『協同の發見』2000.9 No.100 総目次
特集:レイドロー報告と21世紀の協同組合 

「レイドロウ報告」と日本の労働者協同組合
――「コミュニティの再生を担う協同労働」へ――

菅野正純(埼玉県/日本労協連副理事長・協同総研副理事長)

 1 「レイドロウ報告」との出会いから
                      
 私たち労協のメンバーが「レイドロウ報告」を知ったのは、労協連の前身「事業団全国協議会」の中西理事長と日本生協連の中林会長(当時)との対談においてでした。
 職を奪われた労働者が「まちづくりに役立つよい仕事を通じて、自分たちの人生を切り開いていこう」ということで始まった事業団運動が、全国組織をつくり、「労働者協同組合」を意識し始めた頃でした。中林会長は労協づくりへの励ましも含めて、「こんなものがあるんですよ」とレイドロウ報告の日生協訳冊子を下さったのでした。事業団全国協議会では、早速この冊子を大量に購入して、みんなで勉強しました。
 この報告でとくに印象的だったのは、西暦2000年に向かって世界の協同組合運動が取り組むべき「4つの優先分野」を提案した中で、「生産的労働のための協同組合」「協同組合地域社会の建設」を掲げていることでした。
 前者は、労協の世界的再生の宣言ともいうべきもので、労協を労働者が所有権と管理権を取り戻す「第二次産業革命」の推進者として高く位置づけると共に、そこでの「生活(人生)や人格形成に不可欠」となった労働(今日、私たちが言う「協同労働」)が、人びとの深い内面的ニーズに触れうる可能性に言及しています。同時に報告は、労協が「出資の造成や、雇用労働者(非組合員)、所得の分配、残余財産の分配、出資金の払い戻し、内部留保の積立」など多くの問題を抱える、「あらゆる種類の協同組合のなかで」最も運営の難しい協同組合である、とその課題を提示しています。
 後者は、多種・多機能の協同組合のネットワークを通じて、人間の絆を失い「孤独と疎外の大海」と化した大都会のなかに無数の「村」(コミュニティ)を建設していこうという呼びかけです。いま読み返しても、「住宅、貯蓄、信用、医療、食料その他日用品、老人介護、託児所、保育園」など、協同組合の豊かなイメージが示され、これらによって「歩いていける範囲か、公共輸送機関の近くで買い物ができ」「老人や障害者も、職住一致の環境のなかで生活できるようになるだろう」と、高齢社会の人びとのニーズとその解決方向をいち早く予見していることに驚かされます。
 レイドロウ報告を通じて私たちは、@「労働者協同組合」という自らの取り組みの本質と発展方向を明確にし、A「協同組合セクター」の総合戦略の中に自らを位置づけ、またB「井の中の蛙」になることなく、絶えず世界の協同組合運動から学び、連帯する作風を身につけることができました。
 その中でも「労働」と「協同組合地域社会」に注目させられたのは、自ら「まちづくりに役立つよい仕事」を掲げ、そのことを事業団=労協が生き残り、発展する上での本質的な要件として直観していたからかも知れません。もちろん、「生活や人格形成に不可欠な労働」や「大都会のなかに無数の村を」という提起は、当時の私たちの実践水準からすれば、まだ具体的な取り組みに結実するところまでは行っていませんでしたが、その後の20年の実践を通じてこの提起は具体的なイメージを結び始め、実践に結実するところとなりました。そしてこの両者を統合して、私たち労協は自らを「コミュニティの再生を担う協同労働の協同組合」としてとらえ返すに至ったのです。
 この展開は、世界の協同組合運動全体の趨勢でもあるように思われます。すなわち、「コミュニティの持続可能な発展への貢献」を新たなICA協同組合原則に統合した世界の協同組合運動は、「社会的協同組合」や「コミュニティ協同組合」など、協同の働き方をベースにコミュニティからの多様な参画を可能にする新たな協同組合形態をつくりだし、これに牽引されながら、二千年紀最後のICAケベック大会では、グローバル化のもたらす大量失業と「社会的排除」に抗して、すべての人を「包容」することを、新千年紀の協同組合のグローバルな挑戦課題としたからです。
 本稿は、こうした視点から、「コミュニティの再生を担う協同労働」の到達点を確認することによって、レイドロウ報告20周年に対する日本の労協からの感謝を込めた報告に代えようとするものです。


