『協同の發見』1999.12 No.92 目次
環境/公害問題と協同
 
環境と若者と協同
 
 
高成田 健(千葉県/センター事業団) 
 

1 環境問題に取り組む

 
■フロンとの出会い
 
 すべては1本のビデオからの始まりでした。1998年の春、当時「ニュースステーション」のニュースキャスターを務めていた父から1本のビデオを見せてもらったことが、私が環境問題に取り組み、そして労協として取り組み、さらに多くの若い人たちと出会うことになったきっかけでした。ビデオの内容は、東京の江戸川区で自治体が地域の環境市民団体と協力してフロンの回収を進めているというものでした。このような取り組みを高齢者の就労と合わせて考えてみるとよいのではないかという父のアドバイスを受け、さてどのように進めるかと考えていたところ、労協連の環境問題研究会発足と参加の知らせを受けたのでした。
 その当時、私は病院の現場に携わっていてゴミ処理の問題を抱えていました。その関連で研究会に呼ばれたのですが、私はそこでフロン問題を提起し、研究会として最初に勉強する問題として扱ってもらえることになりました。
 
■回収の実態とストップ・フロン
 
 みなさんは、フロンの問題をご存知でしょうか。フロンはコンピューターなどの精密機器の洗浄や空調の冷媒として使われてきましたが、無毒で不燃性でさらに安定しているという「夢の物質」として、1928年にアメリカで発明されて以来もてはやされてきました。人畜無害ということもあり世界中で生産され、実際に私たちの生活の中にも冷蔵庫・クーラー・カーエアコンと身近に数多く使われています。しかし、このよいこと尽くめと思われたフロンも、1974年にアメリカのローランドとモリーナによってオゾン層破壊の指摘がされ、80年代にはオゾンホールが発見されました。さらに90年代に入ると、オゾンホールが深刻化する中、地球温暖化を進める最悪の物質へと変貌することになります。
 当然その使用規制や生産制限も早急に手が打たれなくてはならなかったのですが、すでに幅広く使用されてきたフロンだけに代替物質がないということもあり事態は簡単には運びませんでした。1987年にようやくモントリオール議定書が採択されてフロンの生産や消費量が制限され、90年には99年までにその生産を全廃することが見直され、さらに92年にはその全廃が95年までと前倒しされて、消費量に関しても制限が強まりました。地球温暖化に深刻な影響を及ぼすことが解明され実際に事態が悪化していく中、世界においての規制が強まるのは当然の流れですが、日本においては批准は行われるものの実際にはその使用規制や生産制限は後れをとり、また回収の実態も進みませんでした。
 
■全国ストップ・フロン連絡会
 
 行政の歩みののろさが判明している中で、全国各地で市民団体としてフロン回収を進めるところがいくつもあります。多くの団体はストップ・フロン全国連絡会(事務局は高崎)に加盟しています。代表は石井史さん(高崎経済大教授)が務め、全国の状況・情報を収集しそれをとりまとめて全国に発信していたり、オゾン層関連の会議やシンポジウムへの出席や企画など、さらには行政への提言を行っています。最近ではデンマークのフロン回収機構の常務理事を招きその進んだ対策を学んだり、皮膚科の先生に皮膚への影響を話してもらったり、南極においての観測を行っている人からの報告をもらったりといった「オゾン層保護フォーラム‘99」を兵庫、福岡、神奈川と9月の初旬に連続して開催するといったことを手がけています。
 
■高齢者協同組合で取り組む意義
 
 フロンは冷媒や洗浄剤として日本の高度成長期に大きく貢献した物質の一つといえ、その恩恵を現在においてもわれわれは受けています。しかし、フロンが温暖化に対し最悪の物質とわかった今、われわれはその回収に努めなくてはならないと思います。その際に実際に製造し使用し製品を利用し恩恵を被った人、すなわち現在高齢者となってきた人が、人生最後の仕事としてその回収に携わってもよいのではないかと考えます。21世紀の子供たちにきれいな地球を残すという趣旨のもと、定年退職後の高齢者の生きがいとして取り組むことができればと思っています。
 もう一つ「高齢協で」という理由があります。それは、コストの問題です。なぜハッキリと地球環境への悪影響が示されさらに国際条約として批准されているフロンの回収が進みにくいのかというと、その回収にコストがかかるということです。現在日本ではダイオキシンの問題が盛り上がっています。ゴミを処理する場合にはその処理コストがかかるということが徐々に浸透してきました。フロンに関しても同じであり、やはりその回収には回収者が回収に行く手間暇やその回収機の維持費、回収後の破壊処理費、さらには受付や依頼の事務連絡といった、多くのコストがかかるということです。日本においては法律や条例での取り締まりがないためにそのコストを回収者が負担するほかなく、それは結果的にはユーザーに転嫁するしかないということです。
 現在ようやく粗大ゴミなどを出す場合の有料化が広まってきた段階の日本で、さらにその他に処理費をユーザーから取ることは至難の業です。したがって、回収業として軌道に乗せることは難しく、実際回収を主とした業務として行っているのは日本においてはただひとり青梅地域の青年がやっているだけということになります。そこで、高齢協であれば先に書いたような強い責任感とやりがいを持って有償ボランティアのレベルで取り組めるのではないかということなのです。
 

