならないかを語ってはいるのです。このことが私たちの将来に導くのです。今、私たちの目の前にある事実をはっきりと見つめ、公正に取り扱うことを準備することが最も大切なことです。
もしも、はっきりと見、公正に取り扱うならば、正しい解答をそのときに知ることができるでしょう。


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