 2 高齢者協同組合づくりとケアの質への問いから

 日本の労協が「コミュニティ」を強く自覚し、自らの労働を深く掘り下げるきっかけとなったのは、「高齢者協同組合」づくりに取り組み、その中で真に求められるケアの質を探究し始めたことです。
 考えてみれば、高齢者協同組合そのものが、世界的にもユニークな協同組合であるだけでなく、労働者協同組合が高齢者協同組合を産み出すということもまた、ユニークな現象だと言わねばなりません。これは、日本の労協が、一方では、その経過からかなりの高齢者を組織内に含んでいて、引退後も含めた生活全体の支えあいの必要をつねに意識していたことと、他方では、高齢社会の進展と福祉サービスのニーズの高まりに積極的に応える姿勢を持っていたことによるものでした。
 こうした経過から、高齢者協同組合は次のような性格を帯びることとなりました。
 第1に、高齢者自身が出資し運営に参画し、必要なサービスを実現するという、徹底した「当事者主体性」です。これは、労協における労働の主体性・協同性の追求が、高齢期の生活における主体性・協同性の追求に継承されたもので、協同組合という形態の現代的な有効性が新たな形で実証されたものと考えられます。
 第2に、「仕事・福祉・生きがい」という地域における生活全体の豊かさを追求する「コミュニティ総合協同組合」である点です。高齢協づくりの過程で、とくに「友だちづくり」「新しい人と人のつながり」や、「働く」ことへの高齢者の要求の強さを実感させられました。高齢協が社会的な共感を集めたのも、「人と人との結びつきの中で、かけがえのない"仕事"と"役割"を得て、自分らしく生きていく」という、世代を超えた「協同」への願いを体現していたからでしょう。
 第3に、サービスを提供する人、利用する人の双方、さらにはボランティアや地域のサポーターが参加する「複合協同組合」であり、とくに労働者協同組合とは複合的な協同の関係にある点です。ヘルパー講座で自らケアワーカーを育て、ワーカーズ・コープを産み出す一方で、高齢者自身も仕事おこしの面ではワーカーズ・コープを組織し、さらに文字通りの複合協同組合として「地域福祉事業所」をつくりだして、「仕事おこし」「地域づくり」を多方面から呼びおこそうとしていることです。
 第4に、こうした市民参加、市民主体の福祉コミュニティづくりによって、「新しい公共性」=「市民的公共性」のモデルとなっていくことです。「人と人との結びつき」や「仕事をおこし、地域をつくる」主体は市民自身であり、これを行政が促進するという、「公共と協同」の新しいパートナーシップがそこに打ちたてられます。
 何よりもケアにおいて、高齢者協同組合が発信する願いを、労協がそのパートナーとして受けとめ、「自立支援のケア」や「コミュニティ・ケア」を追求する中から、「協同労働」が本格的に姿を表わし始めました。
 第1に、人と地域の必要を受けとめた働く人びと=市民が、自ら協同して仕事をおこし、仕事の質を高めていく「働く人びとの協同」です。支配的だった「寝かせきり介護」に対して、生活と仲間の力で人を元気にする「生活リハビリ」や、「地域・小規模・多機能・共生」の「宅老所・グループホーム」の大きな流れをつくりだしてきたのは、お役所でも営利企業でもなく、働く人びと=市民の草の根からの取り組みでした。労協・高齢協のヘルパー講座と地域福祉事業所づくりに、この流れは確実に広がっています。
 第2に、サービスや生産物を享受する人びとの共感を広げ「協同生産関係」を発展させる「利用者との協同」です。すぐれたケアにおいては、利用者が生活の主体者であり、その自由=自立と選択の拡大を支えるものとしてケアが位置づけられると共に、ケアされる人がケアに参加したり、障害のある人同士が支えあうなど、かけがえのない役割がすべての人に与えられています。高齢協のグループホームやデイ・サービスセンターで、利用者がさまざまな「仕事」に取り組んでいることが注目されます。
 第3に、人と人とのつながりを生み出し、参加と連帯によってコミュニティの再生を促進する「コミュニティの協同」です。ケアは専門家だけでは完結せず、近隣住民による見守りや何気ない援助・支えあいや、ケアが必要な人をいち早くサービスにつなげる「アセスメント」、サービスの質に対するモニタリングなどが不可欠なことは、竹内孝仁先生がつとに強調されている点です。ケアワークは、コミュニティをつくりなおす「コミュニティワーク」をそもそもの契機として含んでいるのです。
 広井良典氏は、物質、エネルギー、情報に続いて、「ケア」が経済の牽引車となっていく「近代の最終ステージ」が始まっていると述べています。だとするならば、時代そのものが協同労働を要請しているといっても過言ではないでしょう。そのことは、次の「福祉のまちづくり」へと視野を広げるときに、より明確になります。

