『協同の發見』1999.12 No.92 目次
文化と協同
 
競争と協同と
 
 
荒木 昭夫(東京都/日本児童・青少年演劇 劇団協議会)

1.この夏の研究会のこと

 「文化−それは協同労働の枝に咲く」などという独りよがりな題名をつけて、98年春から99年に掛けて「協同の発見」誌の紙面を占有させて戴いた。
 この表題、「文化−それは協同労働の枝に咲く」という命名は、「文化−それは人類の発生とともに古い」と書いたエルンスト・フィッシャーの言葉を下に敷いた造句である。ヒトはいつ人類となり得たのか。ヒトになりたがっていた猿人の、なおさらに自身へのcultureを行っていたとき。その後に人類となるものたちはその周辺の環境をいかにして作り変えて行ったか。それこそは集団による「協同労働」以外にはあり得ないではないか、という意味での、ロマンチックで独り勝手なネーミングであった。
 この日筆者から特にお願いして、個人的にも出席を願った方々に、舞台俳優の本郷淳、神山寛氏、そして劇団風の子の宮下雅巳、中島紀氏らがある。
 本郷淳氏は東京演劇アンサンブルの俳優で、彫刻家故本郷新氏の次男。神山寛氏は劇団俳優座生え抜きの舞台俳優で、間もなく放映の、2000年NHK大河ドラマ「関ヶ原の……」では前半にレギュラー出演となる。また劇団風の子の両氏は、劇団風の子の活動を広く社会に知らしめて、劇団と観客との間を繋ぐ「組織・普及・広報・出版・運動」の、50年来の熟達者であった。この方々をお呼びしたのは、この研究会に参加される方々に、劇団で働く人たちの生の声を聞いてほしいと思ったからだし、またこれからは、専門とされるそれぞれの分野においても、文化に関わる諸問題の実践と探求を共にしてほしいと考えたからであった。
 会が終わって神山寛氏の感想は、「俳優は、こういうことを少しも勉強してきませんでしたね。舞台のことだけしか考えて来なかったし、そのくせ仕事はどんどん減って行くんだし、なんとかしなければならないんだということは分かっているんだけれども、何をどうすればいいんだかねえ。いろいろ教えて下さい」だったし、本郷淳氏は劇団に入ってくる若者たちが、ただもうテレビ志向であることを嘆いておられた。劇団風の子は現在、札幌、女満別、鷹ノ巣、喜多方、東京、八王子、岐阜、京都、広島、福岡にそれぞれ事務所を置いて、徹底して地域に根差した演劇活動に邁進している。総勢を合わせると150名(99年夏現在)。法人格は有限会社あり、企業組合あり、また任意団体のままであり、というようにさまざまだが、それらは既に独立した10個の創造集団として分岐され、経理もそれぞれに独立させたとしている人たちの集まりである。全員が固定給制であり、政府管掌の社会保険制度も活用している。ただし年収は平均230万円。しかし劇団の創り出すべき創造の価値は、「子どもの発達に資すこと」という使命観をかたときも手離すことはなかった。だからこそ劇団風の子の活動を支えたいと思う父母、教師は、常に日本全国に存在しており、そして「風の子」はその期待を裏切らずに来た。
 だから我々、児童・青少年演劇人は、現在も児童・青少年演劇運動の、先駆的且つ中核的な地位を占めるこの劇団風の子の活動を、我がことのように誇りに思う。

