『協同の發見』2000.9 No.100 総目次
特集:レイドロー報告と21世紀の協同組合 

レイドロー報告と日本の農協
− この20年間の動向と21世紀への課題 −

山本博史(東京都/協同組合経営研究所)
 はじめに −農協にとってのレイドロー報告の重さ                                    
 1980年10月にモスクワで開催されたICA第27回大会で主要議題となった「西暦2000年における協同組合」に関して準備されたレイドロー報告は、「近年の協同組合史上最も重要な文書」(日本協同組合学会・訳編による同報告書、白井厚氏の「あとがき」から)とされている。この報告書は、決して2000年に協同組合がどうなっているかを予測したものではない。それは執筆者のレイドロー博士自身が、2000年はもちろんのこと、1990年代についてさえ「不確実性と不安の雲におおわれた10年としか予想できない」と表現していることからも理解できる。むしろこの報告書は、1980年を基点として歴史的回顧と将来展望を行い、2000年までの20年間に、各国における各種協同組合が「何をなすべきか」を明らかにしようとした問題提起の文書であった。
 とりわけ、レイドロー報告が現代の国際協同組合運動における「思想の危機」を強調して、他の企業に対する協同組合の独自性=アイデンティティーを失いかけていることに厳しい警告を発していることに、私たちは注目しなければならない。
 いま実際に2000年を迎えて、この報告を読み返してみると、この20年前の報告書が文字どおり「近年の協同組合史上最も重要な文書」であったことがわかる。同時に、ICA大会でこの報告書をうけての実践が決議され、国内外でこれだけ話題にされてきたにもかかわらず、協同組合のアイデンティティー確立についても、4つの最優先課題への取組みやその成果に関しても、実践面での不十分さも率直に認めざるを得ない。
 自由化・規制緩和の流れのなかで、協同組合の独自性は、政策的に軽視されがちとなっている。例えば、バブル崩壊後の金融再建策のなか、金融監督庁の指導下で、協同組合金融はその独自性をほとんど発揮できない状況におかれている。また、とくに未来への挑戦で、第1優先分野とされた世界から飢えをなくすための食糧・農業問題への取組みでは、食料自給率の40%以下への大幅低下など、他の先進諸国には見られない日本での重要な後退が起きている。こうした動きの原因を明らかにし、その経過で協同組合としての取組みが十分であったかについて、正しい総括が求められている。日本の農協運動としては、まことに重い総括になることは避けられない。
 以下、この20年間の農協の動向を、レイドロー報告にてらしながらリアルに概観・分析し、21世紀への協同組合運動の展望と課題を解明してみたい。

1、農協の広域合併と組合員参加について

 この20年間の農協における最大の特徴の1つは、広域合併による大規模化であった。 レイドロー報告で、日本の農協は、「世界にある50の巨大な銀行組織のなかの5つの協同組合」の1つとして紹介されている。しかし、一方でレイドローは、「大規模化への構造的変化が参加をより困難にしている」(前掲、協同組合学会・訳編の報告書p128 、以下同じ)、「中心的問題は……いかに協同組合の特質が規模によって破壊されぬよう保障するかということ」(p92)と合併・大規模化が組合員の民主的参加に及ぼす影響について厳しく警告している。
 農協の広域合併は急速に進み、1980年に 4,500組合あった総合農協は、2000年4月現在では 1,400組合となった。しかし、広域合併実現組合での組合員結集力の低下、とくに組合員1人当たり利用高の減少が大きな共通問題となっている。合併で最大の目標とされたのは、地域営農振興と販売力強化であったが、合併後の経営合理化で営農指導員が削減され、大規模組合における1組合員平均販売高は、小規模組合の2分の1以下にすぎないという結果になっている。合併大規模組合の経営不振問題や大型の債権こげつき事件も各地から報道されている。
 最大の問題は、合併協議の過程で組合員参加が実現していないこと、したがって新たに自分たちの農協をつくりなおすという積極的・能動的な組織づくりになっていないことから、合併後にますます組合員の農協ばなれを生み出していることである。大規模化にともなって、組合員総会は代表者だけの総代会に置き換えられ、毎年2〜3回開催されていた集落座談会も開かれなくなる組合が増えている。全国農協中央会の「JA活動に関する全国一斉調査」によると、全国で半数以上の組合が、合併で残された課題として、「組合員の意思反映」をあげている。さらに、組合員教育、とくに次世代の新規加入組合員への研修の後退が、多くの合併組合で共通問題となっている。経営政策の決定が限られた人々に集中し、合併時の公約であった支所重視の運営が一方的に撤廃され、組合員の要望に反して支所の統廃合が進められている。大規模化と組合員参加の後退は現実に起きている。
 レイドローはすでに20年前に、「経営が集中化される場合でも、政策決定は民主的管理を保持するために分権化されなければならない。大組織は、教育と組合員とのコミュニケーションに大きな関心を払う必要がある」(p92)、「他の企業と同じようなもうひとつのビッグビジネスであってはならない」(p93)と警告している。また同時に、「理論や思想を避け、その代わりに"事業を優先する"という強い傾向」があることについて、これを間違った態度であるとし(p83)、「こんにちの協同組合には、ただ顧客がいるだけで組合員はいない」(p125)という発言を引用して十分な注意を喚起してもいる。日本の農協における現状は、まさにレイドローの警告が的を得ていたことを証明している。