2 最前線で活躍する若者

 
■若者との出会い
 
 現在日本においてフロン回収業をメインの仕事にしているのは、青梅に住む宇津木浩一さん(28歳)だたひとりです。宇津木さんは自動車整備工場でアルバイトをしていた時に目の前でフロンが放出されているのを目の当たりにし、なんとかこれを阻止できないかと、その後勤めた仕事も辞めて宇津木商店として自営で取り組んでいます。始めた当初はフロンに関する関心も世間ではほとんどなく、回収するのにむしろお金を払って回収させてもらっているような状況だったそうですが、当然すぐに資金ショートし一度破産しました。しかし、そこで辞めずに今度は行政に粘り強く訴えて回収処理の委託を受けて仕事にするという方向に切り換えました。現在地域の11の市町村と委託契約を結び、自分ひとりが食べていくだけでなく人ひとり雇うことができる状態にまで来ています。
 労協の環境問題研究会で勉強する中で、回収機さえも自分で改良し作ってしまわれる宇津木さんに教わるところは数多く、なんどか私たちも足を運びました。また私は今千葉県で仕事をしていることもあり、県内で2回勉強会を一般市民も含め開いた際にも講師として実演も含め来てもらったりもしました。そしてついには今年の春、われわれの「ぜひ回収を実際に進めたい」という想いを汲んでもらい、中古の回収機を譲っていただくことになっています。
 
■多くの若者との出会い
 
 このフロン問題に取り組む中で、大きな特徴に気づきました。それは、前線で活動している人に若い人が多いということです。取り組むきっかけとなったと書いた江戸川で活動する「足元から地球温暖化を考えるネットワーク」の事務局の方も、公務員で働く傍らにフロン問題を取り組んでいる20代後半の方であり、またストップ・フロン全国連絡会の事務局も私と同じ25歳の女性の方が務めています。彼女を含めどのように食べているのかわからない人もいますが、このほかにも活動の最前線には若手が活躍しているケースが目立ちました。
 私はフロンを勉強していく中で他の環境問題を扱う人とも多く交流する場面があり、先日も環境NPO(代表 後藤隆)の設立会にメンバーとして参加したところ、代表が32歳と若く、さらに他のメンバーの多くが20代でした。もちろん若い人たちだけで構成されているわけではありませんが、なぜ環境問題に若者が集まっているのでしょうか。
 
■若い人が今、求めるもの
 
 今、日本において最も関心が高まっているのが介護の問題です。来年4月の介護保険導入が決定している中、全国のあちこちで福祉施設が整備されています。そしてそれら福祉施設の職員は専門学校卒業生を中心に10代後半〜20代前半の人で構成されていることが多いです。賃金を低く押さえられることもあるかもしれませんが、最近の若い人は「コミュニケーションをとるのが苦手だ」とか「パソコンや携帯など機会を通してのドライな関係を好む」などと言われていることを考えると、福祉の仕事などはまさに精神面での援助が大切であり、矛盾した状況が生まれています。これを私なりに分析すると、現在の日本のように市場機能や物流機構が高度に発達する中で、多くの“モノ”を簡素で効率よく手に入れることができるようになると、一方でお金で簡単に手に入らない“ココロ”を求める動きが出てくるのではないかと思います。
 最近の小学生が将来何になりたいかという調査では「職人」が一番になっています。しかも現在職人は仕事や跡継ぎがいなく衰退の一途を辿っているうという状況にもかかわらずです。「最近の若者は……」と、とかく言われがちであり、確かに外見は変わっているが中身は本質的に変わってはいないと、私は神戸の震災の時から確信を持っています。あの時私もボランティアに行きましたが、1万人以上の若者が何の見返りも期待せずただ被災者のために何らかの役に立てればという想いだけで集まりました。カネやモノで援助するのではなく、直接行って自分の体を使い人や社会に貢献したいと考えるのは、構造的に自分の労働が見えにくい社会の中で“自分が見える働き方”を望んでいる現われではないかと思います。

3 これからの協同を環境を通して考える

 
■公共性の変化
 
 これまでの日本において福祉や環境といった分野は公共性の高い分野といえ、官主導による措置のような形で行われてきました。ところが近頃新聞などでよく報道されていますが、福祉や環境においての市民主導による動きは活発にあり介護保険と言う呼び水がある福祉と違い環境の分野での活躍は目覚ましいものがあると言えます。諫早湾、長良川堰、三番瀬、など多くの環境問題で地域住民が立ち上がり地域の視点を加えた公共事業の実施を望みました。地域という公共の場はつくってもらうのではなく、自分たちに合った形、自分たちでつくっていくのだということが徐々に広まっています。
 
■協同の有効性
 
 その際に、私がフロンで取り組んでいるように、協同という形で取り組むのは大変有効ではないかと考えます。ひとりで考えていてもいいアイディアは生まれません。またこれまでの環境への取り組みのように局地的で一定の層しか取り組めないような運動であっても広まらないと思います。NPOが最近後押ししているように、さまざまな世代の人たちがさまざまな目線で取り組める、しかもまったくの個人の持ち出しではなく有償ボランティア的な要素も含めて進めることができるとよいのではないでしょうか。
 
■若者の新しい働き方
 
 不況やリストラの風が吹き荒れる現在、若い人の中で働くことへの自問が始まっています。これまでの“日本株式会社”が崩れた今、同じリスクを背負うのなら自分の満足できる働き方を求める人が増えつつあります。私たちは何に満足を求めようとしているのでしょうか。
 結論から言えば、巨大マーケットの中で株式会社の歯車の一部として働くのではなく、地域社会の中で直接人と接したり貢献できるような目に見える労働を求めているのではないでしょうか。それが環境や福祉での働き方になるかと思いますが、問題はその分野の重要性が社会的認知を得ず、人間的にやろうとすればするほど採算的に合わないということです。この分野における重要性がいち早く認識され、利潤や効率では図れない新たなメジャーによって評価されるよう、実績づくりに勤しみたいと思います。

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