2.俳優の働き方

 これからの現代演劇の、その俳優の働き方について考える。ここには幾つかの働き方がある。広く国民がこれに接し、日常これを楽しみにしているのは、テレビドラマに出演している俳優たちの姿であろう。これを第1の仕事場とするとすれば、 第2に、その姿は見えないが外国映画やアニメーションに声を吹き込む声優たちの仕事場がある。第3には映画産業に於ける俳優の仕事であるが、現在ではこれを語ることが驚くほどに少なくなった。つまりその仕事が既になくなっているのである。 第4には舞台に出る俳優たち。第5に能・狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃文楽座等、伝統演劇に於ける俳優たちの働き方の世界がある。
 さて、いま上げた第1と第2の仕事というのは、いわゆるマスコミの世界にしっかりとその位置を占めている業界であるから、前節で言う本郷淳氏の嘆きにも頷くものがある。 マスコミで売れたい、 と渇望している青年たちが、次から次へと現れてくるからである。 確かにここで 「売れ」 れば 暫くは「食える」 可能性はある。
 ところでこれらマスコミの「業界」で働く俳優と、その俳優の仕事を取ってくるマネージャーで組織している協同組合が既にある。 「協同組合 日本俳優連合」という組織である。法人格としては事業協同組合で、 加盟資格は俳優その他の演者及びそのマネージメントをする者。定款で定めた主な事業は、 @就業条件に関する協定、A経済的地位の改善のためにする団体協約の締結、B文化活動・社会参加のための活動等である。個人加盟で、出資金は2,000円。現在加盟は2,600名、理事長は森繁久弥氏である。この協同組合は、NHKや民放各局と定期に交渉し、俳優の出演料やその労働条件の改善、再放送についての利用に対して著作隣接権者としての権利を主張し、放送業界で働く俳優全体の社会的地位の向上には大いに力を発揮してきた。
 このようにして俳優という職業人がその組織を求めた場合、「協同労働の協同組合」に極めて近いところに存在する、と考えられる。ではその俳優の仕事をとってくるマネージャーと俳優との関係はどうなっているのか。
 東京都港区六本木。その目抜きの土地に建つ俳優座劇場。この劇場がそこにできあがるについては、戦後すぐの、いや戦前からの日本新劇史、あるいは日本映画史からも語り起こさなければならないところだが、俳優座劇場機関紙「グリーン・ルーム」99年9月発行、31号のコラム稿がここにある。(K)というイニシャルだからこの筆者は俳優座劇場創設者倉林誠一郎氏のことであろう。倉林とは、あの千田是也、小沢栄太郎、東野英治郎氏らと苦楽を共にされてきた方である。タイトルに「俳優の問題」とあってこう始まる。
 −演りたいものが演れるわけではない。俳優の立場は受け身である。来た仕事が、役が自分に合わなくても、それを受けなければ舞台に立つ機会を失うことになるし、それがまたその生活問題にもかかわるので、気に入らない仕事だからといって、断るわけにはいかない。
 いずれにしても俳優という立場は受け身だから、自らの成長とのかかわりかたでいえば、いつも意に満たない立場に立たされているわけである。といって、このままの状態をこれから先き続けられるあてもないといって、俳優としての訓練、勉強をしなくては、ますます将来的成長にかかわる。……舞台に立たなければ収入の途はとだえる。それでいわゆるまったく仕事と関係のないアルバイトをやらなければならなくなる。こういう該当者が多い。……厳しい、不安がともなう生き方といわねばならない。といって、これからどんな生き方が考えられるか。自らを売り込む道があるわけではない。……こういう人たちの生き方を理解し、共に生きる道を考えてくれる劇団、……団体があるか……。数多くの俳優で構成されている集団がその一人ひとりの生き方にまで気を使ってくれる余裕があるとはいえない。これでは俳優の生き方の途は開けない。地味だがよい素質と能力をもっている人たちを放置したのでは日本の演劇は発展しない。……このことを知りながら、新しい途を切り開く努力、探求に歩み出していないのが現状だろう−と。
 俳優の立場に立ち切って考えて来られた演劇マネージャー、大先達の言葉である。 長い引用で申し訳なかったが、演劇のマネージャーで、俳優の立場に立ってこれだけの見解を述べて下さる先達は少ない、この途を切り開いて、いま我々もまた歩み出したいと思う。