2、日本の農協がもつ地域性と総合性について

 レイドロー報告で、日本の農協は、「農村地域の近代的な経済発展に大きく貢献している」(p19)と評価され、「地域レベルにおける多目的・多機能の協同組合が単一組織で行われている成功例」(p91)としても紹介されている。日本の農協は、法制度から見ると職域別の協同組合ではあるが、村落社会の協同を基礎に発展してきた歴史から、地域ぐるみの組織であり、准組合員制度という国際的にめずらしい制度も、この地域協同組合という特質から生まれたものである。それに加えて、戦前の産業組合当時から「4種兼営」(当時は信用・販売・購買・利用)が認められていて、信用事業を核として他の経済事業が有機的な連関をもって運営される、いわばトータルシステム方式の総合事業活動が展開されてきた。この地域性と総合性という2つの特徴は、日本だけでなく、モンスーンアジアにおける小農で零細な水田農業を中心とした家族経営と農村生活の特徴を反映したものであり、共通性をもっている。
 ところが、この農協の特徴を無視して解体しようとする動きがたびたび起きている。その一つが、欧米風の農業近代化・生産性向上路線を日本に持ち込もうとする試みで、80年代の政府による「新政策」と称する大規模経営・法人経営主体の担い手育成策や、その後の「認定農家」制度などがその事例である。これに対して農協では、「集落営農」方式でコスト低下・労働力不足をカバーしようとしてきた。日本では、大規模経営といっても自立経営にはほど遠く、なんらかの地域協同の補完なしではなりたたない実情がある。
 総合性に対する挑戦もさかんに行われた。その一つが「信用分離論」で、総合経営の要となる信用事業を他の事業から切り離す考えである。90年代に入って金融監督庁が設立され、すべての金融機関を一元的にとらえて、同じ土俵に乗せ、協同組織金融の独自性を認めない行政が強まってきたために、農協陣営内では「地域協同組合論」者が急増しているが、そのなかには80年代まで「信用分離論」者であった人たちも含まれている。
 経済事業でも、組合員が必要とする協同事業の組合からの切り離しと株式会社化が顕著になってきている。その典型は、Aコープ店舗の株式会社化・系列化である。80年代の農協では、「生活総合センター」構想が呼びかけられていた。農協の購買店舗を中核にして生活文化活動施設や旅行センター、託老所などを設けて、組合員の暮らしにむすびついた協同活動センターにするという構想であった。しかしその中核施設となるAコープ店が株式会社に変身し、チェーン本部の指示にしたがって(購買でなく)販売促進が行われる場となった時、はたしてそれは組合員主体の協同活動センターといえるのか、農協の総合性は生かされるのか、はなはだ疑問である。
 協同組合でも「顧客満足の追求」がよく語られるようになった。「事業優先」も強い傾向となりつつある。「いまの協同組合には、顧客がいるだけで組合員はいない」というレイドローが警告した姿に、日本の農協もますます近づきつつあるように見える。
 各事業の専門性を追求するとともに、総合性のもつ有利さを組合員要求実現のためにどう発揮するか、いま農協は地域性と総合性を踏まえた事業改革が求められている。