 3 「福祉のまちづくり」が示す新しい社会システムへの趨勢

 高齢者協同組合づくりと、全国的なケアワーカー養成に次いで、労協がその中心戦略として現在取り組んでいるのが、「地域福祉事業所」づくりです。
 地域福祉事業所がめざすのは、@公的介護保険によるサービスを受ける資格があるにもかかわらず、申請主義のために、そこから漏れたり、手遅れになる人が一人もないよう、確実にサービスにつなげるとともに、A公的介護保険だけでは到底まかないきれない、自立支援のケアや、元気な高齢者を増やす「介護予防」のために、各種のサービスと協同の取り組みから「コミュニティ・ケア」を組み立て、Bさらに、「福祉自治体」の確立と合わせて、さまざまな産業そのものを「福祉のまちづくり」の観点からネットワークし、これを通じて新たな社会システムを展望していくことです。
 すべての人が「地域における当たり前の暮らし」を実現するためには、ケアワークを中心としながら、会食や給食、住宅の改修を含む新しい居住形態、ハウスクリーニング、福祉機器の普及・メンテナンス・パーソナル化、若者本位の「マイカー中心社会」から新たな公共交通体系への転換と移送サービス、安心して出かけられ憩える「まちづくり」、産直や「市」を含めた生活用品の供給、コミュニティの中心としての商店街の再生、文化の創造と享受など、公共と民間の協同による「福祉のまちづくり」が求められることは言うまでもありません。
 現実に労協・高齢協の活動や「地域福祉事業所」づくりの過程で、ヘルパー講座を通じて足立区の商店街との交流が始まったり、「大田区福祉機器研究会」(町工場のおやじさんと障害者団体、福祉関係職員で構成)との間で街中にヘルパーステーションと福祉機器センターを併設する夢が語られ、深谷のシネマワーカーズが商店のフロアを借りて映画を上映し高齢者を集めるなど、その芽は着実に育っています。
 民間資格「福祉住環境コーディネーター」を生み出した東京商工会議所は、労協連と共にいくつかの商店街から福祉コミュニティのモデルを一緒につくろうと計画しています。他方では、「東京ハンディキャブ」の阿部さんが言うように、1000万人を下らない人びとが移動にハンディを負わされています。高齢者と障害者が合流して、移動を権利として保障させることができれば、本人の経済行為と車両の生産、ケアドライバーの労働報酬など、福祉と融合した新しい経済の姿も描くことができます。
 「コミュニティの再生を支える協同労働の協同組合」は、このような視野の中で、本格的な発展を開始するに違いありません.
 第1に、「コミュニティ・ビジネス(市民起業)」「生活総合産業」を軸とした、新たな経済ネットワークの中に、自らを位置づけることです。これは、@人びとの欲求が、単品の商品による「豊かさ」から、安全・安心のコミュニティをはじめとする生活の総合的な豊かさへと成熟し、Aこれに応えて「市民の徳と起業家精神を備えた」人びとによる仕事おこしが産業の裾野を形成し、B商店街や地場産業はもちろん、大企業を含めて「コミュニティ」に経営の展望を見出し始めた、という歴史的な背景から想定できることです。
 第2に、こうした「福祉のまちづくり」と結んだ、働く人びと=市民による仕事おこしが、きわめて高い公共性を持つことを確認させ、市民が主体となって行政がこれをサポートする、新しい公共性と「公共と協同のパートナーシップ」を創造することです。それは、「コンクリートへの投資」よりも「人間発達とネットワークに対する投資」を中心とする、「新しい公共事業」への転換という課題を伴っています。
 第3に、その法制度的な表現として、「労働者協同組合法」を制定させることです。この法制化は、@働く人びと=市民の誰もが「コミュニティを視野に入れた協同労働」による事業を選択する機会を保障させ、A自らの労働と事業を通じて、就労創出・研修教育・福祉共済の社会的「連帯基金」を形成し、Bそうした労協のかけがえのない社会的・公共的貢献を社会が税制優遇によって促進し、C労働者を中心に利用者やコミュニティの支援者が参加できる日本型「社会的協同組合」「コミュニティ協同組合」の創設を可能にすることによって、労協の本格的な発展に道を開こうとするものです。
 この方向は、大量失業と社会的な排除に対し、協同組合の振興を通じて、すべての人に尊厳ある労働とコミュニティの一員としての生活を保障しようとする、国連およびILO(国際労働機関)の政策とも一致するものです。
 レイドロウ報告の先見性に満ちた提起が、日本における労働者協同組合の確立に大きな力となったこととあわせて、今後の「コミュニティを再生する協同労働」の本格的な発展が、経済・社会と人びとの生活意識の転換、新しい公共性の創造と法制度の改革という総合的な取り組みの中で初めて可能になることを確認して本稿を閉じることとします。

9月号目次協同総合研究所(http://JICR.ORG)