3.出資・参加・運営・利用

 このようにして我々はいま、俳優の働き方について論じ合っている。
 劇団に依って働く創造集団について考えよう。そこで働く俳優とその関係者たちは、どんな創造的な協同と、どんな支え合う生活を送っているのか。そしてその競争は。
 劇団での働き方も大きく分けて三種ある。@は固定給制の劇団、Aは出演契約制をとる演劇集団。固定給制の劇団では、政府管掌の健康保険や雇用保険が適用されるから、雇用労働の関係にはなる。確かに使用従属、指揮命令に従う労働環境ではあるから、労災保険は適用されて演劇労働者としての認知はなされる。そして今一つ、Bは生活費は外で稼ぎ、出来る限りの時間を作って稽古場に集まってくる集団である。つまり意識としては「プロ」であっても、生計は別に立てる。そして変わらず己の芸術的意欲に衝き動かされて、その創造集団へと集まってくる人たちである。経営的観点から言えば、これを「アマチュアの演劇集団」だと言わねばならない。だからもちろん舞台で収入が得られ、つましくともそれで生計が築けるのであれば、彼らはすぐにも演劇で稼ぎ切る職業的体制に切り換えるだろう。そういう人たちの存在がある。
 こうして劇団で働く演劇人は、殆どの者が、雇われているという感覚はない。何故なら彼らはその劇団で芝居をしたいとしてか、勉強したいとしてやって来ているのであって、今すぐにも金がほしいとしてやってきたのではなかったからである。
 でも青年として数年を過ごし、家族を構成すると金が要る。仕事と暮らしを続けるためにだけでもいいから「収入」が要る。だから劇団として収入をあげ、これを分配して暮らしを守り、お互いの創造を刺激しあうのである。だからこの種の働き方をする俳優たちや、事務方や、制作者たちは、劇団という集団に対して、意見を述べ、提案し、参加し、運営する。契約制で付き合っている劇団員もまた、環境は同じだからやはり参加し、運営し、この集団を利用する。参加については意欲的だし、運営については民主的だし、仲間については友愛的で、協同組合原則に言う諸課題は極めて積極的に実践している。ただ誰も、出資という行為はしてはいないという点で、協同組合人ではない。

4.競争か、協同か

 我々の世界では、競争せよ、競争せよ、それこそが芸を磨くのだ、と常にいう。しかしまた一方では、協力しよう、助け合おう、もっと心を寄せ合おう、でなければ生きてはいけないではないか、と常に相互扶助の精神を説く。この両方が同居するのだ。させねばならないのだ。それならばこれを対立させる概念でなく相方を深く理解することにしようとして歩いてきた。つまりその両方とも必要なのだと。競争と協同と。こうして演劇に深く関わる協同組合人は、社会に対しても、そのどちらをも包含する概念をこそ提案しなければ、と考えて来た。
 筆者は演劇の中でも、特に子どもたちのための劇を創ることを以て職業として来た。子どもを見て、そこで考え、時に垂涎を流すのは、どの子の中にもある、あの「子どもの独創性」という「才能」である。例えば子どもが言葉を並べて言葉を作るとき、大人が勝手に「これは詩だ」と思ったり、無造作にこね上げた粘土細工をみて、このデフォルメは凄いぞ、などと思ったりして、親の勝手な期待を始めるのだが、その子らがすべてその先芸術の道に進むものではない。その道のプロとなるためには、その道の技術を先ずは徹底して習得しなければならないものである。そして幸運な子らだけがその道を歩む。その厳しい技術修得。この技術修得の時間の間に、徐々においおい、つまりだんだんにして、しっかりした大人になっていくのではあるが、それにつれてあの天啓のようにあったあの「子どもの独創性」は消えていく、という脳の構造になっているらしい。いや違う。脳の構造ではない。カネに追い立てられて、フツウの社会生活に埋没して感化され、あの子ども時代の独創的な発想はいつの間にか消え去ってしまうという構造になっているのだ。
 ようやくにしてその人たちは人格の陶冶を重ねてその道の「職人」の位置を占め、芸術家たらんとしたその人の一生を終わることとなる。これもまた一旦は芸術を志した人たちの働き方のひとつであった。
「競争と協同と」。芸術家たらんとしたこの道の人たちは、一生このことを考え続けて来た。これからも考え続けて行くことであろう。
 筆者の所属する日本児童・青少年演劇 劇団協議会では、今 法人化への議論を重ねている。 いまある法律の中では一番実態に近いのが「事業協同組合」であろうという議論である。それは 「事業をする協同組合」なのか、「事業者が協同する」組合なのかという議論である。それは「俳優の団体は事業者なのか」という議論の始まりともなろう。 俳優はその集団の雇われ者か、という疑問も生まれる。議論の民主は徹底している。 結論に到達すれば後は強いだろう。演劇人は力を合わせてその意志を表現することを以て職業として来たのであるから。

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