3、日本における農協と国家の関係につい

 レイドロー報告は、2000年をめざす協同組合の未来への選択で最優先すべき4つの課題を明らかにし、その第1課題として、「世界の飢えを満たす協同組合」を掲げた。また、現状分析でも「人口と食糧問題」を重視し、飽食と飢餓の併存、8億人の栄養不良人口、飢餓輸出の実態や食糧援助による国内農業生産への影響、石油依存の農業生産性向上などの実情を明らかにしている。とくに第三世界の開発政策で工業化を重視して農業が無視されていることを批判し、「食糧生産、農業開発、雇用は、他の部門と事業に優先させるべきである」(p69)と強調している。
 この報告の実践を誓いあった後の80年代から90年代にかけての食糧・農業問題の推移をみると、確認した「未来への選択」とはまったく逆行した事態が起きている。先進諸国はこぞって農業保護政策を大きく後退させ、生産制限を強め、農産物貿易はますます一部の多国籍アグリビジネスの手に集中される状況が進行した。日本でも、80年に始まる第2次臨時行政調査会で、財政再建策が打ち出され、農業政策では生産者米価据え置き、需給調整機能の強化、内外価格差の縮小、水田利用再編、米需給均衡化対策がつぎつぎと進められた。これらの政策の結果、毎年の米生産目標は需要量ギリギリの綱渡り状態となり、93年には凶作による米不足と緊急輸入に発展する。一方アメリカは生産過剰対策と貿易赤字解消のために日本に対する貿易自由化、輸入拡大を迫り、日本の財界もこれに呼応して農業政策批判を強めた。「日本の米は国際価格の7倍、10倍もする」という大前研一、竹村健一両氏などの声がいまも多くの国民の耳に残っている。ではなぜ、その安いタイ米が輸入された時、あれほど嫌われたのだろうか。それはまったく現地の事情とそれぞれの食文化を無視した論理であったといえる。
 1985年のプラザ合意によって急激な円高が進行し、食品工業など日本企業の多くがアジア諸国に工場を移して日本向け輸出を急増させた。1986年に発表された「前川レポート」は、輸入拡大による貿易黒字解消など、経済構造調整策を提言、政府はこれを対米国際公約にまで引き上げた。こうした条件下で86年にスタートしたガット・ウルグアイ・ラウンド交渉は、93年12月、日本でタイ米騒動が起き始めたなかで受入れが決定され、翌年12月に国会を通過、95年1月からWTO体制が発足することになった。国内では35%もの米減反をしながら、義務として米を輸入する矛盾。欲しくもない必要でもないものを無理に買わされることを世間では押し売りという。ではこの「自由貿易」や「市場原理」を名乗るシステムが輸出国本位の押し売り貿易にほかならないことは明白ではないか。しかもこの農業協定は、食品安全基準に関する協定と表裏一体のワンセットになっていた。翌96年からは、O−157問題、狂牛病、遺伝子組み替え食品、ダイオキシン、環境ホルモンと、私たちの食生活をおびやかす深刻な問題が続出した。残留農薬基準が緩和され、合成化学食品添加物は増やされ、成長ホルモン剤などの動物医薬品の残留も認められるという時代に入っている。
 この20年間をふりかえってみて、レイドロー報告の「飢えを満たす」という最優先課題は、決して飢餓に直面している第三世界だけの話ではなく、一部輸出大国や多国籍企業による世界の食糧支配体制に、世界の協同組合運動がどう対抗するかという重要課題であったといえる。66年の協同組合原則改定で多国籍資本への対抗をねらいとして「協同組合間協同の原則」が新たに追加され、92年に東京で開催されたICA第30回大会のベーク報告でも、「対抗勢力の形成」がとくに強調されてきた経過がある。
 ところで、80年のレイドロー報告では、協同組合と国家の関係について、「政権政党が協同組合をその政党の利益のために利用することができる場合、政府は協同組合業務に対する極度の最も攻撃的な介入を行う」(p107)と警告している。あれだけ長期にわたって反対し続けた「米の関税化」を容認し、政府・自民党と三者懇談会を恒常的に開催して三者一体のWTO対策を推進しようとしている日本の農協は、ここでいう「極度の最も攻撃的な介入」を許していることにはならないだろうか。

4、21世紀に農協運動が果たすべき役割とその条件

 レイドロー報告の実践は、2000年を迎えて終りになるものではない。これだけ未解決の問題を残しているだけでなく、さらに新たな課題も山積している。このまま推移すれば、食と農をめぐる不安要素はますます拡大することになる。しかし、これまでと違った「もうひとつの流れ」も顕在化しつつある。例えば、99年11月末からシアトルで開催された第3回WTO閣僚会議が宣言文もまとめられずに決裂した背景には、つぎのような3つの勢力の動きがあったことを確認することができる。
 その第1は、NGO/NPOの国際的発言力の強まりであり、各国政府や国際機関もそれを無視できなくなっていること。第2に、これから食糧自給を実現するためにますます努力しなければならない多くの国々を含め、第三世界を排除したり意向を聞かずに進めるような国際会議は時代遅れになっているということ。第3に、環境保全や食品衛生に関する欧米間の矛盾は、ホルモン論争でみられるように深刻かつ激化しており、世界最大の農産物輸出国であるアメリカも輸入国側の実情を無視できなくなること。
 こうした新たな有利な条件・情勢をふまえた対応が、21世紀の協同組合陣営にも求められている。せめてその「もうひとつの流れ」のなかに、日本の協同組合も主流となって加わり、「食糧主権」の確立に努力できるようにしなければならない。
 農協としても、失われつつある組合員の結集力を回復するために、農政要求運動についても他の事業分野と同様に、組合員の要求実現のための協同組織であるという原点に帰った展開をすること、組合員の要求別組織づくりによって組合員レベルでの協同の基礎単位を再構築すること、若者や女性の農協運動への主体的参加をつくりあげること、などに全力をつくすことが期待される。
 20年前にレイドローがなげかけた問題提起・警鐘は、農協にとっては21世紀にも引き続き重要課題となるであろう。


9月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)